2010年05月31日

うああっ・・・

SIONの宅録アルバムが、、、
もうすぐ発売なのは知ってたのだけど、、、
ちょっと何気なくSION blogを開いたらジャケットと曲リストがアップされてて、会社にいるのに「ああっ・・・!!」と声が出てしまった。。
もうもう・・・うぅ、、、心臓がドクドクいいます。

なんかなんかもう、このジャケ写だけで涙が出そうなんですけどー。
シオン〜〜〜、、、

「NakedTracks3〜今日が昨日の繰り返しでも〜」
NT3.jpg

http://sion.livedoor.biz/archives/51743331.html
ラベル:SION Naked Tracks CD 音楽
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許可を得てから助ける

以前は毎日チェックしてた西尾和美さんの今日一日のアファメーション。今でも思い出したら開いてみて、自分の進歩を確かめたりしている。

5月31日 他人の短所にとらわれない

 自分が一人で十分であるという確信がもてると、他人を見る目が違ってきます。他人の長所、短所が自分とは関係なくはっきり見えるようになります。他人の短所をなおしてやろうと、必死になることがなくなります。他人の短所をほじくり返して見せつけるようなこともしなくなります。自分と他人の区別がはっきりつき、少し距離をおいたところから、温かく他人を見守ってやることができるようになります。

 他人の長所を伸ばし、短所をおぎなう助けは、その人の許可を得たり、その人の心の準備ができているときにしてあげましょう。自分かこうしてあげなければと押しつけたりするのは行き過ぎです。単に自分がみじめになるだけなのに、そのことに気づかなくなってしまいます。そんなときは、自分の自己の確立はどうだろうかと問いなおし、自分をより良い人間にする方向に努力をそそぎましょう。


「短所をおぎなう助けは、その人の許可を得たり、その人の心の準備ができているときにしてあげましょう。」

一生懸命押しつけていたことあるなあ。その時はもちろん相手のためにしていると思ってやっているんだけど、実際のところ自分が気がすむためだったし、押しつけていたし、頼まれてもいないのにいろいろ指摘したり手伝ったりしようとしてやきもきしたり、そして相手が思うように反応してくれないことに怒りを感じたりもしてたなあ。

最近友人からちょっとしたことについて意見を求められて、気づいたんだけど、もう「こうあるべき」みたいなことはそもそも思わなくなっているみたいで、本人がそうしたくてしているんだという理解に基づくともう、「イイ感じじゃない?」とかそういう感想で終わるという心境になっていた。
posted by みつこ at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

痛みの観察

今日のヨガのクラスで頭痛が発生。後半にウルドヴァダヌラーサナ(いわゆるブリッジってやつ)をやった後に、急に起き上がってしまったので、頭の血流が急激に上下したせいだと思うんだけど。右の目頭の奥の方がドクンドクンと強く脈打つ感じ。耐えられないほど痛いわけでもなく、ずっと痛いわけでもなかったので、それ以降はなるべくゆっくり動きながら様子を見てたんだけど、最後までちょこっと痛い感じは残っていて、最後のシャヴァーサナ。息をゆっくり吐きながら全身の力を抜いていくと痛みが和らぐのは何度も試していてわかっているので、またそれを試してたんだけど、確かに和らぐが消えはしないなあって、鼻が多少詰まり気味だったので呼吸がギザギザしてる感じも気になって、リラックスしきらん〜、、、ん〜、、、と思いながら観察してたんだけど、最後の最後、無意識に口から勢いよくハーッと息を吐いたら、その瞬間痛みがスッと消えてそれっきり再発なし。やっぱりこういうことは考えてやろうとすればするほど、あらぬ方向へ行くモノなのか(笑)。

以前にただ上からスキャンするみたいに、痛いね、ここもちょっと痛いね、あ、この辺から痛みが増してるね、なんてやって、ひたすら観察して、息を吐きながら力を抜いていくと、お、ここの痛みが消えた、あ、ここがゆるんだってわかってそれ自体を楽しんでるような感覚で試してた時は、おもしろいように(?)痛みが消えたんだけど、たぶん今日は違ってて、それは後で思い返せば…って感じで気づいたんだけど、よしこの方法で今日も痛みを消してみよう、なんて思ってたんだね。そんな「意図して」やる時は、どこかしらの力が抜けきらない、抜けるわけがないのだ。そんなときは無意識に出た体の反応の方が案外効果がある。

あ〜でも、あの口からハーって出た時、ホント気持ちよかったなぁ〜。
ラベル:痛み ヨガ 呼吸
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2010年05月24日

手塚治虫「ブッダ」

第11章 ヤタラの物語

ヤタラ
みんな不幸 そんならなんで人間はこの世にあるんだ………

シッダルタ
木や草や山や川がそこにあるように
人間もこの自然の中にあるからには
ちゃんと意味があって生きてるのだ
あらゆるものとつながりを持って……
そのつながりの中で おまえは大事な役目をしているのだよ

ヤタラ
この お おれがか………
このオレに役目があるって? この役にも立たんオレが?

シッダルタ
そうだ もしおまえがこの世にいないならば 何かが狂ってしまうだろう

ヤタラ
……………………おまえ ふしぎなこという…
おれ……そんなふうに思ってもみなかった……
じゃあ…おれ これからどうやって生きていけばいい?

シッダルタ
その川を見なさい 川は偉大だ
自然の流れのままにまかせて 何万年もずっと流れてる
流れをはやめようという欲もなければ
流れを変えるちからも出さない すべて自然のままなのだ!
しかも大きく美しい……よろこばれ そしてめぐみをあたえている…
おまえも巨人だ おまえの生きかたしだいで 
川のように偉大にもなれるだろうよ


あらゆるものとつながりを持って……
Buddha08.png
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2010年05月23日

雨だと股関節にくる

最近自分の中ではやっている、日曜日にヨガ連続2クラスってのを、先週に続き今週も。
運動量が多めのクラスの後にリラックスな感じのクラスっていうのがなかなかいい流れなので気に入ってる。最後のシャヴァーサナはかなり深くリラックスできた。

昨日の5時間WSで座ってる時間が長かったせいか、雨の湿気のせいか、左の股関節と膝裏が詰まってるカンジで股関節動かしたいな〜と思ってたら今日のクラスはまさに股関節デーwだったので良かった。

雨だからなのか、普段のクラスに比べると、後半はずっと仰向けの状態でするアーサナが続いてそのままシャヴァーサナへ。まあ、仰向けといっても、ゆるゆるなわけではなく、仰向けでベイビークレイドルやったりして、あげくウッティタハスタパダングシュタ(片足を揚げて横に開くポーズ)みたいになったりするわけだけれども(笑)。これも立ってやる時はバランスに気をとられたりすんだけど、仰向けなので安心して股関節開きに集中できるという意味で良かった。

股関節を開くというかほぐすアーサナで、キッツイ!けど気持ちイイなあ〜っていうのはアグニスタンバーサナ(薪のポーズ)
パッと見はあぐらをかいてるような感じなんだけど、片方の足首をもう一方の足の膝の上にのせて、両足の膝から下を体の前でできるだけ並行に重ねる。これ、股関節が左右に開きにくい人(普通にスカーサナ=足を上下に重ねないであぐらでも膝が床の方に全然行かない人)とかには、もうさっぱり意味がわからん!っていうくらいキツイ。あと、ヘタな角度にムリに開くと膝に負担が大きいので要注意だけど、かかとをしっかり横に押し出して足指をパッと開くようにして、力を抜かないようにして膝を守りつつ、いいポジションを見つけられれば後はひらすらじんわりとイタ気持ちよ〜く開いていくのを観察。
リンク先の画像のおねーさんは体を起こした状態だけど、ホントは先があって、この足の組み方で前屈をするのだそうです。だそうです、というか実際にクラスでも「できる人はどうぞ」的なノリのインストラクションで、何人かはフツーに前屈していましたぜ!私はこのままで十分楽しいです♪ということで、前屈はパスするけど(笑)。

agnistambhasana.jpg
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2010年05月22日

Diamond Cutter Sutra

チベット・ハート・ヨガ/シリーズ2で唱えるマントラは「金剛般若経」(Diamond Cutter Sutra)の一節からだということで、中村元さんの訳を今日のWSで教わったので、ちょっくらメモ。

Taraka Timiram Dipo
Maya Vashyaya Buddhudam
Supina Vidyud Abhram Cha
Evam Drashtavyam Sanskirtam

一切の有為法は夢、幻、泡、影の如く
露の如く、亦 電の如し (※電=雷)
まさにかくの如き観を作すべし (中村元 訳)

漢文とサンスクリット語からの訳も調べてみた。
(漢文の経典)
一切有為法(一切の有為法は)
如夢幻泡影(夢・幻・泡・影の如く)
如露亦如電(露の如く、また、電の如し)
応作如是観(まさにかくの如き観を作すべし)

(サンスクリット原典からの訳)
現象界というものは、
星や、眼の翳、燈し火や、
まぼろしや、露や、水泡(うたかた)や、
夢や、電光や、雲のよう、
そのようなものと、見るがよい。


こういうことすると、早く覚えるし忘れないので、というかそのためにやってるというよりは、気になった瞬間にすでに調べ始めてて、結果的に覚えるし忘れないということなのですけど。


般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)

般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)

  • 作者: 中村 元
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1960/01
  • メディア: 文庫




なんだか読みたい本がいっぱいで、たぶん死ぬまで困らない(?)くらい。や、楽しいね。

参考にさせていただいたサイト
http://d.hatena.ne.jp/sbiaco/20080828/p1
http://www.timelineguide.com/p-ws-bu-kon.htm
http://www.rainlane.com/dv_rss.asp?s=xhtml&boardid=26&id=26718&page=3

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posted by みつこ at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

「思考すること」が消える瞬間

とある感覚について、言葉にできないようなことについて、時間と空間がどのように存在しているのかとか、物質をミクロに細分していった先の広がりと繋がりのようなこと、本やどこかで読んだようなことを自分の中でどんな感じがするのかと確かめたりしている、その先というのかな、考えて理解しようと無意識に思考というかイメージのようなものが現れて勝手に進んでいってるときに、「思考する」という行為そのものが先に進まなくなるポイントがある、先に進まなくなる、というか、、、「思考する」ことそのものが消えてしまう瞬間、おそらく思考が届かない何か、言葉はそれよりもずいぶん前にすでに追いついてきていないので、こうやって書いて残すことはそれこそ意味あるのかわかんないけど、、

今日もお風呂で泡を流しながら、その瞬間をまたしても目撃。
そしてそれを目撃したのは私なのか?誰なのか?

風呂場は私の瞑想道場かもなー。
昔から、まだ瞑想しようなんて思ってもいない頃、いわゆる私の内向期、下向いて暮らしてた頃から、よくゴシゴシゴシ・・・ってしながら思考の迷路の中でぐるぐると考えゴトをしてることが多かったけど。

「洗うこと」を無心に行っている状態の瞑想。
瞑想しようと思って坐る時よりもむしろ自然に無意識にその状態に行っているというおもしろさ、そして、宇宙がどーのこーのとか考えながら、地肌と髪の毛の根元の感触を指先で味わって髪の毛洗ってるっていうおもしろさ(笑)
ラベル:瞑想 思考
posted by みつこ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

SION Officialもつぶやく

ファン投票で選ばれた曲を、アコースティックアレンジで松田文さんと新たにレコーディングするという、SIONの25周年企画第一弾「I GET REQUESTS〜SION with Bun Matsuda〜」(詳細→タワーレコードオンライン SION25周年特設ページ

リクエストの中間発表がされてるね〜と思ってなんかいろいろ見ていたら、TwitterにSION Officialのアカウントができてた。
そして、中間発表での上位10位が、My SpaceのSION Officialで視聴できます。

やあ、なんかホントに鉄板ってカンジの曲が上位で、まあそりゃそうなんだけども、文さんとのアコースティックアレンジで聴きたい曲とかって考えると、ただの好きな曲の人気投票とは違った感じになるかな〜と思ってたんだけど、そうでもないのね。

まあでも、自分が投票した曲もどうやって選んだかっていうと、ちょっと考えたけど、もうごちゃごちゃ考えても決められなくなるだけだと思って、iPodでSIONシャッフルをやって、順番に回ってきて、あ、これってピックアップしたのを早いもの順に10曲という選び方(笑)。もう考えるな、と、感じろ、と。
・・・結局は好きな曲を選んだだけかも知れない。

個人的には、好きだけど特別すぎて、その曲はあの時のままで、これ以上アレンジしないでいいから・・・って思う曲もあったりして、なんだかフクザツ。

10曲といわず20曲ぐらい太っ腹に収録しちゃっていただきたいが、ただのベスト盤じゃなくて、全部アレンジしてレコーディングするんだから、そんなにたくさんはやっぱり難しいのでしょうか。

ちなみに、投票は5月23日まで。

そして、SION本人はといえば、「Naked Tracks」のレコーディングに没頭中の様子@うりきち日記。
ラベル:CD 音楽 twitter SION
posted by みつこ at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

ダライ・ラマ法王にリツイート

@DalaiLama
If you have love and compassion towards all living beings, particularly toward your enemy, that is true love and compassion.
(すべての生き物、とりわけ自身の敵に対する愛と慈悲を持つならば、それそこが真実の愛と慈悲である。)

これはまさに去年のダライ・ラマ法王の講演で、質疑応答の際に出てきた言葉と同じで、最近ずっと考えていたことだった。
(ログから引用)
事件や事故で家族や親しい人を亡くした人が加害者を憎む気持ちについての質問;
家族や血縁のものに対する愛は生物学的なもので、もともと人間だけではなくすべての生物がもっている、そうでない他者への愛と慈悲こそ自分の意思で持つことが大事。事件や事故の加害者が人を害するようなことはすべていずれ自分に還ってくるものであり、その意味ではその報いを受ける人間に対してこそ私たちは愛と慈悲を持つことを考えることが大切。
罪を犯した人と罪そのものは別のものであり、私たちはその罪に対する怒りをその人に向けてはならない。

なんでずっとこのことを考えてたかというと、4月末くらいからちょこちょこと永井均の「道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学」を読んでいて、「道徳は復讐である」のか?、「敵を愛する」ことについて考えるたびに、あのダライ・ラマ法王の笑顔が浮かんできてしょうがなかったから。外から見てると中国は明らかにあの人の敵なのではないかと思うんだけど、微塵も憎んでいないしむしろ愛している笑顔だったんだよね。いわゆる一般的に言われていて、みんなが頷く「罪を憎んで人を憎まず」なんだけど、言葉にしてしまえばそうなんだけど、そのことの深さを考えさせられる笑顔で、ずっと忘れられない。

西洋の哲学は、ニーチェからこっち、どこまで到達しているんかな。
第1章 ルサンチマンの哲学
善悪の起源

 キリスト教的ルサンチマンは、反感や憎悪をそのまま愛と同情にひっくり返すことによって復讐を行う独特の装置なのです。この装置を使うと、憎むべき敵はそのまま「可哀そうな」人に転化します。だから、彼らの「愛」の本質は、実は「軽蔑」なのです。
 「敵を愛する」という言葉はそもそも矛盾表現ですね。「敵とは闘うべきだ」と考えないなら、なぜもっとすっきり「敵などというものは存在しない」とは言えないのか。それは、この表現が二つの価値の間を媒介することによる復讐を表現しているからではないでしょうか。
 「ルカ伝」に「あなたがたを憎む者に親切を尽くし、誹謗する者に神の祝福を求め、侮辱する者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはもう一方の頬も差し出し、上着を奪う者には下着をも拒むな」という言葉がありますね。問題は、なぜもう一方の頬をも差し出さずにはいられなくなってしまうのか、なぜ親切を尽くしたり、神の祝福を求めたり、祈ったりせざるをえなくなってしまうのか、というところにあります。反撃する力がないなら、なぜせめて自分を憎む者や誹謗する者に対して何もしない程度には強くなれないのか。人間はそんなこともできないほど弱いのだ―――僕はこの箇所からそういうメッセージを読み取ります。つまり僕は、キリスト教徒のようにこの倫理を称揚するつもりはもちろんないですけど、ニーチェのように非難するつもりもありません。むしろここに、人間の弱さと道徳の悲しさを読むべきだと思うのです。(P26〜)

「敵を愛する」というのが、反復感情の表れだというニーチェ洞察は深いし、実際ハッとさせられる。

GW中のリトリートで、自分のある行動は復讐なのではないか、、ということを考えていた。過去に自分を苦しめた誰かや何かに対する、同情や軽蔑がやはり含まれているのではないか、、ということを。

でも、それだけじゃないよなっていうのも同時に感じていて、やっぱりダライ・ラマ法王の笑顔が浮かんできて、この違和感はなんなのだろうと、頭で考えたことと、気持ちのほうで感じるなんか言葉にできないものとの温度差は、って。答えなんて出ないんだし、それもわかっているんだけど、やっぱり折に触れて考えてしまう。

道徳は〜」の中でも「見えないヨーロッパ」について語られていたけど、私たちはもう空気のように当たり前すぎで見ることさえできない、認識できないものになっている「ヨーロッパ」に首まで、いや頭の先まで浸かっているのであるよなあと、せめてそのことを忘れないでいたいものだと。

それにしても、私、学者でもなけりゃ、何かの先生でもないし、作家とかそういうものでもないのに、なんでこんなにいろいろと考えをこねこねしたりしてんのかね。好きでやってるんだろうからしょうがないけどさー。

や、しかしそんなに深刻になってはいないのですよ。なにやっても、どんなこと考えても「大丈夫」って思う。
普通は逆なのかも知れないけど、私ホントに「大丈夫、いつか死ぬ」って思うと安心するようになった。
posted by みつこ at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月14日

лекарство は「от」と繋がる

ロシア語で、頭痛薬とか風邪薬とか「〜薬」っていうとき、「лекарство от〜」って言うんだけど、今日自分でその言葉を発しながら、そうなんだよな〜って思ってた。

「лекарство(リカールストヴァ)」これは単純に「薬」って意味で、「от」は前置詞。単純に英語に訳すと「medicine for〜」となるんだけど、このロシア語の「от」は厳密に言うと英語の「for」のような意味合いは持っていなくて、どっちかというと「from」もっと言えば「away from」みたいな方向性を持つ前置詞なわけ。だからロシア語で「○○の薬」って言うとき、その症状から出る、抜け出す、離れるためのものという概念が一緒に心象に入ってくる。なんだかまっとうな薬の捉えた方だという気がしてこの組み合わせが好き。

ちなみに、「лекарство для〜」ってなる時もあってそれは、こんなふう
「лекарство для лечения простуды(風邪の治療のための薬)」
普通は「лекарство от простуды」で風邪薬って言うけども。
posted by みつこ at 14:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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