2010年01月31日

なんでヨガをしてるんだっけ

瞑想の時間をがっつり確保するヨガのクラスってありそうでなかなかないもので。アーサナは瞑想を深めるためのものであるはずなんだけどね、本来は。
普段よく行ってるヨガスタジオとかでももっと瞑想に時間をとってくれるクラスがあるといいのになあと、かといって以前に瞑想のワークショップに参加したときには、アーサナとか呼吸法がなくて、講義と瞑想の繰り返しで、それはそれで瞑想そのものへの導入がうまくいかない感じがして、やっぱり両方をバランスよくできるクラスがあるといいのになあと常々思っていて、で、ちょっと興味をもったクラスがあったので、参加してみた。

全体として、あくまでも瞑想がメインで、でも、瞑想だけをするのではなくて、そのためにアーサナをする、呼吸法をする、という、いうなればヨガのまっとうな姿により近いのではという感じがして、こういうのがよかったんだよ、ホントに!って思った。

アーサナは坐位が多くて、関節をよくほぐすものが中心という感じで、ゆっくり丁寧に動く。
アーサナは瞑想にはいるための準備というスタンスなんで、アーサナそのものについて、ああしろこうしろという細かい指示はあんまりない。アーサナそのものを追求することが全然ないのがかえって新鮮なくらいで(もちろん大事なポイントは指示するけど)、いつもはどれだけアーサナに執着してるのか、してないつもりでやっぱりしてるんだなって改めて思った。

呼吸法とアーサナで準備万端にできたおかげか、瞑想もいつも自分でやっているときよりも、より静かなところまでいけた気がして、なかなかにいい経験だった。

いろいろと思うところもあったが、自分の中のことも人の中のことも同じことなんだという視点に立ってみると、誰かの気になる言動も、まあそれもありか、と、あんまり深追いしないでいられるようになってきたかも。

アーサナや呼吸法は、瞑想のための基礎作りであるのだけど、瞑想そのものだって生きるための手段のひとつなので、それを目的と勘違いしないように、と気づかせてくれたんだと思う。
posted by みつこ at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やっぱり異才

HARCOの「グラデーション366」
ついつい聴き続けちゃう。飽きない。

シンクロの世界

シンクロの世界

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: V2レコーズジャパン/コロムビアミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 2000/11/01
  • メディア: CD



posted by みつこ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うはは…

宝くじで一千万円当たるようなことでも、究極的には、さざ波のような変化なんです。それまでより豪華な環境のもとで、相変わらず同じパターンをくりかえしていくからです。

宝くじで三億円当たって、それまでより豪華な環境で、相変わらず同じパターンをくりかえした人がいた(苦笑)
ホントにそうだよなー。

今となっては三億円なんてホントにあったのかしら…っていうくらい跡形もなくなったけど。
posted by みつこ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月30日

子供たちとの対話―考えてごらん/J・クリシュナムルティ


子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

  • 作者: J. クリシュナムルティ
  • 出版社/メーカー: 平河出版社
  • 発売日: 1992/06
  • メディア: 単行本



少年少女たちに語った内容をまとめたものらしいけど、以前に読んだ「瞑想と自然」と何ら変わらない本気ドの、鋭い問いかけ。
臆さずじゃんじゃん質問する少年少女たちもステキ。
そしてやっぱり自分で考えなさいと言われる、答えなんか教えてくれない、「見出しなさい」って全部で何回書いてあっただろうか。
「瞑想と自然」を読んだときに書いた記事を日付さかのぼってるけどアップしました。)

Q――魂とはなんでしょう。

 私たちの文化、文明が「魂」という言葉を考案したのです。文明とは大勢の人々の集団的な欲望と意志です。(中略)そして、この場合の集団的意志は、死んで腐敗する肉体以上のもの、はるかに偉大で広大なもの、不滅で不死のものがあるにちがいない、と言いました。そのために、この魂という考えが確立されたのです。この不死と呼ばれるとてつもないもの、死のない状態について自分で発見した人が、ときには一人、二人いたのでしょう。それから凡庸なすべての人たちが、「そうだ、それは本当にちがいない。彼の言うとおりにちがいない」と言いました。不死がほしいから、彼らは「魂」という言葉にすがるのです。(中略)「魂」という言葉そのものが、不滅で時のない状態を体現していますね。しかし、そのような状態があるのかないのか、あなた自身では決して見出さないでしょう。「キリストやシャンカラや他の誰かが言ったことにも、伝統やいわゆる文明の命令にも私は関心がない。時の枠を超える状態があるのかないのかを自分で見出してゆこう」とは言いません。文明や集団的意志の規定したことに対して反逆せずに、反対にそれを受け入れて、「そうだ。魂がある」と言うのです。その規定をある名で呼び、他の人はそれを他の名で呼び、そうして分裂し、自らの衝突しあう信念をめぐって敵(かたき)同士になるのです。
 誰にも依存してはいけません。私や他の人が、時のない状態があると言うかもしれません。しかし、それがあなたにとって何の価値があるでしょう。お腹が空いているなら食べたいし、単なる言葉をあてがわれたくはないでしょう。重要なのは、あなた自身で見出すことなのです。(中略)
時のない状態、「もっと」とか「まだ」という動きのない状態があるのかないのかは、「私は受け入れない。究明し、探究してゆこう」と言うときにだけ、見出せます。それが、一人で立つことを恐れていないということなのです。
★5 創造的な不満(P61〜)

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posted by みつこ at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月28日

濃い紅茶で眠気、生あくび

数年前に、紅茶を飲むとなーんかぐあいわる〜くなることに気づき、それ以来ホントにたまにしか紅茶を飲まなくなってたんだけど、最近、コーヒーより紅茶の方が体が温まるんだよなあ、って思って試しにちょこちょこ飲んでいたら、特に具合悪くもならないみたいなので、調子づいて今までコーヒーだったところを2回に1回くらいは紅茶にしてみたりしていたらば、今日は久々にやられた。。。

なんだろうねこれ、なんかすごい不快な感じの眠気がくるんだわ、生あくびがでて、側頭から後頭部にかけて血行が悪く凝っている感じ、頭がおも〜くなる。特に濃く出した紅茶を飲んだ時になるように思う。最近ウチで飲んでたのは、そんなに濃く出さず、クリープ多めで黒糖入れてって感じ。で、今日は職場でティーバックを入れたままちょっと忘れてて濃い目になってしまった紅茶に、はちみつと生姜で生姜紅茶にしたんだけど、やっぱり濃すぎてあんまりおいしくなかった、でもまたもったいない病(笑)で全部飲んでしまった。

単純に寝不足?っていう説もあるが、寝不足といえばいつだって寝不足といえるわけで、今日が特別に不足なわけでもないしなー。

ん〜たまには飲むにしても濃くしないように気をつけて、様子を見ながら飲むようにしようかな。

なんでこんな現象が起きるのか、気になるなあ・・・
ラベル:紅茶 からだ
posted by みつこ at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

気功初体験

以前から興味を持っていた「気功」を初体験してみた。

最初に腰の動き、左右のバランスやねじれを意識しながら歩くというのをして、徐々に体を動かしていく。

次はスワイショウってやつ?前にホットヨガに行ってた時、最初に必ずこれがあったけど、その時は下半身は固定して上半身をねじりながら回すって感じだったけど、今回は膝を柔軟に動かしながら、そんなに勢いよく回さないで最初はホントに優しい感じで動かして、かなり時間をかけて徐々に徐々に動きを大きくしていく感じ。スワイショウに限らず、一つ一つがとにかくじっくりと長い時間続けるのが多かった。じっくりと「気」を高めていく感じ、「気」を溜めていく感じ。

で、腕を肩くらいの高さに挙げて、大きなボールを抱えるようなイメージで腕の中に「気」を溜めていく。これも、そろそろ腕が挙げていられません・・・ってくらいにずっとそのままじっと立つ。しばーらくそうしてから、今度はその丸を縮めたり膨らませたり。この段階ではそんなに「気」を溜めている感じも、膨らませている感じもはっきりとせず、ただそういうふうにイメージしてやっているだけ、というカンジ。

立ち姿勢は、ヨガと比べると結構後ろ重心、少し膝を前に出すくらいにかかと側に重心を置いて、骨盤は若干後ろに倒しちゃうくらいに尾骨を引き入れる角度、へその下あたり(丹田)から、背骨の後ろ側を伝って上に姿勢を積み上げていく感じや、舌の先を上あごの裏につけるのは、ヨガのプラーナの流し方と同じだな、とかやっぱり何かとヨガと比べながらになるんだけど。

それから座った姿勢で、また胸のあたりで手のひらの中に「気」を溜める。ここでも縮めたり膨らませたりしながら自分で感触を確かめる。だんだんと手の中に、やわらかい風船があるみたいな感触がでてくる。縮めたりとかを試してみると、弾力があって小さく弾む感じがした。ぽやんぽやんって感じに。最後はぎゅっと小さく「気」の塊をつくって丹田に収める。

実際に「気」を感じてるのか?そんな「気」がしただけなのか?しかし、そんな「気」がしたらそれが「気」なんだろうね、いやダジャレじゃなくてさ(笑)

1回じゃなんだか全然わかんないんだけど、もっと「気」を感じたり、それを廻らせたりってことがわかるようになれば、体にもいい影響がありそうだと感じたので、ちょこちょこと続けてみようかな。
ラベル:気功 からだ 丹田
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2010年01月23日

泣かないで・・・泣かないで・・・

最近、iPodでよくカオリちゃんの「バタフライ〜あの晴れた空の向こうへ〜」が流れてくる。「バタフライ」だけじゃなくて、カオリちゃんのほかの曲も。

なんでだろう、彼女の曲を聴いてると頭の後ろの方からざわざわざわ・・・と総毛立ってくる。電車の中なんかで流れてきたときは、じっと立ってるんで思わず聴き入ってしまったりして、そういうときはなんか強く感じるのはあるのかもしれないけど、何気なく歩きながらたまたま流れてきちゃってそのまま歩き続けて聞こえてきてるってだけのときでも、本を読んでてちょっと上の空で聞こえてても、やっぱりぞわぞわっとなってくる。

こないだのHEATWAVEのライブのときも何回かこんなことになった。

歌詞に反応してるのか、歌っている声になのか、楽器の音になのか、リズムになのか、頭で考えてもわからない。共通点は好きな音楽だというだけで、似た曲だとかいつも同じ曲の同じ場所だとかそういうこともない。

(・・・でも、これって実は体にもいいと思うんだ。肩や首が凝っているときにマッサージすると一気にほぐれた瞬間にぞくぞくっとくるのと同じ感覚で、一気に血流がまわっている感じ。音楽を聴きたい、いい音楽、好きな音楽を聴きたい、生の音を浴びたい、と思うのは、身体的にもこのように血行がよくなったり、リラックスしたり、逆に興奮してそのあとふっと力が抜けたり、涙や笑いが起こって代謝がよくなったり、そういうことを体が体験的に覚えていて無意識にそれを求めているということでもあるのかもしれないな、と、ざわざわを感じる度に思う。)

カオリちゃん、そんなすぐにいっちゃうつもりなんてこれっぽっちもなかっただろうけど、同時にいつなにがあっても後悔しないように瞬間瞬間を生きていたんだろうって、唄を聴くとよくわかる。

1、2、3、、、、
ハッピーバースディ、、だね。


バタフライ~あの晴れた空の向こうへ~

バタフライ~あの晴れた空の向こうへ~

  • アーティスト: 川村カオリ,川村カオリ,KAORI.,松浦晃久,エガワヒロシ,高橋研,marhy
  • 出版社/メーカー: MILESTONE CROWDS
  • 発売日: 2009/03/18
  • メディア: CD



ラベル:川村カオリ 音楽
posted by みつこ at 01:37| Comment(0) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

『高い法』と『低い法』/「ジェロニモ」フォレスト・カーター


ジェロニモ

ジェロニモ(原題:「Watch for Me on the Mountain」)

  • 作者: フォレスト カーター
  • 出版社/メーカー: めるくまーる
  • 発売日: 1995/12
  • メディア: 単行本




幼少期のいつかにどこかで見た、「インディアン嘘つかない」は本当だった。

「それでもあなたの道を行け」を読んで、アメリカ・インディアンのスピリチュアリティに興味を持ち、巻末に載っていたいくつかのアメリカ・インディアンを題材にした本の広告をじっくりと読んだのだけど、その中で、たぶん結構有名な「リトル・トリー」じゃなくてやっぱりこれを読まないとって思ったのは、やっぱりずっと、もっちん(持田浩嗣)の曲(「ジェロニモ」)が気になっていたから。

ちなみに、ちょうど読み始めた頃に、もっちんのMySpaceに「ジェロニモ」の音源がアップされて、ブログにもこの曲について書いていたので、なんかこういうことって、ありきたりかもしれないけどシンクロニシティ感じてしまうなあ、と。結構昔の曲なのに、なんで急に思い出して頭の中で流れ出してるのかきっかけがわからんし、そのすぐ後に本人が急に話題にした理由もわからんし。

正直言って、「ジェロニモ」って聞いてもなんかすごい戦った人?ぐらいのテキトーなイメージだけで、しかももっちんの曲を聴くともしかして人じゃなくて伝説上のなんかの生き物?くらいに思っちゃってたんだけど、それ以上特に知る機会もなく、知ろうと思うきっかけもなく今まできたのだけど、実在したアメリカ・インディアンの戦士でした。(ジェロニモ - Wikipedia
(「キン肉マン」に登場する超人(?)にもジェロニモっていたよね。と思ってウチで聞いてみたら、ジェロニモは実はもとは人間で、超人にあこがれて訓練してとうとう超人になっちゃったというキャラクターだったらしい。・・・人を超えているという意味において、あながち間違ってないかも)

 走っているうちにしだいに歌声はやんだ。息が切れるからだ。だがナイチはいつまでも興奮から醒めなかった。「山に帰って生きるぞ!」という文句がくりかえしくりかえし胸を衝いてくる。
 「山」「生きる」という二つの言葉は、人々の心の中で高らかに鳴り響いた。その歌声によって、呪術師(シャーマン)たるジェロニモは人々の心をいっきに山へ運び上げたのだ。山にこそ生きるに値する生活が待っている。苦しい逃走に報いてくれるもの、それが山だ。人は意識があるがために、足がふらつけば心細く、遠い道のりや追っ手の兵士、また嵐に怯える。だが「山」という言葉がひとときすべてを忘れさせてくれた。肉体の故障や衰弱は、動揺する心のせいでいっそう痛手を被る。心を脇に追いやり、かわりに霊の力が人々を衝き動かすようジェロニモは誘導したのだ。このようにして一行の人々は、霊に促されて説明不可能な超自然的な努力を続けることができたのである。
 ジェロニモは、一行が今いる場所と目ざす山とのあいだの物理的な距離を、人々の意識からいったん取り除いた。山にたどり着くのに要する物理的な時間についても同じだった。空間もなく時間もなかった。それらは、意識に操られる心が紡ぎ出す幻にすぎない。今は時空を超越した霊の力に身を預けるしかない。
 のちにアメリカ連邦政府軍の将校たちは、(脱走せずに)サン・カルロス保留地に残ったアパッチは嘘の証言をした、と記録することになる。ジェロニモの一行が、彼らが証言するような時刻に保留地を脱出し、証言通りの時刻にドラグーン山塊にたどり着くことなんて人間わざではとうてい無理だ、と将校たちは記録したのである。しかし、将校たちが用いたのは物理的な測定基準だった。彼らはそのような時間と空間の中に生き、仕事をし、戦闘に加わっていたからだ。ジェロニモの世界などとはまったく無縁だったのだ。
脱走(P29〜)

ただ戦士としての強靱な体力・精神力とか、戦略とかというだけじゃなくて、こういう人間離れした部分に指導力を発揮したからこそ、戦争の呪術師(シャーマン)と呼ばれて、慕われもし、恐れられもしたのらしい。ジェロニモは、確かにアメリカ兵やメキシコ兵や場合によっては民間人もそりゃたいそう殺したらしいけど、本来は家族を愛し仲間を愛するそして信心深い人間で、その愛と信仰の深さゆえに、最後まで戦い続ける道を進んだのだろうと。
そんなこと簡単に何行かでちょろっと書いてみたところで、むなしいくらい彼らの現実には届きもしないけど、私はそのことを少しだけでも知るきっかけを得られたことをありがたく思う。

(・・・)「だれだって魂を売り払えば、引き換えにからだの平和を得ることはできる。だがな、そんな平和は必要な一つの条件にすぎない。目的じゃない。おれたちが本当に自由であるときだけ、魂は生きられる。からだの平和はそのための一つの条件だ」火に向けた彼の目は赤く燃えている。「死にもの狂いの戦争をやってからだの平和を買うのならいい。そうでないかぎり、結局は魂を殺すことになる」
力(パワー)(P158)
「ジェロニモに宗教的な良心があると言うのか?どんな宗教だ?」
「アパッチの宗教ですよ、もちろん」
「もちろんだと?」クルックはそっけなく言った。「どんなものだ、そいつは?」
ホーンはクスッと笑った。「一週間講義を受ける時間がありますかね?」
「一時間でやっつけてもらいたいな」(・・・)
ホーンは一つため息を漏らした。「そうだなあ・・・・・・。アパッチは、『高い法』を守るなら霊を鍛えられると信じてるんです。『輪』に乗っかるたびに・・・・・・つまり、地上に肉体を得て生まれ変わるってことですがね・・・・・・、人は物質の世界が頼りとする『低い法』に逆らって、『高い法』を行おうとする。霊を鍛えるにつれて、死ぬたびに、つまりこの物質世界から去っていくたびに、霊は強くなっていく。もしちゃんと行ったなら・・・・・・信仰を守るとか、何もかもをちゃんとね。そうすれば、人はもっともっと高い境地へ登っていける。一番高い境地ってのは、もちろん、人はもう完全に強くなっていて、もう地上へ戻ってくる必要がないという状態、言うなれば・・・・・・『救済された』という状態ですよ(・・・)だけど、ちょうどキリストがやったように・・・・・・人はもう一度生まれ変わらなきゃならねえ・・・・・・言葉どおり生まれ変わる。霊を完全な高みへ導く道はひどく険しい・・・・・・キリストも言ったとおりね。救われるためのルールってのはひどくむずかしいんです」
ジェロニモ捕らわる(P278〜)

「輪」に乗っかる、とか、「一番高い境地」に登ると、「もう地上へ戻ってくる必要がない」っていうのは、「輪廻転生」と「解脱」ってことと一緒で、ヨーロッパ人がインドかと思ったアメリカ大陸に住んでた人たちが、インディアンと呼ばれて、ホントのインドに住んでた人たちとおんなじこと考えてた。なんか不思議な一致。

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インディアンの宗教というか信仰、スピリチュアリティ、生や死をどのようにとらえてたのかっていう部分に興味をもったのが、読もうと思うきっかけだったけど、それとは別の流れで、ヨーロッパ人のアメリカ大陸への進出でもともと住んでた人たちがどんな目にあったのかっていうことを、はじめてまともに読むことができたかもしれない。漠然としか知らなかったから。(この小説については、多少のフィクションが含まれているみたいだけど。)

訳者あとがきからの抜粋

 アパッチは人を疑うことを知らなかった。そこにアメリカはつけこみ、政府や軍が率先して、懐柔、ぺてん、脅迫、陰謀などを次々にしこんでゆく。本書でもそのような罠にはめられた一例として、ベドンコーエ・アパッチの大酋長マンガス・コロラドが和平交渉にひとりで出かけ、なぶり殺しにされるという実際に起こった事件が描かれている。このような状況下にアパッチの各バンドは次々に投降し、故郷の山河から引きはがされて沙漠の保留地に押しこめられ、劣悪きわまる生活を強いられた。(P360)

・・・・

 『動物記』の作者シートンは、インディアンを理解しえた数少ないまともな白人の一人であったが、西部劇でおなじみのバッファロー・ビルと面会したとき、ビルが次のように述懐したと伝えている。「私は何度も遠征隊を率いてインディアンと闘ったが、そのたびにわが身を恥じ、わが政府を恥じ、わが軍の旗に恥ずかしい思いをしたものです。正しいのはいつも彼らインディアンであり、間違っているのはいつもわれわれアメリカ軍だったからです。彼らが協約を破ったことは一度もありません。われわれが協約をきちんと履行したことも一度もなかったのです」(近藤千雄訳『レッドマンのこころ』北沢図書出版)(P361)
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2010年01月20日

そんなときもある

昨日のヨガはなんかきつく感じた。
真ん中がぐにゃぐにゃグラグラする感じ、バランスもうまくとれず安定感なし、ヘンに疲れた。呼吸やエネルギーがちゃんと流れていない。

そんな自分の状態を感じながら、どうしたのかな?何が起きてるのかな?って話しかけながら、観察しながら動く。

心がグラグラしているのでまったく動きや体に集中していなくて、いちいち気がそれてはグラっとする、そのことでまた気持ちが揺れてさらにバランスを崩す、みたいな場面が頻発。力強さを要するアーサナでも中心の力がすっぽり抜けてしまって、ただそのかたちでいるだけで精一杯になってしまう。ヴィンヤサの動きもスムーズに流れない。

ん〜なにかが起きてるなって思いながら、最後まで修正してもち直すことはできないままで終了。でも、もうやだーって投げないで、こんな日もあるよね、という受け入れる気持ちを辛抱強く持ち続けて、自分を見守り続けて終えられたので、そういう意味でいい時間だった。

このクラスの前の段階で、自分の中で思考に偏り過ぎてる感じがちょっと続いていて、しかも自分が感覚的にいいと思ったことを、人の意見に影響されて否定的になるみたいな流れになっていたりしてたので、それなんだろうなーと。

自分の感覚を信じてあげてないから、自分がしょんぼりしちゃってた、という感じ。でも、それを覆す意見が別の人からもたらされて、少しホッとしたりもしたので、人の意見がなんでも悪いってわけでもないのだけど、それとて人の意見でグラグラするという意味においては同じこと、自分に自信がないという面、人からどう思われるか?みたいなことを不安に感じてしまう面、そういうのはまだまだいろんな場面で出てくるものだなあと、ずいぶん減ってきたけどなくなりはしないのだなあって、改めて実感。
ラベル:ヨガ 内観
posted by みつこ at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

解き放て 命で笑え/山口洋&細海魚(HEATWAVE)@横浜 Thumbs Up

ずっと前にだれかのライブで行ったことのある店、横浜のサムズアップ。
開演20時と遅めだったので、なんとか開演までには着けるだろうと、確かここはライブバーで割と広くて席もゆったりあったという記憶があったから、ぎゅうぎゅうのライブハウスにギリギリついて後ろでなんも見えないっていうことにはならなそうだしと、行くことに。

記憶の通りの店だったので、今年の初ライブ、そして初HEATWAVE(といっても魚さんはSIONで何回か見てるけど)はかなりゆったりとしかも近い距離で堪能できることに相成りました。よかった。

CDは何枚か聴いてたので、だいたいなんとなく知っている曲と、あとはたぶん未収録?の曲が何曲かという感じだったかな。

4曲目辺りで、みんなが聴きに来てくれるからそれに応えるために自分はいつもチャレンジし続けなければみたいなことを話して、そして「チャレンジその1、昨日の10時にできた曲」、といって新曲を披露。まだタイトルも何もなくて、みんなの反応によってはもう二度と歌われないかもしれない(笑)と言っていたけど、これからの山口洋のつくっていく曲はこんな風になっていくのかな、と初めてライブを見たのに勝手にそんなこと思った。

「本当に大切なものはなにひとつうしなわれたりはしないさ」というサビのフレーズが印象に残った。大事なことは全部かたちのないもの、目には見えないもので、それはいつも心の中にあるから決して失われたり、壊されたりはしないっていうことを歌っていた。

「最近は、ヘンな話じゃなくて「ひかり」…みたいなものが見えるようになって、、、今までは生きるだの死ぬだのって歌ってたのに、、、生きるだの死ぬだのは2009年で打ち止めかな。」なんて話をして、「生きるだの死ぬだの…ふっ(苦笑)」ってもう一度呟いてから始まった「Born To Die」から「Still Burning」への流れは、ホントこれギターの人とキーボードの人だけのステージですかい?っていう、なんかすごいもん見た!って感じがした。

アコースティックな構成なので「オリオンへの道」、「満月の夕」とかじっくり聴くような感じの曲はもちろんとっても馴染むんだけど、それだけじゃないのだ。バンド構成でのパワーとかビートとはまた違った、アコースティックセットなのにこの疾走感。このふたりでのライブは、春にツアーをするみたいなので、また見に行きたいな。

「満月の夕」は、CDで聴いたり、YouTubeで見たりとかして、生で聴いてみたいと思っていた曲のひとつだった。
日記にも書いていたけど、この歌を歌うのには力が必要。あの時の光景がフラッシュバックしてくるから、って。だからそんなにいつでもは歌わないのだろうな。この曲について話している間中、なにかこみ上げてくるものを堪えながら遠くの方に視線をやって目を潤ませていた。
けど、歌自体はもう目の前の試練に立ち向かう人たちの背中を全力で力強くそして限りなくやさしく後押ししているような歌。苦しいのは自分じゃない。

初めて見た山口洋は、でも曲を聴いてブログを読んでなんとなく想像してたその感じにやっぱり近い姿で私の前に立ってた。

HEATWAVEってどんなバンドか?って人が誰かに話しているのを聞いてると必ず言われるのが「あ つ く る し い」なんだって言って笑ってたけど、確かに世間で言われるところの「アツい」系なのかもしれないが、アツくてなにが悪いかよって私は最近思います。人も物もエネルギーの塊でできているのだから。アツいのは生きていることだもの。

たぶんcleverな人なんだろうな、って感じた。いい意味でも悪い意味でもなくただ。

そしてそのおかげでできた曲たちもあり、そのおかげでぶつかった壁もあるのだろうと。

アタマだけでは解決できないなんかが押し寄せてきて、いまそれを別の角度からやり直そうとしているんだろう。アタマじゃなく、心や体で経験しなおしたとき、思考が鎮まったとき、見えてくるもの、それを彼は「ひかり」と呼んでいるけど、それをなんとか言葉の世界に持ってこようとしている感じもする、文章や歌の歌詞で。それは本当はムリなことかもしれない。どんな言葉にも表わせないものこそが「それ」なんだと思うから、言葉で表せる全部を表しきって残ったものが「それ」なんじゃないかと思うから。でも同じあがきをしているヤツが私の中にもいる。そこはあきらめずに表し続けてこそ、残っていくものがあるのだとも信じたい。

歌を唄う人には言葉だけじゃ表わせない何かを、メロディーやリズムで、声や楽器で、その表情や空気で表現する方法があるから、その表現によりすみやかに辿り着ける可能性ももっているんじゃないかな。あらゆる芸術活動はそういう意味なのかもしれない。

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HEATWAVE - 満月の夕 [Studio Live]

http://www.youtube.com/watch?v=p46_4ZUzHD8
posted by みつこ at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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