2009年06月29日

風邪ひいてたのかも?w

金曜日あたりから、朝鼻かむと黄緑色の塊が大量にでて(汚い話でシツレイ)、のどのいがらっぽさも気になってて、パルミコートを減らして1日1回で続けてるから影響が出て来たのかなと思ってたが、今日あたりから黄緑の鼻は減り始めているので、これってもしかしたら風邪だったのかもね?と今日ちょっと思った。
というのは、野口整体の野口先生が「風邪の効用」で、私の風邪はくしゃみ3回で治るとか言ってたのを思い出したから。
熱とか出なかったけど、鼻で菌を食い止めてくれて、のどもちょっと頑張ってくれてたのかもと思った。これも体の機能がちゃんと働いてるってことなんだな、きっと。
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2009年06月24日

超越的目撃者

瞑想とは書いてないのだけど、これはひとつの瞑想と言えるでしょう。

「無境界」ケン・ウィルバー
9章 超越的自己 ◎超越的目撃者

最初にケンタウロスの自覚を二、三分実践する。個々の言葉のもつ意味をできるだけ生き生きと感じ取りながら、次の文章を自分自身に対して静かに暗唱する。
わたしは一つの身体をもっている。だが、わたしは自分の身体ではない。わたしは身体を見ることも感じることもできる。見ることができ、感じることができるものは、真の見る者ではない。身体が疲労していようが興奮していようが、病んでいようが健康であろうが、重かろうが軽かろうが、自分の内なるわたしとは何の関係もない。わたしは一つの身体をもっている。だが、わたしは身体ではない
わたしは欲求をもっている。だが、わたしは自分の欲求ではない。わたしは自分の欲求を知ることができる。知ることができるものは、真の知る者ではありえない。欲求は去来し、自覚に浮かんでくる。だが、それらは自分の内なるわたしには影響を与えない。わたしは欲求をもっているが、わたしは欲求ではない
わたしは感情をもっている。だが、わたしは自分の感情ではない。わたしは自分の感情を感知することができる。感知されうるものは、真の感じる者ではない。感情はわたしを駆け抜ける。だが、それらは自分の内なるわたしには影響を与えない。わたしは感情をもっているが、わたしは感情ではない
わたしは思考をもっている。だが、わたしは自分の思考ではない。わたしは自分の思考を知り、直観することができる。知りうるものは、真の知る者ではありえない。思考は去来するが、それらは自分の内なるわたしには影響を与えない。わたしは思考をもっているが、わたしは思考ではない
これを−できれば数回−行ったのち、できるだけ具体的につぎのように確認する。わたしはその後に残った純粋な意識の中心であり、あらゆる思考、感情、感覚、欲求の動じることのない目撃者である。



無境界―自己成長のセラピー論

無境界―自己成長のセラピー論

  • 作者: 吉福 伸逸
  • 出版社/メーカー: 平河出版社
  • 発売日: 1986/06
  • メディア: 単行本


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2009年06月21日

あらゆるものがいつでもそのままで完璧

無自覚な人でもやっぱり肉体から離れるその時にはなにかしらの気づきに辿り着くのだろうか

とかいうことを思いながらまた、病気で死ぬ人のドラマを見ている。
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2009年06月19日

オールウェイズ・カミングホーム

久々に読んでるアーシュラ・ル=グウィン。ずっと未来の話という設定なんだけど、科学技術は滅びていて、自然とともに暮らす人々。宗教ではないけど、独自の自然の解釈があり、やっぱりここでも世界観が確立している。さすが、アーシュラ。


オールウェイズ・カミングホーム〈上〉

オールウェイズ・カミングホーム〈上〉

  • 作者: アーシュラ・K・ル=グィン
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1997/02
  • メディア: 単行本



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2009年06月15日

いのち満喫

藤木直人が出てるドラマを見たいなあと思ってダウンロードした「1リットルの涙」なんだけど、見始めたらやめられなくなって朝方まで涙と鼻水を流しながら見てしまった。

これの前に見た「愛し君へ」もそうだったが、治療法が今のところないとか言われている病気について。治療法がないというのは、現代医学での話で、ここでこの人たちがいわゆる代替医療を検討したらどうなるのかってのをいつも考えてしまう。呼吸法や瞑想によって、あるいはホメオパシーとかアーユルヴェーダとか。

そういう治療法についてまじめにドラマにしようとするにはまだいろいろな支障があるのだろうと思うが、そんなもんどうでもいいのに。商業として設定として「不治の病」ってのが大事なのかも知らんが。実際に代替医療を取り入れて治療している、完治したあるいは寛解したという例もあるに違いないが、そういうのはドラマじゃなくてドキュメンタリーの分野になるのかな。あるいは、大変な状況を精神的には乗り越えて肉体的には死んで行って、でも残されたなにかがあるみたいなお決まりの抽象的な残されたものじゃなくて、死んでも実際問題として魂は残っているとかそういうことを描いたものはないのかな、生きているうちにその人が自分の肉体がなくなっても自分自身(魂)は永遠に生きるという確信に到達して死んで行けばそれでいいのかしら、しかしそうなるとちょっと宗教的でドラマにするには難しい問題にやっぱりなっちゃうのかな?仏教とかキリスト教とかで救われるみたいなことだとやっぱり結局抽象的になって終わる気がするし、そうじゃなきゃないで過度にニューエイジっぽくなってあやしくなりそうだし、そういうの見たい人はスピリチュアルなんちゃらの番組の方に行っちゃうってことかな、あるいはファンタジーとして描かれてしまうってことか・・・。

薬を使わないで治す医者のリストのうち、東京女子医大附属の青山自然医療研究所クリニックのHPを見てみた。
http://www.twmu.ac.jp/AWNML/N/top/
初診の合計19,000円、再診は1回7,000円。保険適用の医療と比べてべらぼうに高い。これだって医療には変わりないのに。というかこれこそが医療じゃないのかと思うのだけど。健康保険ってなんなのだろうなあ。

この女子医大の自然医療研究所のページには、「人間を「体・心・霊性」等から構成される存在ととらえ」ということまで書いてある。こういう医療をもっとサポートすることが必要になってきているんではないかと思うよ。

医療問題は別として、ドラマ自体は病気だからどうということじゃなく人間の人生の苦しみについてとか、人間同士の繋がりと愛についてとかを感じることができるから見るのは好き。たぶん病気がテーマだと当たり前にある苦しみや喜びがよりクローズアップして描かれるから感じる強さも違うのだろう。

こないだ読んでた「アミ 小さな宇宙人」の中にもあったように、みんな普段は催眠状態で、人生が瞬間瞬間美しいということを感じることができるようになるひとつのきっかけとして病気の苦しみというものが現れるのだろうと思う。本当の意味でこのいのちを満喫するために。
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2009年06月13日

みんな催眠状態

「神は人間のかたちをしていない。かたちはなく、きみやぼくのような人間ではない。無限の存在であり、純粋な創造のエネルギー、かぎりなく純粋な愛だ……」

「小道を歩いてきたときのことを思い出してごらん?」
「うん、思い出しているよ」
「あのときはすべてがいつもとちがっているように感じたね。すべてが美しく見えたろう?」
「うん、あのときは催眠状態だったんだね……たぶんきみがかけたんだろう!」
「あのときは目ざめていたんだよ!いまは催眠状態でねむっている。人生には少しもすばらしいことがなく、きけんなことばかりでいっぱいだと思いこんでいる。潮騒も耳に入らなければ夜の香りも感じない。歩いていることも、ほんとうに”見る”とはどういうことなのかの認識もない。呼吸することも楽しまない。きみは、いまは催眠状態にいるんだよ。否定的な催眠状態だ。ちょうど戦争をなにか”栄光”のように感じでいるひととか、自分の考えに同意しないひとをみな敵だとみなしているひととか、制服を着ているだけでなんだかえらくなったように感じているひととおなじようにね。これらのひとたちはみな、催眠状態だ。催眠にかかっていて、深くねむっているんだ。
 もし、人生やその瞬間が美しいと感じはじめたとしたら、そのひとは目ざめはじめているんだ。目ざめているひとは、人生は、すばらしい天国であることを知っていて、瞬間、瞬間を満喫することができる……」


アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)

アミ小さな宇宙人 (徳間文庫)

  • 作者: エンリケ・バリオス
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 文庫



どこかのブログで紹介されていて読んでみた。
子ども向けに書かれている(というより子どもが書いている)という設定ながら、十分に大人たちに向けたメッセージになっているよなあという感じ。というかこういう設定の上で大人向けに書いたというのが著者の意図かもしれないけど。
メッセージとして伝えたいことは理解できたけど、ファンタジーとしてみると、ファンタジーなりのリアリティ(矛盾しているように見えるが作り込まれたファンタジーはその世界観の中でちゃんとリアリティがあるもんで)に欠けているのが残念だなあという印象。地球以外に暮らす人たちの様子の描写も、いわゆる労働の部分をすべて機械化してしまって精神的な霊的な部分だけで生きているという生活様式も、未開文明の人々に愛を教えるみたいな考え方も、ちょっと単純化し過ぎて描いているように感じた。

神という概念は、いつか気付いたように、神とは、世界であり、宇宙であり、すべてのものを存在させるエネルギーつまりプラーナであり、自分自身であり、そこに潜在的に肯定的な意味も感じていたけど、神とは愛であるということによって、そこに具体的に肯定的な意味合いを重ねて理解することができると、生きていることに喜びを感じることがより近づいてくるように思った。その辺の基本姿勢は共感する部分もあるけど、そんな一律に単純化できるものでもないと思うのだけどなあと、読みながら引っかかる部分もいくつもあったので、子どもに読ませたい本かと言われるとそうでもないし、これを読んで手放しで絶賛できる大人の人もどうかと思ってしまうかも。
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2009年06月10日

薬をやめる

アレルギー性鼻炎のサプリに続き、喘息にいいサプリもリサーチ。
喘息もアレルギーの一種なんで重なる部分はもちろんあり、後は前に本でも読んだけど「冬虫夏草」がやっぱりいいらしい、でも高い…。
で、Yogi Teaのレモンジンジャーががそろそろなくなるので同じのか、またはYogi Teaの別のとかにしようかと見てみたら、スロートコンフォートとかって喉にイイ、咳にイイとかってのがあったりするので、他にも喘息に効くお茶もあるんじゃないの?と思い調べてみたところ、びわの葉のお茶ってのがイイらしい、他にヨモギ、オオバコ、どくだみなども。お茶はたいてい毎日飲むものだから続けやすくてイイよね。しかし、お茶ってそう高いもんじゃないから(というかそんなに高いのは買わないし)、ネットで送料無料にするには他にもついでのものを探さないといかんなー。

今読んでるのは安保さんシリーズ(自分の中でのシリーズw)2冊目。


「薬をやめる」と病気は治る―免疫力を上げる一番の近道は薬からの離脱だった

「薬をやめる」と病気は治る―免疫力を上げる一番の近道は薬からの離脱だった

  • 作者: 安保 徹
  • 出版社/メーカー: マキノ出版
  • 発売日: 2004/03
  • メディア: 単行本




免疫の仕組みとかは以前読んだやつと同じことが書いてあるんで、確認しつつ軽く読んでいて、では、具体的にどうやって薬をやめていくかってところを参考にしていきたいと。

おとといと昨日と二日続けてウチの人が頭痛いというのでマッサージをしてあげて、もうまさにこの本で読んでるところだったから、頭痛薬は飲まない方がいいというのを話して肩〜首〜頭〜顔とほぐしてあげて、脳呼吸を教えてあげて、後はストレッチとかするようにってアドバイスしたら、今日は頭痛が治ったって云って、「おめーすごいな」ってメールがきてた。自然治癒力の背中を押すみたいなことができたのだったら嬉しいなと思う。

<薬を使わず治す医者リスト>
水嶋クリニック 水嶋丈雄
福田医院 福田稔
田島外科医院 田島圭輔
香我美町立山北診療所 伊藤泰雄
東京女子医大附属青山自然医療研究所クリニック 班目健夫

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〜今日のYogi Tea〜
Man is as vast as he acts.
(vast=広大な、非常に広い、広漠とした、巨大な)
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2009年06月09日

今日のYogi Tea

Love, compassion and kindness are the anchors of life.


anchor
1.碇(いかり)
5.最強の部分、頼みの綱
ラベル:YOGI TEA
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2009年06月08日

30歳を過ぎて3年

最近自分の年齢というのを考える。
空海の入唐が32歳頃、昨日の佐々井師の渡印が31歳、ケン・ウィルバーが「無境界」を書いたのが30歳、

こんなすごい人たちと比べて自分はダメだとか云うつもりは毛頭ないけど、自分なりの転機みたいなもんがやっぱりあるのじゃないかと思う。

最近、よくあの人のことが浮かんでくるのはなんなのだろう、しかも、今の自分ならあの人とこういうふうにやっていける、みたいな想像というか妄想というかシミュレーションというかそういうことを考えてる、具体的に考えているというよりもそういうシーンが時々頭に浮かぶという感じ。でも現実的にそうなる可能性があるわけでは全くなくて、自分自身もそれを求めてなどいないわけで、夢に出てくるのはウチの<少年>のあったかいお腹wとかなのにな。こうやって"out of sight, out of mind"になっていくことの最後の輝きみたいなものなのかしら…。
ムリに忘れようとする必要はないってことを自分で受け入れてからは、こういう気持ちも浮かんでくるままに眺めていられるようになったなあ。私の記憶の中のあるいは想像の中の人と、現実のその人とは何の関係もなくて、今現在のその人がどういう人でどんなことをしてるのかは私は知らないのだし、これからも知らなくていいと思ってる。少しずつ薄れていく存在をゆっくりゆっくり見送っているような気もする。

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誰かや何かと比べたりしても意味ないことで、過去や未来のことと比べても何も変わらなくて、ただ「いま」と「ここ」しか感じることはできないのだから、どこかへ行こうとせずに、いまここで生きていることを最大限に感じることが、たったひとつのできることなのかもしれん。

〜今日のYogi Tea〜
Love what is ahead by loving what has come before.

不思議だけど、過去とか未来とか記憶とか考えてたらこういう言葉がやってくる。
ラベル:内観 YOGI TEA
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2009年06月07日

佐々井秀嶺師/空海

佐々井秀嶺師東京最終公演@護国寺

ネットでたまたま講演会の情報を知って、なんだか深く考えずにこれは行かなきゃって思って行ってきた。
参加者の大半はきっとすでに「破天」とかを読んでいての参加なのだろうけれども、私は逆になるけどとにかくもう日本には帰国しないだろうという情報もあり、44年一度も帰国せずすでにインドに帰化されているのだし、これが最初で最後の来日だということなので、よくわかんなかろうとなんだろうとこれはなんかの縁だろうと思って。
結果、行ってよかった、とても。
一番弟子の方が、「破天」を書いた山際素男さんが今年の3月に亡くなってという話しになった途端に声を詰まらせて先が話せなくなったのを見て、その人の書いたものをきっと読まなくちゃと思った。佐々井師自身も山際先生と、「先生」と、呼んでいた。私は最近亡くなったことさえも知らなかったけれども、今回の講演会で聴いた話し、よくわからなかったところも多いけど、これからもっとよく知りたい分野だなと思った。また読みたい本のリストが増えちゃったな。

質疑応答の最後の質問で、インド仏教の実践で瞑想はするのか?という質問に、アンベードカル師のインド仏教はいわば闘争仏教であり、目の前の苦しんでいる人々を救うための行動が最優先で、瞑想を重視していないということであった。しかし、別の言い方をすれば、じっと座ってすることだけが瞑想なのではなく、そのすべての行動の中に瞑想も同時にあるのだとも言えるではないかと解釈できるお話もあった。

仏教を大乗/小乗に分けて考えない、ましてや日本の宗派のようなものにとらわれもしないというのは、大事な部分だなと思った。今回の来日で各宗派の宗祖の誕生地あるいは入滅地をくまなく訪ねてご挨拶をしたと言っていた。教育問題などについての質問には宗派を超えて仏教界全体が協力して国に働きかけていく必要がある、頑張ってほしいという話もあった。

私の個人のことでいえば、宗派がなんであろうと幼少から仏教に接してたのは、今回の講演を理解する助けにずいぶんなったなと思う。
他にもいろいろと印象に残った話しがあったけど、今全部は書き留めきらないし、これから日々の中で思い返しながら、考えたり行動する時のなんらかの指針にしていけたらと思う。

今ちょうど陳舜臣の「曼陀羅の人〜空海求法伝〜」を読んでいてその中で空海もいかに衆生救済をするかということを常に考えていて、出家なのだからそりゃそうだろ、とも云えるのだけど、今回この本を読もうと思ったのはヨガ繋がりだったので、ヨガの実践の中で自分の中の探求だとか解脱とかそういうことの方に目がいっていて、仏法者の本来の目的である衆生を救うって方には意識がいってなかったのでなんだか新鮮だった。宗教家としてではなくて、ひとりのヨギとしての空海の姿を求めて読み始めた小説だけど、計らずも今回の佐々井師の講演とも重なって、人のために何ができるのか?っていう部分を忘れないでいたいなって気持ちも持つことができたと思う。もちろんまずは自分のことからだし、人のためなんてわざわざ考えるとまたおかしな方にいくと思うから、それは自然の気持ちに任せておけばいいとは思うけど。

そう、今日の会場となった護国寺が真言宗のお寺であったことも偶然ではないだろう。いろんなシンクロニシティ、流れに逆らわずに楽しみながら流れて行こうと、流されてじゃなくて、自分の意志で流れに乗って流れて行ってみようと思う。

曼陀羅の人〈上〉―空海求法伝

曼陀羅の人〈上〉―空海求法伝

  • 作者: 陳 舜臣
  • 出版社/メーカー: たちばな出版
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本




破天―一億の魂を掴んだ男

破天―一億の魂を掴んだ男

  • 作者: 山際 素男
  • 出版社/メーカー: 南風社
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 単行本




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追記
ジャーナリストの有田芳生さんのブログで昨日の講演のことが書かれていて、私がニュアンスしか思い出してなかった部分の言葉が引用されていた。
「生きることが座禅であり、真言なのです」

それから、もう一つ引用されていた言葉で、別の質問で、体と心を健康に保つ秘訣は?というのに対しての話しで、私の体は傷だらけです、だけど医者も薬も嫌いです、ということに続き語られたのは、「信念、使命、自覚が行動の源」ということだった。身体の物理的な健康状態に関係なく、信念、使命、自覚という精神の力がこの人の命を燃やしているのだというのが強く感じられた言葉だった。
posted by みつこ at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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