2009年05月31日

ハンドスタンドへの気持ちの問題

先週はSIONのライブでパスしたんで2週間ぶりのアヌサラインスパイアド。
終わってから振り返るに、なんかちょっといつもと違う感覚、汗はそれなりにかいたんだけど、頑張った感じが全然しない、あんまりキツいアーサナがなかったからかな?とも思ったけど、壁を支えにまっすぐ立ついわゆる逆立ちの形のハンドスタンドもやったんだけどな。
シャヴァアサナもなんとなくいつもと違う感じで、足の冷えも気にならず、集中できてた感じ、もうちょっと時間が長かったらなあ、もうちょっとあの先に行ってみたかったのになあ、みたいな感じで終了。

ハンドスタンドは始めての人の組(サポート付きで壁に足をつけて上っていってL字になるところまで)と、自分で壁に向かってまっすぐに立つ組と、壁は自分で既にできる組(三人一組で支えなしに挑戦)と三段階に分かれての練習だったんだけど、始めてじゃないけど、一人で壁にはできない気がして、もうきっとできないと思ってしまったからやっぱり自力ではできなかった。これはもう完全に気持ちの問題。怖いと思ってて、決断できないし、一人でやろうとハナから思ってないという…。
先生が始めて組の二人の指導が終わって、サポート必要な人って聞いてくれたのですかさず手を挙げてサポートしてもらった。足首を支えてもらいながらちょっとずつあがっていくのはやったことあったけど、自分の足の勢いで壁まであがるのは始めて、と言ってもその部分ができなくてサポートしてもらったワケだが…w いちおう支えてもらいながらも壁に立つのはたぶん始めてできたと思う。でも思うのは、サポート必要って手を挙げたのは、物理的に足を上にあげてもらおうっていうのじゃなくて、人が介入することによってやらざるを得ない状況に自分を持っていけることが自分でわかってたからだと思う。

できるんだよ私、ホントに、でもできない。ここらへんの気持ちの問題を今後の課題にしてみよう、瞑想とかで。たぶんなにも考えないで流れに乗っちゃえばすっとできるんだろうと思う。
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2009年05月29日

食事と消化について

火曜日に飲んだら、次の日ずっと下痢気味&ガスが多くて、これはたぶん、あたりめ食い過ぎだなw、と思った。トイレの回数が増えるだけで、特にひどい腹痛とかもないので、一日かけてじゃんじゃん出しちゃってスッキリ。野菜中心、肉控え目、できるだけ魚、なるべく玄米、満腹まで食べない、というなんちゃって菜食wを最近心掛けているんで、食べ過ぎ飲み過ぎの時の反応が早い。要らんもんが入ってきたらさっさと排出してしまおうという方向に傾くみたい。

それから、先週、飲み過ぎた次の日のお昼に玄米粥までは良かったんだが、スープでもプラスしようと思ってついカップスープのクラムチャウダーを買っちゃったらこれがすごい味で、なんだか異常に味が濃くて、それもただの塩のしょっぱいのとは違う化学な味の刺激で、失敗した〜と思った。ついこないだまで土曜日の朝/昼とか、サンドイッチとカップスープのクラムチャウダーとか食べて結構ヘルシーだと思ってたけど、全然ダメね。シンプルな食事を心がけているうちに味覚が敏感になってきたみたい。

この食生活に慣れて無理なく続くようになってきたら、もう一歩、玄米菜食に近づいてみよう。

今日のYogi Tea
〜Open up to infinity and you become infinity.〜
infinity=無限性、無限の宇宙(時間・空間)
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2009年05月27日

Yogi Tea

Oneness is achieved by recognizing yourself.
一体性(ワンネス)は自己認識によって達成される。

Yogi Teaのレモンジンジャーを通販で買って飲んでるんだけど、ティーバックのなんつーの紐の先の持つところの紙のタブ(?)のところに、なんかしらひとこと書いてあることに気付き、なんかたぶんヨガの"words of wisdom"って感じのことかと思うんだけど、せっかくなのでそのまま捨てて忘れるのももったいないので書き留めてみる。
ラベル:YOGI TEA
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ヨーガに生きる−中村天風とカリアッパ師の歩み

ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み [単行本] / おおい みつる (著); 春秋社 (刊)
ヨーガに生きる―中村天風とカリアッパ師の歩み [単行本] / おおい みつる (著); 春秋社...

これはホントに三郎(中村天風)とカリアッパ師との対話が非常に興味深い。

「壺の中の水」(P74〜)

(三郎に水の入った壺と、お湯の入った壺を用意させて)
「湯を、こちらの壺に入れてごらん」
「えっ……?この中へですか?」
と三郎はいぶかしげに聞いた。
「そうだ」
「でも……水がいっぱい入ってるんですが……」
「そうだな。お前が入れて来たのだからな」
「………?」
「で、お湯が、その壺に入るかどうか、入れてみなさい、と言っているのだ」
「それは……入りません。こぼれてしまいます」
「こぼれるな。お前にも、それが分かるのかな」
そう言われた三郎は、馬鹿にするにもほどがある、と腹立たしげに言った。
「そんなことは、子供だって分かります」
「そうか。それなら、先ほど私が言ったことも、分かるだろうな」
「えっ……?」
「どうだ、少しは分ったか」
「あのお話と、これと、いったいどういう関係があるのですか。私はただ、今日からでも教えてください、とそう申しあげただけです」
「分からない男だなお前は。私は、お前がそれほど愚かだとは思わなかった」
(中略)
「お前の心の中は、この壺と同じで、冷たい水がいっぱい入っている。だから、私がいくら温かいお湯を入れてやろうと思っても、それは皆、こぼれてしまう。お前が水を空けて来れば、私もお湯を注いでやれるのだが、お前は、いっこうにその水を空けようとしないではないか」
「………」
「私は、毎日お前の姿を見るたびに、いつになったら水を空けて来るのか、そればかりを心待ちにしていたのだ」
「………」
「役にも立たない、くだらない理屈をいっぱい詰め込んでいるところへ、私がいくら素晴らしいものを注ぎ込んでも、お前はそれを、無邪気に受け取らないだろう。受け取れない人間に、ものを教えるなんて無駄なことだ。私はそんな無駄事をするほど愚かではない」
それだけを言いきると、カリアッパ師は、家の方へと歩んで行った。
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2009年05月26日

せっかくよ生まれてきたからよ

なんだか、、、あまりに仕事がない、、、
もう私はこの職場では受け身に徹しているので(それでもまだ積極性を求められたりもするが)、この頃は日々を新しく読みたい本や情報の題材を探してネットサーフィンばかり。残業しないでヨガに行けるしゆっくり生きられるのでこれはちょっと前に忙しすぎてもっとゆっくり生きたいと思っていたことが実現したと云えるので、一面ではよかったことと思っていた、いまも思っている、が、一方でこのまま仕事がないとなると給料ももらえなくなる可能性があるし、収入が減ったら困るだろうとも思う。まあ、実際のところどういう風にかはわかんないけどなんとかなると思っているので、そんなに焦燥感とかないのだけどな。

もうすっかり粗食でいいと思って生活しているので、食費はそんなにかからないだろう。
本もCDも買いたいと思わなくなっちゃってみんな図書館で済ませようとしているのでそれも平気。
ライブにはSIONには会いに行きたい。
テレビは全然見たくなくなった、
いろんな意味での情報の入手はインターネットができればたいがい困らないだろう、インターネットや本にない情報は自分に必要だったらどこからでもやってくるのだし。
住むところは必要だから家賃は払わないとね。
ヨガは続けたいので会費を払いたいな、とか。
2012年までは奨学金の返還をする。

や、なんか金があるとかないとか考えても無駄だね、やめよ。
私はこの人生で何をしたいのかな?ってことが大事。

生きていることをしっかり味わって死にたいなと思う。
とりあえず人間の単位で何十年とかの間、この体を使わせてもらうことになぜだか知らないけどなっているみたいなので。

なんて思っている自分もすごいよなーと思う。どうせいつか死ぬんだったら、さっさと終わればいいのにって思ってたのに。たぶん最後にそう思ってから1年経ってないんじゃないかと思うんだけど。これは、ホントにヨガの効用だろうと思う。そして、いまいろんな本を読んだりしているけど、それも「信じるな。疑うな。確かめよ。」ってことで、実践してみないとわかんねってスタンスで、なんでも真に受けるのが癖だった私がねー(感慨深…)。最近特に思うのは、たまーに気まぐれでテレビ見てるとき、自分が今までと違うものの見方をしているなーって思う。深く考えずに情報を受け取って取り込んで、確かめもせずにそういうもんなのかって思ってたことがいっぱいあったけど、それってホントにそうなのかな、って一旦下に置いてみたり、それ以前にもうこれおかしいでしょってわかっちゃったりもする、まあそれもまだまだなレベルでの気付きだとは思うけど、知的レベルでそういうことを判断するんじゃなくて、もっと直観的にとか魂の部分でホントのものを見極められる目を育てたいと思う、そうやって自分がもっとシンプルに生きれるようになったとき、それが誰かの役に立つとか云う他者に向かっての発露になっていくのも面白いかもしれないと、少し思う。

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posted by みつこ at 17:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

山岳

最近チベット医学の本を読んだり、ヨガの修行の場所とか、昨日から読み始めた本がまた中村天風さんがヒマラヤ山麓でのアシュラムに向かっていたりで、なんだかその山岳地帯のイメージがその度に「言の葉の樹」を思い出させる。

言の葉の樹 (ハヤカワ文庫SF) [文庫] / アーシュラ・K・ル・グィン (著); Ursula K. Le Guin (原著); 小尾 芙佐 (翻訳); 早川書房 (刊)
言の葉の樹 (ハヤカワ文庫SF) [文庫] / アーシュラ・K・ル・グィン (著); Ursu...

以前に読んだときは、どうしてもやはり著者がアメリカ人っていうのが頭にあるせいか登場人物がどんなに異星人でも異国人でもなんだかやっぱり欧米なイメージから抜けきれずにいたけど、サティが辿り着いたあの山は、ヒマラヤ山脈のどこかみたいな場所だったのかな、なんて想像するようになった。
近いうちにもう一度読み返したいなあ。
posted by みつこ at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

CD大量処分

ちょっと前に本を大量処分して、来週はCDと思ってたけどなかなかできず何週間か経っちゃったけど、昨日と今日で終了。CDは取り合えず全部iTunesに取り込んじゃっとけば後でいくらでも聴けるからよほどこだわりがあるの以外は全部売ることにした。データそのものはそれはそれで大量なので、これからちょこちょこ整理していかないといけないけど…。CDそのものを残したのは、チェ絡みとSIONと未映子くらいかな。枚数は数えてないけど、取り込んだ曲が1,000曲以上だから100枚以上はあるんだろうと思う。これで半分以下に減ったかも。
たぶん今後はそんなにCD買わないだろうし、ちょっと聴きたいくらいならネットで聴くだけならできるし、図書館とかレンタルで借りればいいし、買いたいと思うのもiTunes storeでデータだけ買うことにしようと思う。SIONとチェ絡みだけはどうしてもジャケットとかもちゃんと見たいので実物を買うけど。

モノはそんなに持っていなくてもいいやって思うようになったのは、ホントに自分の中で画期的だと思う。なんでもかんでもかき集めて、持っていることそのものになんかの意味を見いだしてたんだろうけども。あとはなんでもデータ化できるようになった時代って云うおかげもあるけどな。でも、最終的には自分にとって何が必要かってのをちゃんと感じれるようになった自分って云うのが大きい。

目に見えるところにあふれてた本とCDはとりあえずすっきりしたから、今度は押し入れに詰まってるそれこそ売れもしないので捨てるしかないようなモノをちょっとずつでも処分していきたいなと。

これで、また新しいものが入ってくる余裕が増えた、物理的にも心理的にも。ま、物理的にはもう増やしたくないと思うけど。

あ〜スッキリ。
ラベル:CD 音楽 手放す
posted by みつこ at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

SION with Bun Matsuda 5/22 LOFT


SIONはたぶん前回の時と同じ、赤いパンツ、黒いシャツ、焦げ茶色のブーツ、今日は滝のように汗をかいてた。もうすぐ6月だもんなあ。

いきなり「ガード下」で、ずっしりと始まり、息をするために吹いているみたいなハモニカが、激しかった、左足を前にあげて強く振り下ろすようにならす踵、1曲目からもうそんなに鷲掴みにしてくれちゃうんだ、なんてまっすぐな、最短距離で心に届いてくる姿。

なぜかこの1曲目を聴きながら浮かんでたのは、気が狂ってた時に見えてた世界は意外ときれいだったかもって以前に思ったけど、この先、瞑想しながら宇宙や自分の内側との繋がりを深めていったら、世界の見え方がもう一回変わるかも、そうしたらまた違う次元からのきれいな世界が見えるんだなっていう感覚、それの予告編がいま一瞬SIONのステージで垣間見えた気がしたなんて思ってた。

開演待ち中の想像の中に登場したSIONは「午前3時〜」からスタートだったのだけど、と思ってたら「午前3時〜」、そのまま文さんとの前半戦にお馴染みの「夜しか泳げない」、「同じ列車に〜」と続く。アコースティックだしテンポ自体は割とゆっくりな曲なのにいつにも増して激しく動くからすぐに汗だくになってた。「久しぶりの唄を…唄えるかな?」とか云いながら「SORRY BABY」。あ〜ホントに久しぶりですよ、なんか懐かしさにまた勝手にSIONが涙ぐんでるみたいに見えてしまった。泣いてるんじゃなくて、たぶん汗が沁みるんだろうけど。

「レコーディングが終わりました」って嬉しそうに報告、で、文さんが始めた演奏は聴いたことないフレーズ、新曲だ。タイトル云わなかったけど、雨と鏡のフレーズ、そしてサビでホントにやられた。「人はひとつだ/みんな同じだ/バカ言ってんじゃねえ/みんな違うからのたうちまわってんだろ」って。そんで最後は「みんな違うからのたうちまわってんだろ/みんな違うから殺し合ってんだろ/みんな違うからわかろうとするんだろ/みんな違うからわかろうとするんだろ/わかろうとするんだろ」って繰り返す。「のたうちまわってる」だけで、グッサリ刺さったのに、「みんな違うから殺し合ってる」って聞こえて、グッサリが背中まで突き抜けちゃったよ。でも、前半の雨のフレーズのところは、細かい雨が平等に世界に降ってくるみたいなイメージで、濡れた世界が鏡のように心を写しているような印象の歌詞だった。みんな違う、けど、わかり合おうとする、でもみんな違うって繰り返すけど、だけどそれでもみんな違うから本当は人はひとつだ、人だけじゃなくて雨も世界も本当はひとつだ、私はそう思うけど、SION、みんな違うからって云うのはみんな同じだってことだと云っているのじゃないのSION?

ああ、新曲の衝撃とそこから前後からの押され具合と、隣の男がSIONの次にでかい声でずっと唄い始めて…で集中力が途切れ気味だったのもあって、記憶が…。

「Hallelujah」の後くらいでホントに暑くなったみたいでシャツを脱いでTシャツになった。黒いからはっきりわかんないけど、じっとり汗で濡れているTシャツ、背中に羽が生えてるデザインのツアーTシャツかな?左胸のバラのタトゥーがちらちら、そしてVネックのVの真ん中の少し左寄りを縦に結構大きな傷痕が…。これもやんちゃな頃の痕だろうかね。右手のサポーターが丸出しになるのでつい見ちゃうけど、あれ結構がっちり固めてるんだな、特に手首なんてギブスみたいだよ。右腕は自由が利かないせいもあるんだろう何回か骨折もしているみたいで、その度にますます動かなくなっていったんだろうな。

最後「Happy」で、ステージの一番前まで出てきてくれて、ホント1m以内の距離のところにSIONがいて唄ってて右目の泣きぼくろがよく見えて、もうすぐ顔にも触れそうに近くて、しばらくたぶん真顔でじっと見てしまった、、それからはって思って嬉しい自分に気付いて笑顔になった、反応がずれてる…w

新しいアルバム、楽しみだ。今日の新曲、はやくじっくり聴きたい。
そして8月の野音、そう青空の下で、SIONに会いたい。

---
ガード下
午前3時の街角で
夜しか泳げない
同じ列車に乗ることはない
SORRY BABY
新曲
Karan
光へ
Hallelujah
マイナスを脱ぎ捨てる
Happy
posted by みつこ at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

瞑想/宇宙/宗教


死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる (講談社BIZ)

死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる (講談社BIZ)

  • 作者: 成瀬 雅春
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/01/29
  • メディア: 単行本




特別対談 苫米地英人(脳機能学者)×成瀬雅春
「長寿と平和をもたらすヨーガの時代がやってくる」

時間は未来から過去へ流れている(P244〜)
苫米地:
実は、時間というのは、過去から未来へ流れているのではなくて、未来から過去に流れているんです。現在の物理的な存在も情報も、すべて「未来の結果」であって、因果の「因」は未来にある。ということは、現在の状態をよく見れば、未来の出来事が全部わかる。


宗教と思考停止(P251〜)
苫米地:
宗教とは何かというのは大きなテーマですが、やや乱暴に言うと、「自分で考えるのをやめさせるシステム」もしくは「自分で体験的知識を手に入れることをやめさせるシステム」です。僕は別に、信仰心を持つことが悪いとは言いません。ただ、与えられたバイブルを読み、あるいは与えられたお経を読み、それをそのまま朝から晩まで繰り返すことが宗教的行為だとされています。

成瀬:
ヨーガは、それとはまったく逆に、自分で考えて探求するものだから、思考停止を拒絶するわけです。自分の感性、これは霊性と言ってもいいんだけど、それを高めていって、自分を見つめて、「自分は何なのか」ということを知っていく作業です。
(中略)

成瀬:
人間は、与えられるほうが楽なんです。どんなに大変そうに見える苦行でも、「これをやりなさい」と言われて、その通りにやっていればいいのであれば、実際は楽なんですよ。でも、自分の頭で考えて何かをやるのは、基本的にそんなに楽ではない。人間はどうしても楽なほうに走りがちですから、「うちの教団に来れば、あなたは生涯幸せですよ」と言われたら、「ああ、そうか」と思ってしまう訳です。行ってみると、与えられたことをやればいいだけなので、本当に楽しくて幸せな気分になれる。

苫米地:
成瀬さんは、ヨーガ教室の生徒さんたちにも、自分で考えるようにと指導されている訳ですね。

成瀬:
たとえば「ひねりのポーズ」を教えるときには、「ひねったとき、自分が今何を考えているのか、どういう状態になっているのか、観察してください」と問いかけるんです。そうすると、言われた人たちは、「自分はどうなっているのだろう」と考え始める。瞑想と言うと、思考を停止させるようなイメージがありますが、そうではなくて、逆に自分を見つめて思考する方向へ導くようにしています。

誰かが決めてくれたことをただやるだけの方が楽なんだよ、っていうのまさに私自身が宗教団体から離れようとしてあーじゃないこーじゃないやってたときに考えてたことだな。
posted by みつこ at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

LADY JANE

昨夜は結構飲んだので、今日は頑張って消化している体を特に肝臓をいたわって、昼もお粥にしよう、そして体の様子をよく観察するいいチャンスだと思う。
でも最初2杯ワインで、あとはずっと金柑酒お湯割りだったし、そんなに食べなかったし(チーズ盛り合わせ、ピクルス盛り合わせ、ミックスナッツ、うどん)、うどんおいしかったし、なかなかいい飲み方だったのでは。

とあるテーマについてぶっちゃけて話せる相手はあの人くらいだったから話せてよかったと思う。会いたかったのはこのためだったんだろうな。自分の中ではだいぶ消化されているし、だけど未消化の部分があることもわかるし、自己観察はなかなかできているのだけど、それを人の視点から話してもらえたのは良かったのだと思う。

概しておやじらはなんにつけ持論を展開せずにはいられないみたいだから、その辺に自分なりにどう反応していくのかの観察も面白かった。結構飲んでるわりにはいちいち自分の感情の動きを確認しながら話せて、例えばそれはどうだろうってことを言われても、否定か肯定かだけで反応しないでいられるようになっている自分を発見。返事をする時も、焦らず何秒か考えて答えようとしてるのも、自分の中では新しい感じだった。その考えているのが相手には憮然としているみたいに見えたりしたらしいが、だからと言ってそれを必死に否定しなくてもいいやと思ったし。

まだ未練があるんだろうってしつこく云われたけど、それは否定しない。今の私を見てそう感じるのだからそうなのだろうし、自分でも感じるし、それでもいいと思う。それが未消化の部分なんだと思う。ただその先に、じゃあいまどうしようかってことになると、そんなのかまわず会いに行きゃいいじゃんってなるけど、私の心=体はそうは言っていないわけで、そこは私の視点では未消化なものだからじっくりと消化していきたいので、そこに更に消化しないといけないものを追加したくないということなのだ、きっと。彼の視点ではそれは未練と思っているから、我慢するなと云いたいのだろうと思うけど。

ん〜なんかいろんな気づきがあった飲みだったことよ。
観察力が育っている手応えがあるよ。
posted by みつこ at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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