2016年02月09日

日課

こないだ、「ウエストは消滅」って書いてから、頭ではそう思ってたからそう書いたんだけど、実際にどうだろうかとしみじみと鏡で見てみると、なんか吹き出してしまい、ホントにストーンと真っ直ぐな体側のシルエットw
家人にも、ウエストがなくなりましたよ、と報告したら、どれどれ・・・と触って確認して、オレと一緒だなww、と。それ以来、日課のように「寸胴チェック」をされている次第ww

最初はオレと一緒だなとか、言ってたけど、なんかしっかりと中身が詰まってての膨らみであって、ずっしり感があるんだと、なんかパワーを感じるんだと、オレのただの脂肪のかたまりとは違うな。なのらしい。興味深そうに触っている。妊婦のお腹を触りたがるパートナーはたくさんいると思うけど、寸胴チェックは予想していませんでしたよ。

最近の私の日課と言えば、猫さんのトイレ掃除とかご飯あげるときに、ヨガのマラーサナ(こんなやつ。いわゆるスクワットの一番下に下がった時の姿勢)。
トイレ掃除やエサやりは普段からやってることだけど、前屈みとか軽くしゃがむのとかがちょっとツラくなってきたな〜と思った時に、あ、そういえば、こういうときこそこれがいいではないかっ!と。

結論。これはいいな。

マタニティヨガ、一応なるべくクラスに通おうと思ってるけど、土日にやってるクラスもタイミングによっては行けたり行けなかったり、自宅でやろうにもスペース限られてるしなーなどと、まだそこまで本格的にはやってないんだけど、猫さんのトイレとご飯はやる気の有無にかかわらず、毎日発生するものであるので。

なんとなく便秘も改善してきた気がしますよ。
posted by みつこ at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

この頃の事情/インスリンポンプとマタニティウェア

Twitterでぼそぼそとこんなことを書いていた
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冬の重ね着と、ウエスト&お腹周りのもろもろのせめぎ合いwと、ポンプとチューブの取り回しとが、日に日にややこしくなっている今日この頃。
本当はジャンパースカート?とかワンピース的なものがラクに違いないと思うけど、その場合ポンプどこにはさむのん?ってのが面倒で。 二の腕辺りにカニュレ設置でポンプはブラのとこにはさむという方もいるようだけど、なんとなくまだ腕に刺すのがコワい感じが。
しばらくは試行錯誤が続きそう。
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現在、妊娠5ヶ月後半のふっくらし始めたお腹周りの事情。
そしたら、経産婦な身内から、授乳できるワンピースなら横からポンプ出せるのでは、というアイディアをもらい、マタニティワンピースで授乳口付き、更にそこから出したポンプを収納すべくポケットがついてるとなおよし!という絞り込みで数着を選び購入。

なかなか良いです。(ポンプの取り回し云々はさておきウエストがラク、とってもラク。)
まあ、授乳口の本来の目的とは違う使い方してるけど、いずれ本来の使い方もさせてもらいますよってに・・・ww

ただし、ポケット付きまで絞り込むと極端に選択肢が減るし、ポケット付いてても場所が使いにくかったりもあるので、ポケットなしでもいけるようにと、肩から斜め掛けできる小さいポシェットを追加導入。(アジアン雑貨屋さんの手作りポシェット的なやつね)
ワンピース着て、横からポンプ出して、肩からかけたポシェットに入れて、その上からセーター、みたいな感じに今のところ落ち着いております。わりとカジュアルでも許される職場でよかったですよ、さすがにジーンズとかはダメだけども。

インスリンポンプ的にはスカートやパンツスタイルでウエストのところにはさむっていうのが一番しっくりくるんだけどね、まあ事実上ウエスト(のくびれ)というものが消滅している現在、そして今後数ヶ月は消滅したままである予定なので、「ウエスト」というものが存在する服を再び着るようになるまではこんな感じでいくのかな、と。

それでも、下から履くものと上から着るものの重なりのところで、チューブが行ったり来たりするので、もうちょっと長いチューブがいいなと、相談したら次の受診までに取り寄せといてくれるとのことだったので、それに変えれば更にもうちょっと使いやすくなりそう。授乳口なくても脇が広めにあいてるジャンパースカートみたいなものだったらいけそうな感じもする。
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posted by みつこ at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月07日

やっぱりここ

何ヶ月単位で放置気味のこちらですけど、最近はこういうことってみなTwitterとかFacebookとかに書くんですかね、書いてるよね、みたいなことの諸々も、やはり私はここに書かないとしっくりこないのですよね。

じわじわと計画していたことを、いよいよ行動に移そうとしていた矢先に、ねーねーそっち行く前にまずはこっちどうするの?と呼び止められ、え?もうそっち行かないでいいかと思って、けっこう長い時間をかけて諦めたあとなんですけど、行く?行きますかそっち?そういうことなら、今すぐにでも行きましょう行きましょう。
・・・というような具合にいろんなことがバタバタと。

実は、今さらそんなこと言われても遅いよ!って意地を張るんだろうな自分、という予感のようなものをずっと持っていたんだけど、自分でも感心するくらいにあっさりと、では行きましょう行きましょうってなった。

いま思えばだけど、諦めたつもりで本当はまだ納得していなかったというような状態だったら、逆に意地になっていたのではなかろうかと思う。でも、けっこうずるずると時間かけたけど、自分にとって本当にすっきり気が済んでいたことだったから(でも、いつかそうなるならそれはそれでありっていうふうにも思ってたから)、じゃあそっち行ってみることにしましょうって、意地も何もなくするっと方向転換できたのかなあと。

まあ、完全なる方向転換というわけではなくて、ルートが変わった、あるいは、立ち寄り先が増えた、そういう感じなのかなと思うけど。

でもなあ、行こうか行くまいか、なんて特になんの行動もせずに、自分の中で悶々としている間は、進みも戻りもできずに(というかまあ自分の意志だけでどうにかできることでもなかったんだけど)、日々は過ぎていたんだけど、ちょっと動いてみたら一気にことが進んだというか、とにかくあっち行ってみようって踏み出してみたら、足で進むより早く地面ごと動いた(しかも違う方向へ)、そんな感じもしてる。

ありだな、こういうのもあり。
posted by みつこ at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

暗黙の了解はどこに格納されてるか

ツ、ツライかも・・・

仕事が少し落ち着いてみたら、実は体のキツさや、時間に追われてるストレスとかそういうことではなくて、違うことでダメージを受けてるんじゃないかって気がしてきた。

その昔とにかくいろんなことが不安だった頃の最後の残骸のようなもの、時間とかいうものへの不信感が残っている。

今日が○年○月○日で、いま何時何分なんていうのは、本当のところはどうやって確かめるの?ってことへの。

で、知らん顔して仕事してるけど、私が手配したなんらかのサービスが、本当にその日その時間に客に提供されるのかということに対して、なにか根本的な不安感がある。

私の仕事は直接お客さん本人に会うことはあまりなくて、いろんなサービスを行う人たちにそれぞれの場面で必要なサービスを提供してもらうべく手配するのが主な仕事であるのだから、私がいないとこで、手配した通りにみなさんが業務を遂行していることを信じて任せるしかないのだけど。

人を信頼するとかの問題じゃなくて、今日は本当に○月○日なのか、何時何分の便でお客さんが到着するという約束事は現実なのかどうか、この人たちを出迎えるために依頼した人と車が、今日がその日だと認識してその場所に向かうのかどうか。

いや、実際こう文字にしてみるとなかなか笑えるなってのと、結構深刻ですねってのと両方わかる。

そうに決まってると思わないとそもそも仕事も何も成り立たないので、そういうことにして生きているけど、本当の本当には納得できてないのがわかってるから、常にそこはかとない不安感があるのだなあって。

そんなことをふっと仕事が途切れた隙に思い出しちゃったら、それって結構じわじわとダメージ蓄積してるなあって。

まあでもね、そういう不思議を思う存分アタマの中でこねくり回して遊ぶ時間と気持ちの余裕がありさえすれば、乗り切れるぐらいの心の体力が育ってることも知ってるのだよ。

もうちょっと鍛えたら、もうちょっと大変な時でもだいじょうぶになってくるかなあ。
posted by みつこ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

与える人/奪う人

もうちょっとがんばりたまへよ、と自分でもわかってるけどねってことを言ってくれるのはやっぱり主治医だけなので、ありがたいな。
改めて言うけど、これ結構大変な病気なんだからねって。
その割には頑張ってるよねってのは他の人が言ってくれるだろうけど、僕はそういうワケにはいかないよ、と。

いま忙しくてまあいっか、しょうがないやってなってること、僕には言い訳できるけど、将来の自分がその言い訳を許してあげられるのかってとこだよね。そこまで自分で納得してやってるのか。


大事な視点だなと思った。
私は過去の自分がやらかしたこともいまは受け入れちゃってるし、これからもきっとそうだろうなって思うけど、将来もずっとそう思えるように、日々を暮らしたいなあと。改めて。

そう言うことが言える主治医がやっぱり好きだなあとも思うのだったww
純粋培養バンザイ\(^o^)/

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疲れたまんまで月曜出勤したらなんか更にげっそりしちゃって、早退して、昨日は休んででも人の少ない夜だけ出社してなんてやって、人との関わりを避けて消耗しないようにしてたけど、主治医みたいに会うと元気になれる人もいる。
役割や立場だけ見ると与える側であってもいいはずの人が奪うばかりのこともある。

ここ数日の自分の行動は、消耗してる状態でこれ以上奪われないための自己防衛だったんだなあって振り返るとそう思う。普段だったら自分なりのバリアみたいなものがあって、どんな人と接しても、ああ奪う人だなあって思っても、自分の中で修復できてたけど、最近の疲れすぎの自分ではエネルギーだだ漏れで守りきれてなかったんだな、それを自分なりにわかってて篭もろうとしてたんだと思う。
posted by みつこ at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

キャンペーンボーイ(ボーイって)@SION風

ラジオいっぱい出ていらっしゃいますですね。

とりえず時系列にずらーっとこんな感じで。
Googleドライブの共有ファイルにリンクしてあります(しばらくしたら共有解除します)。
とりあえず1ヶ月ぐらいはそのままにしとくと思いますので、ダウンロードは慌てずにしかしお早めに(?)。
※何かうまく開けない…などありましたらお知らせくださいネ。

ZIP-FM「SMILE HEART BEAT」@3/3
東海ラジオ「山浦・深谷のヨヂカラ!」@3/3
FM COCOLO「MARK’E MUSIC MODE」@3/4
α-Station FM KYOTO「MUSIC STAMP」@3/4

※α-Station FM KYOTO「MUSIC STAMP」が開けない方がいるようなので、別形式でアップしてみました。容量の関係で2分割してあります。
その1

その2


ニューアルバム「俺の空は此処にある」本日(3/4)リリースですよ〜!
俺の空は此処にある_web-e1422516966475.jpg
http://www.teichiku.co.jp/artist/sion/
posted by みつこ at 22:44| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月09日

目に映っている現実は鏡に映った自分自身。
自分が自分の中に見たくないもの/見えないものが外部に投影されて見えているだけのこと。
自分の顔が自分の目では見えないように、自分の背中が自分の目では見えないように。
posted by みつこ at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月23日

「愛する」というのは

ツイッターでなんとなく視界に入ってきて気になった内田樹さんの言葉から全文を探してみたらこんなエッセイであった。

20歳くらいのときにエリック・シーガルという人の『ラブストーリー』という恋愛小説とその映画化が大ヒットしたことがあった。

前にも書いたことがあるが、そのときのキャッチフレーズが

Love is never to say sorry.

というのである。

これを配給会社は「愛とは後悔しないこと」と訳した。

「愛とは後悔しないこと」では、「とにかく後先考えずに情熱に身を任せて突っ走れ」というふうに誰でも理解するだろう。

しかし、意味はまったく違うのである。

この台詞は、身分違いの貧家の娘と結婚した息子を勘当にした大富豪の父親が、夭逝したその娘の葬儀のときに数年ぶりにあった息子に、お悔やみとともに、「I’m sorry」と言うのに対して、息子が顔も見ずに返す言葉なのである。

「もし、あなたが私を愛していたのであれば、あとになって『すまぬ』などと言うような行為をするはずがない。つまり、あなたは息子である私を昔もいまも愛してなどいないのである」という、これは絶縁の言葉なのである。

「愛」というのは、あとで「ごめん」といわねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどにはりつめた対人関係のことである、ということを私はこのとき学んで、「おおお」と目からウロコを落としたのである。

「愛する」とういうのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係のことではなく、「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係のことなのである。


ツイッターではこの部分が引用されていたんだけどね。
「愛」というのは、あとで「ごめん」といわねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどにはりつめた対人関係のことである


個人的にはこの引用部分より、そのあとの部分がささるなあ。
「愛する」というのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係のことではなく、「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係のことなのである。
posted by みつこ at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月01日

いつでもどこでも会いたい

なんかこの唄が素直で好きでね。
素直な気持ち、だけどその先には行かない行けない感じが、ね。

いつでもどこでも会いたい
(作詞・作曲:SION)

思いは届かず
投げた足元で
頭なんか掻いて
なんでもないような顔して
ところで、なんて言ってる

いつでもどこでも会いたい
いつでもどこでも会いたい
あの夜のこと夢なのか
あの夜だから夢なのか

思いは届けず
投げた足元で
ため息なんか飲んで
小石のような言葉は
二人を挟む川に落ちてく

いつでもどこでも会いたい
いつでもどこでも会いたい
あの夜は遠い夢なのか
あの夜だけの夢なのか

思いは変わらず
それでも届くように
投げることはできず
なんでもないような顔して
ところで、なんて言ってる

いつでもどこでも会いたい
いつでもどこでも会いたい
あの夜のこと夢なのか
あの夜だから夢なのか

あの夜は遠い夢なのか
あの夜だけの夢なのか

いつでもどこでも会いたい
いつでもどこでも・・・
posted by みつこ at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

自分で考える

どんなに拙くても、自分の頭と自分の体と自分の心を使って生きなくては。
でなきゃこんなもともと意味のないような人生を生きてることの意味もない。
posted by みつこ at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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