2010年03月31日

小さな魚

土下座しても乾かしたかった俺の水溜まりに
いつからか 小さな魚が暮らしはじめて
大事な時やあぶない時つついて知らせてくれる
それを聞かなかったり聞けなかった時はやっぱコケてる
「彼女は」SION


なんだかこのフレーズが印象的で、
曲をしばらく聴いてなくても、
ここのフレーズだけは時々浮かんでくるんだよね。


SION 10+1(紙ジャケット仕様)

SION 10+1(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: SION
  • 出版社/メーカー: テイチクエンタテインメント
  • 発売日: 2008/08/27(オリジナル発売日:1994.10.10)
  • メディア: CD


ラベル:SION 音楽
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2010年03月30日

キンキンに冷えた空に月

桜が咲き出すと、やっぱりどうしても「春」って思ってしまうので、
そんなときのいわゆる花冷えってのは、冬本番中の寒さよりもひどく寒く感じるが
空気が澄んで冬みたいに、月がぴかぴかしてるのを見つけて
寒さも忘れて月見の帰り道

ヒロシを見ていたのか
自分を見ていたのか
見届けなければ、なんて思ってしまう
なんかが似てるみたいで

まわりが何を言ったって
やってみなきゃ気が済まないやつ

まわりでわいわい言ってるやつが
やったことないやつが、やったことないことについて
何を言おうがなんの意味もないよね

posted by みつこ at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

SIONの祈り/SION & The Cat Scratch Combo@渋谷CLUB QUATTRO

3/27、チケット買った時になんか、あれ、と思って確認してみたんだけどやっぱり、去年の今日もSION & CSCのライブ(去年は新宿LOFT)だった。

クアトロの下はいつの間にかブックオフになっていて危うく通り過ぎそうになったよ。

「鬼は外」のとき、歌い出してすぐなんとなく涙ぐんでいるように見えた。
今回もきっと「あの子は必死に必死に生きてきたんだぜ/どうなってんだよ/街は今日も雨か」って歌うのがわかってたけど、やっぱりその歌詞で歌うのを聴くと何回でもグッとくる。私はこの曲を歌う時のSIONの気持ちに、祈りに、寄り添いたいと思った。

そして、「マイナスを脱ぎ捨てる」でもやっぱり、いつもマイクを掴むその手が震えるほどに込める込めるその思いが、もう歌い出す前から迫ってきてた気がした。
「幸せは一人では歩かない/いつも不幸せと連んで歩いてる/だからこのどん底の横には/喜びの朝だっているだろ」
やっぱりこれも、祈りなんじゃないかと思った。そうじゃなきゃ困るぜって。「思わなきゃやってられっか/信じないでどこに行けるよ」

そうだよ、悪いことだけは起こらない、大丈夫だよ、大丈夫だよ、泣いたっていいよ、大丈夫だよ、ってなんか誰かが、いや私がか、ずっと心の中でSIONに話しかけてるようで、ちょっと私もいっちゃったな、とか思ったけども。

最近はずっとそう。「マイナスを脱ぎ捨てる」で終わらせなくなった。その後に「Hallelujah」でしめるSION。前にも書いただろうけど、今回もやっぱり書いちゃう。「Hallelujah」は曲自体が好きだけど、ライブでラストに聴くのが本当に好き。明るい真っ白い「光」を見せてくれて終わる感じが好きだ。
でも、同時に最近はこうも思うんだよ。ひかりを目指していくとか言うけれども、あなた自身がひかりそのものだよ、って。SIONだけじゃないよ、誰だってそうだよ、って。

そしてアンコールで、「新しいやつを」と言って歌った新曲。タイトルは「狂い花を胸に」というのかな、この曲は少し息苦しいような感じが伝わってくる。

「この時代 無傷なやつなどいない」っていうフレーズと、サビの

息をする
息をする
狂い花を胸に
俺は息をする

って部分が心に残った。
息苦しい感じ、だけど、だからこそなのか、「息をする」と歌うんだなって。

そして最後の「遊ぼうよ」。この曲に限らずだけど、会場の顔をホントによく見まわしていて、そしてたまらない笑顔。とてもいい顔をしていたSION。

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SION & The Cat Scratch Combo VS The Bithday
2010.03.27 @渋谷CLUB QUATTRO

Snowdrop(東京ノクターン)
住人(住人-Jyunin-)
お前の空まで曇らせてたまるか(鏡雨〜Kagamiame〜)
調子はどうだい(夜しか泳げない)
放つ(鏡雨〜Kagamiame〜)
Valentine(20th Milestone)
鬼は外(鏡雨〜Kagamiame〜)
鏡雨(鏡雨〜Kagamiame〜)
光へ(住人-Jyunin-)
ちょっとでいいんだ(Untimely Flowering)
マイナスを脱ぎ捨てる(20th Milestone)
Hallelujah(住人-Jyunin-)

--ENC--
狂い花を胸に(未収録)
遊ぼうよ(夜しか泳げない)




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個人的な内面的な話だけど、、続きを読む
posted by みつこ at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

さてさて、

出張(それはそれでいろいろ)、帰ってきてライブ、食あたり、残業、残業、ライブ、残業、やっとヨガ、みたいな1週間、あるいは2週間

まとまったものを書く時間とか余裕とか、または必要性などがない場合に、
それでも走り書きみたいなものが溜まっていく様子を見ていると
そろそろTwitterなのか?そうなのか?と思ってみたり

目黒川沿いの桜はまだまだこれからね、という中、一人で早めに盛り上がってまーす、な1本があって、同じソメイヨシノという種類でも個体差があって、当たり前だけど改めて、違うことと同じことと、同じだけど違うこと、違うけれど同じこと、それが同時に存在することを、両方のことが同様に大切であることを、思いながら歩いた。

最近は、言葉で言えば言えなくもないが、そのどれでもないような、
感触でいうと、やらけーやらけー、みたいなものが気分の大半を占めているので、総じて穏やか
posted by みつこ at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

ウィトゲンシュタイン


ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)

ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか (シリーズ・哲学のエッセンス)

  • 作者: 入不二 基義
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 単行本




2〜3年前に買って読みかけてそのままになってたのを改めて読んでみたんだけど、当時なんで読んでみようと思ったかというのと、今現在の興味の方向は若干変わったんだけど、今の視点で読んでみてなかなか興味深かった。

買った当時はというと、自己の扱いにどうにも困っていて、これはどうしたら・・・という気持ちもあっての興味だったんだけど、その時の困り具合を思い出そうとしてもあんまり具体的にはどうやら思い出せない・・・(笑)

今読んでみてどうだったかというと、「独我論」の部分は、なんかどこかで聞いたような、見たような、、っていう世界に行っていて、東から西から向かっていった人が真ん中で出逢ったって感じかなとか。

「私」の中に「世界」があるという「いわゆる独我論」か、そうではなくて、「世界」の中に「私」がいるという「実在論」なのかという議論から、
「私」は、「世界」の内なる対象でも「世界」の外なる超越者でもなく、むしろ「世界」そのもの
であるという、「ウィトゲンシュタインの独我論」への発展。「私」と「世界」の輪郭がぴったりと重なっていく瞬間の、論理とかを度外視した気持ちよさ。

瞑想の中でおぼろげに感じる「世界」と「私」の感覚になんか通じるところがあるなあと。
posted by みつこ at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

風に吹かれて

本当はこれで
そう本当はこのままで
何もかも素晴らしいのに
風に吹かれて/エレファントカシマシ


posted by みつこ at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

トンレン瞑想

こないだヨガのクラスで、トンレンというチベット仏教の瞑想法を取りいれた練習をした。

吸う息とともに、誰かのからだ・こころの中にある、痛みや苦しみや悲しみを、自分の中に吸い込み(イメージでね)、自分の中にある光でその苦しみを消し去る。
吐く息とともに、自分の中からその人に向けて思いやりの気持ちをおくる。あなたが幸せでありますように寛容でいられますように、そしてその思い浮かべた人が他の誰かのことをわたしが今あなたを思い遣っているのと同じように思い遣ることができますように、と。

ある特定の人を思い浮かべてたんだけども、、
たぶん普通に誰かのことを考えるってことを一定時間継続してするというのは、たいがいが好きにせよ嫌いにせよ執着によるものだと思うのだけど、こういうかたちで気持ちを遣るという行為をした場合、後味スッキリ(?)みたいな感じで、特に何も気にならない、全然引きずったりしないみたい。これは新しい発見かも。
posted by みつこ at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図説 地図とあらすじでわかる!聖書


図説 地図とあらすじでわかる!聖書 (青春新書INTELLIGENCE)

図説 地図とあらすじでわかる!聖書 (青春新書INTELLIGENCE)

  • 作者:船本 弘毅 (監修)
  • 出版社/メーカー: 青春出版社
  • 発売日: 2009/05/02
  • メディア: 新書




普段から興味を持っているテーマから芋づる式で出てきた本を読むってのを続けていると、拡がりはするが方面はある程度偏ってくるので、それがつまんないなーと思ったときにふらっと本屋に入っていろんな本棚をぐるーっとめぐってみたりする、そんでちょっと目についたのです。

聖書。

実際のところ、ものすごく漠然とした知識しか持ち合わせていない方面であり、断片的なエピソード的なことに遭遇してもその深さとか、多面性とか、言葉の外のニュアンスとかはわかりようもないことで、でも最近とってもイエスさんは気になる存在であったので、非常に基本的なことをニュートラルな視点で理解するにはとてもよい本でした。

最初のね、創世記のあたり、アダムとエヴァがエデンの園を追い出されるってところで、そりゃああんまりだよ・・・って思ったんだけど、そもそもの出発点からして、前提からして、人間は罪を犯しているってところ、それを信じて背負っている人たちがかわいそうだあ、って思ってしまった。中の人たちは全然違う捉え方をしてるのだろうということはわかるけど、大きなお世話なんだろうけど、やっぱり。

こうして人間たちは、荒れた大地に追われ、自分の力で生きていかざるを得なくなる。男は労働によって生きる糧とし、土を耕す試練を与えられた。一方、女は子を産む痛みと苦しみを負う。さらにこの罪は子々孫々にわたって背負うことになる。(P40)

まあ、出産は大変なことだろうけれども、そんな罰のように苦しかったら人類がこんなに増えるわけなかろーって心でツッコミ・・・。

風土と宗教というのは密接にかかわっていると折に触れて思うのだけど、ユダヤ人が暮らした土地は人間が生活していくには結構過酷な環境だったのだろうと。なんでこんなに大変な思いをして生きてかなきゃならんの?っていう今だって延々と繰り返されるこの自問に、当時の人たちが自答したのが、この原罪という思想なのかなと、理解した。

その点、日本なんかは、八百万の神でしょ、自然は神様っていって基本的に恵みを与えてくれるものであって、たまには天災とかもあるけれども、そんなに前提条件からして厳しいこと言ってこないものね。なんか、そう、彼らの神様は「父」であって、厳しいんだ、もちろん愛もあるんだけど。そんで、日本とかの神様は母なる大地とか言うように、おかーさん。

や、しかし、イエスはよく頑張ったね。
友達かよ!ってノリで書いてるけどホントそういう親近感を持ってして、もし友達や知り合いにそういう人がいたらとか考えて読むと、真剣に悲しい気持ちになったりする。

イエスが病人を癒す奇跡をたくさん起こしている伝説について、そこまで読んできた流れでいくと、当時の社会状況などからして心因性の病気が多かったであろうから、そういう人たちの心の苦しみを取り除いたことによって病が治るということは当然あっただろうと、思って読んでた次のページにまさにその通りのことが書いてあって、大きく頷く。後世の人がそれを誇張して言ってみたり、人から人へ話しが伝わっていくうちに、どんどん膨らんでいったのだろうにしても、大もとになるなんらかのエピソードはあったのだろうなって。
 これらは福音書に記されたとおり、すべてを事実とすることは難しい。だが、なぜこうした病を癒す奇跡が多く見られるのだろうか。
 そこで考えられるのが当時の社会背景である。当時は律法を守ることがなによりも重視された。ユダヤ人は一日に守るべき条項が613もあるという環境におかれていたのである。それらすべてを守るどころが、まず記憶しておかなければならない時点で大きな負担があったことは想像に難くない。
 さらにパリサイ派のような人々が律法の遵守を主張し、人々の一挙手一投足を監視していたとするならば、心因性の病気が起こらないほうが不思議ともいえるだろう。
 また、当時のユダヤ人社会では、皮膚病は罪の結果であり、心の病、神経症の類は悪霊のしわざと信じられていた。イエスはそういった宗教的、社会的構造そのものに異議を申し立てた人物であり、患った人々を非難することなく受け止めた。
 病と、病であることの責めによって打ちひしがれる人々にとって、これはその心を安心させるもので、「癒し」へとつながったと考えられる。(P170)


イエスの裁判、ローマ総督ピラトとの絡みのところは、「巨匠とマルガリータ」を思い出して、読みなおさねば!と思った。

---
中東の複雑さとかそんなのの根っこもこういうところにあるのかな、とか、おそらく相当シンプルに大雑把にざっくりとまとめるとこんな感じっていうまとめ方になってるんだと思うけど、逆にそれゆえに最初の一歩としてはちょうどいいものを選べてよかったと思う。
posted by みつこ at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

ライブ三昧、まさしく三昧の境地へ行きそうに

出張の準備。といったってわたしは仕事として何を準備するわけでもなく、ただ「その場にいる」ということが主要な仕事と言うなれば言えるようなものなので、主に準備といって心の準備?というか、ま、普通の旅の準備、身の回りの物を何を持って行くかとか、どこに何時に行けばいいのかなどの確認、主にそういうことなのだけど、カレンダーにちくちくといろいろを追加していくと、帰ってきてからのライブの予定の方が断然すごいことになっていて、驚く。

帰国翌日にはもっちん@PK、そして戸田(Fさん)、そしてSION、そしてHW、そして五反田(Fさん)、そして中野(Fさん)、そうこうしているうちに沖縄。一体わたしは・・・、、一体どうしてこの集中・・・、、

このことを糧になんとか出張を乗り切ろうという魂胆だろうか。

出張、、知らない人と毎日たくさん会うための、という、もうもう一番苦手な局面を日がな一日連続するという4日間の。
なんか、一応思い出などもある土地に再び行くということになるわけだけど、そういうのもう全然魅力なし。去年も行ったんだけどね、仕事のない日が1日半くらいあって、何時にどこにとかそういうものがないために、ホテルの部屋でダラダラとしてどっぷりとふさぎの虫にやられた。淡々とやることをやるだけと決めて、その通りにやって帰ってきたというだけのこと、今回も同じだろうと思う。
ラベル:ライブ 音楽 仕事
posted by みつこ at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

清澄寺

THYのリトリートなんとなんく気になってはいて、で、会場の「清澄寺」、この響きなんかなじみある・・・と思ってたんだけど、改めてどういうお寺かを調べてみるに、日蓮さんが幼少のころに修行をしたところ、立教開宗したところ、そうだよねそりゃとっても知ってる気がしたわけだよ。なんつーかやっぱりちょっと複雑な気もする。でも要はリトリートに参加するかどうかを決めるときには特に影響はない、もし行くことにしたとしたら、むしろいろいろとよく見て来たいなあとも思うし、「お勤め」に参加したら久しぶりにあの勤行が聞けるのかな?もしかしてわたし一緒に読経しちゃうかもしれない、なんて思ってみたりもする(笑)
ラベル: ヨガ
posted by みつこ at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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