2010年06月30日

あっためスポット

ライフハッカー[日本版]で夏のアチチな体にはクールダウンスポットを冷やすといいらしいっていう記事があったのだけど、これは逆に冷房なんかで冷え過ぎて体調を崩さないために、あっためスポットと考えることもできるなーと思ったので、メモ。

100628kybqcs.jpg

血管が皮膚に近い位置を冷やす
手首と首を冷やすのが全身のクールダウンにつながるのは、脈拍のとれる位置だからです。脈拍のとれる位置は血管が皮膚に近いため、そこを冷やすと、冷却された血液が全身を巡るので、結果的に全身がクールダウンするそうです。

とのことなので、冷えて困っている人は逆にこの場所を冷やさないように気をつけるとイイよね。

もちろん、アチチで困っている人は素直にこの記事をお役立ていただければと思います(笑)。でも、あんまり冷やし過ぎないでね。
元の記事→http://www.lifehacker.jp/2010/06/post_1532.html
posted by みつこ at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Naked Tracks 3 〜今日が昨日の繰り返しでも〜

なんつーか、、、
たとえていうならば「エレファントソング」を
もっともっと濃厚にしたみたいな
それがいくつもいくつもとめどなく溢れ出てくるみたいな
そんな祈りのつまったアルバム

Naked Tracks 3 〜今日が昨日の繰り返しでも〜


Naked_Tracks_3b.jpg

エレファントソング
posted by みつこ at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月28日

好きな店で好きな人たちと/たなかひろあきライブ@渋谷Lantern

アンディさんの還暦記念(っぽい)ライブ(笑)ということで、そんなこんなな選曲が盛りだくさんなライブ。

あんまり言うと怒られるけど(笑)、やー還暦とは思えないアンディさん。いつも見てたより髪がけっこう伸びていて、ちょっと見慣れない感じがしつつ、まあ相変わらずに元気なじーさんでした。あ、じーさんとか言ってまた・・・(笑)

前半の前半は裕二さんとアンディさんの二人で、アンディさんが初めてチェのレコーディングに参加した時の曲ということで、裕二さんが歌う「I love you, SAYONARA」、そしてここでこの曲が聴けるとは!な感じの「Rainbow Station」、その後、裕二さんがベースに持ち替えてのインスト、この頃にはすでに楽しくなり過ぎてた(笑)のでなんの曲だったのか、既存曲だった?かどうかがわからないんだけど、もーこれカッコよかったよ。裕二さんのベース!!

前半の後半は、ひろが加わりアンディさんがチェ以外でレコーディングやライブのサポートに参加した曲のカバー、なぜか女性の曲ばかりで、ひろがお姉っぽく歌う・・・?(笑)
「ミ・アモーレ」、「待つわ」、「みずいろの雨」など、あとなんだっけ?ほぼ女性陣で占められている客席に一緒に歌えと強要するも、みんな口ずさむ程度だから納得いってないようでした(笑)。「待つわ」とかは、裕二さん、アンディさんが途中からコーラスで参加してくれたりして、なかなかおもしろいことになってたけど。

休憩をはさんで後半は、ひろの曲メインで進行。

Passage
Everything Has An End
A Broken Piece(やった?と思う)
想い出は風の中へ
月影
週末
消せない想い
if
(順番はどっか違うかもなー、まあだいだいこんな感じ)

裕二さんもひろもステージにMacを持ちこんでいて、ひろは曲のデータ(歌詞とか譜面とか?たぶん)を自分で見るためっぽかったけど、裕二さんは曲ごとに効果音とか流してて、「Passage」ではアルバムに入っているような感じに雑踏の音を流したり、「Everything Has An End」では波打ち際の音だったり、最近はこういうことできるから楽器が少なかったり、人数が少なくても、ちょっと広がりがでたり、変わった試みができたりもするよね。それでも、曲や唄がイイことがもちろん前提条件だけども。

自主的に始まるアンコールは「Stand By Me」で、歌詞はほとんど歌ってなかったけど、で、最後はこれを歌わせてもらいますって感じで「Starting Afresh」

ひろ本人が歌いたい歌よりも、アンディさん参加で撮った曲、撮ってなくてもアンディさんが好きなひろの曲という基準で選曲されていて、必然的に懐かしい曲が多くなる。「Passage」とか改めてすごく良い。なんかさ、昔のことを思い出すけど、この曲を作ったときの気持ちや、その歌っている言葉を噛みしめて、なんつーか昔の自分に励まされている感覚なんじゃないだろうかと思いながら聞いた。もう10年くらい前のアルバムの曲で、実際に曲を作ったのはそれよりも前だと考えると20歳とかそれくらいの時なのかな、って思うとなんかさー、もうホントに当時のその人が大事に思えるよ、たまらんよ。

たぶんひろのライブは2年ぶりくらい?なんか、別イベントでたまたまチラッと聞くことはあっても、まともにライブにきたのはそれくらい久しぶりだと思う。
いつもライブの度にちょっとしたこと、もっとこうしたらいいのにとか、いちいちそういうこと気にしながら聞いてたり、自分の感情、感情というより執着心、みたいなものの方がすんごく強かったりしたけど、もうそういうの全然ない、もちろん、あ、ここもったいないっていう場面もあるにはある、でもそれも含めていまここで起きていることへの愛おしさの方がずっと強くて。

ライブで唄うことはたくさん息をして声を出すことで、それはきっと単純に体にいいことだとも思うんだよね。いまそこにはおそらくいろんな思いがぐるぐるしているんだろうけれど。そんな心情に「Passage」がスッと寄り添ってきた気がしたんだよなー


大土井裕二 公式サイト
http://www.odoipage.com/

たなかひろあきHP
http://www.hiro51.net/

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菩提心生起の偈

すべての有情を救済しようという願いによって
悟りの真髄に至るまで
仏陀・仏法・僧伽に
常に私は帰依いたします

智慧と慈悲を持って精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる菩提心を生起いたします

この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように
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2010年06月27日

思いやりの洗練

6月27日 他人と自分の情緒に繊細になる

 回復、改善を続ける努力をしていくうちに、自分と他人に対する接し方が違ってきます。他人の情緒や自分の情緒に繊細になり、しかも、たやすく心に傷がつかなくなります。相手に同じことを伝えるにも、思いやりのこもった言い方ができるようになります。自分や他人を、さげすむようなことはしなくなります。

 芯が強くて、しかも繊細な人は、ものをはっきり見きわめることができ、自己評価も高く、他人に親切につきあいます。自分がどういう言い方をして接すると、相手にどんな影響を与えるかということを考え、洗練に洗練を重ねていきます。

 相手が洗練されておらず、ひどい言葉や態度を返してきても反射的に行動しないで、じっくり現実を見きわめ、相手に対する尊敬心を矢わず、しかも自己を失わないで対処していきます。もちろん、これができる人はまれですが、こういう方向へと向かうよう、改善の努力をしましょう。
西尾和美今日一日のアファメーション より


「自分がどういう言い方をして接すると、相手にどんな影響を与えるかということを考え、洗練に洗練を重ねる。」

直接接するときももちろんそうだけど、こうやって文章を書くときも同じことだろうな。どう思われるか、とかの不安や恐怖に基づいてあーでもないこーでもないと推敲を重ねるタチだったけど、同じ慎重さを持ってそのまま、思い遣りに基づく洗練をしていけると思う。

芯が強くて、しかも繊細な人でありたいものだ。
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2010年06月22日

強くないとやさしくできない

ウチでの会話、ヨガのクラスでこんなポーズをするんだけど、とかの話をしていて、自分で言った言葉にハッとした。

ダウンドッグから片足を前に踏み出して手の間におろし、ローランジのポジションへという、どんな流派や強度のクラスでも必ずといっていいほど頻繁に遭遇するシークエンスの話しで。
昔は一回で前まで持っていけなかったし、一回でいけるようになってからもどしんと足をおろしてたんだけど、あるクラスで膝をしっかりお腹と胸に引き寄せて、体重を徐々に前に移動させて行き(片足でチャトランガに近いかたちを通過)、最後にゆっくりと床におろすっていう練習をひたすらやったことがあった。それ以来やさしくおろすことを心がけるようになったんだけど、これはしっかり引き寄せる力を使わないと、ゆっくりやさしくおろすことはできないんだよね。っていう流れで、強さがないとやさしくできないんだよ、って自分で言ってから、あら、これってよく聞く言い回しだね、なんて思った。

からだで経験していることは、ほとんどの場合こころについても当てはめることができる。逆もまた同様。
からだはこころのいちばん外側、こころはからだのいちばん内側。
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2010年06月21日

傷は癒すためにあるものじゃない/山口洋@渋谷PLEASURE PLEASURE

機材の調子が悪いのか、時折ノイズが入るという状況で、でもそこに対しての不満を見せるでもなく、音楽に集中する姿、いまここにある現実の中での最大限を捧げるというような決意が感じられたような気がした。

5曲目辺りでさすがにノイズがひどくなって、スタッフがステージに入ってちょこちょこなんやらやっていたんだけど、そこでヒロシが話し始めた。

去年亡くなった大事な友達の川村カオリちゃんの名言で、こんなのがあって、、、ヒロシの音楽はすばらしいけれど、でもこれに繋がってるから(と言ってギターから抜いたシールドをくるくる回して)ヒロシは自由じゃない。そう言って「歌を紡ぐとき」をアンプラグドで歌い始めた。ここにもカオリちゃんを思って歌い続ける人がいた。



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posted by みつこ at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

RADIO RED HOTのゲストにSION

ツイッターからのコピペですけども

【RADIO RED HOT】更新!今回のゲストは SION です。7/20 LOFT公演のことを中心に色々伺ってます!

http://www.red-hot.ne.jp/radiorh/
posted by みつこ at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月20日

六波羅蜜/チベットの般若心経

チベットの般若心経」P196〜註の(67)〜(73)

六波羅密について
※自分メモ
波羅蜜(はらみつ)とは、パーリ語の「パーラミー」の音訳。
意味は「完全であること、完全なもの」(perfectionあるいはcompleteness)

・布施(ふせ)
・持戒(じかい)
・忍辱(にんにく)
・精進(しょうじん)
・禅定(ぜんじょう)
・般若(はんにゃ=慧)

「布施(ふせ)」とは、他者へ惜しみなく施すこと
 金銭や財物を施す「財施」、教えを施す「法施」、危難を救って恐れのない状態を施す「無畏施」という三種類があり、これらを総称して「三施(さんせ)」という。密教では、楽や善を施す「慈施」を加え、「四施」という場合もある。
 布施波羅密は、施す相手を選ばない。普通の考え方として、困窮している人々へは何か施したくなるかもしれないが、裕福な人々に対してはそう思わないだろう。確かに、豊かな人たちへ財施を行う必要はないけれど、法施や無畏施などは必要かもしれない。だから、菩薩行としての布施波羅密は、「誰に対してでも、相手の必要とすることを惜しみなく施す」という心構えが大切である。
 これに対して、布施の中に含まれる「供養」は、相手を選んで捧げるものだ。一般的には、帰依の対象である三宝、及びその特別な現れ方である上師や本尊など、供養を受けるにふさわしい相手に捧げる(ただし、密教の供養法で、上師や三宝へ捧げた供物の残余を、地神や餓鬼などへ施すこともある)。本当のところ、三宝は供物自体を必要としているわけではないので、供養とはもっぱら、捧げる側が功徳を積むための修行である。

「持戒」とは、修行者それぞれの立場で「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」を守り、その上で特に「菩薩戒」を堅固に守ること。
 菩薩戒は内容の面から、悪行を断つための「摂律儀戒」、善行を進めるための「摂善法戒」、他者を利益するための「利益有情戒」という三者に分けられ、これらを総称して「三聚浄戒(さんじゅじょうかい)」という。
 なお、持戒波羅密の当然の前提として、「十善戒」(不殺生(ふっせしょう)・不偸盗(ふちゅうとう)・不邪淫(ふじゃいん)・不妄語(ふもうご)・不両舌(ふりょうぜつ)・不悪口(ふあっく)・不綺語(ふきご)・不慳貪(ふけんどん)・不瞋恚(ふしんに)・不邪見(ふじゃけん))を守ることも必要である。そして、密教(瑜伽タントラ、及び無上瑜伽タントラ)の灌頂を受けている場合は、最も重要な律儀として、「三昧耶戒」を厳守しなければならない。

「忍辱」とは、苦難を耐え忍び、特に危害を加える他者に対する怒りを抑制すること。
 内容の面から、危害に対して何とも思わない「耐怨害忍」、苦しみを甘受する「安受苦忍」、あらゆる存在を吟味することに耐える「思択法忍」という三種に分けられる。
 アールヤデーヴァ(聖提婆)は『四百論』で、「加害者によって危害が加えられるのか否か、[加害者]自身の力でそうなっているのか否かを、観察していなければならない。まるで自身の力でそうなっているかの如く[危害が]なされた[と思うかもしれないが、そう]ではないと知るべきだ。それは、煩悩という他の力によるものなのである。[それゆえ]牟尼(釈尊)は、諸煩悩を[敵として]ご覧になるが、煩悩にさいなまれている人など[を敵視するわけ]ではない」と説いている。
 また、シャーンティデーヴァ(寂天じゃくてん)は『入菩薩行論』第六章で、「千劫に積集してきた、布施や善逝(ぜんせい=仏陀)への供養など、よく行じてきたところのものすべてをも、一度の怒りが破壊してしまう。瞋恚(怒り)ほどの罪悪は[他に]なく、忍辱ほどの難行(困難だが効果的な修行)は[他に]ない。それゆえ忍辱に努め、さまざまな理趣(手段)で修習すべし」と説いている。

「精進」とは、修行に努力することであり、それも決して無理やりではなく、喜んで努力できるようにする点が重要だ。
 内容の面から、一切衆生のため三祇百劫(さんぎひゃっこう)の菩薩行に恐れず勇んで努力する「被甲精進」、六波羅蜜に努力する「摂善法精進」、直接的な利他行に努力する「利益有情精進」という三種に分けられる。
 また、精進に必要な要素として、努力すべき対象を確認して理解する「勝解力」、努力が減退しないようにする「堅固力」、喜んで努力する「歓喜力」、長く続けるために適宜休息する「止息力」などがある。

「禅定」とは、心を対象に集中すること。
 禅定の実践では、対象を把握して保持する「臆念(おくねん)」、及びそれが正しくなされているかを調べる「正知(しょうち)」という、二つの心の働きが重要である。カマラシーラ(蓮華戒)の『修習次第』中編では、「いかに所縁をよくつかんでいるか、それとも沈み込んでいるか、それとも外境に高揚のせいで散乱しているかと[心を]観察すべきである。<中略>臆念と正知の策によって、意の象を、その所縁の幹へ縛りつけるようにせよ。いつか昏沈(こんじん=沈み込み)と掉挙(じょうこ=昂ぶり)がなくなり、その所縁へ心が正しく向かうように見えたときこそ、努力を緩めて平等になし、その時点から欲するまで[そうした状態に]留まるのだ。そのように止(心の集中)に習熟した者の身と心が軽安になり、望むまま所縁において心が自在になったとき、止は成就したのだと知るべきである」と説かれている(この中で「意の象」とは、未熟な心を野生の象に喩えた表現。また「軽安(きょうあん)」とは、止の実践を通じて心身を制御し、その結果として、働きが鈍重で意のままにならぬ状態から脱すること。まず心軽安を達成し、それから身軽安を実現するという)。

般若波羅密に関しては第一章参照
第一章
三 般若波羅密の分類と定義
 一口に般若波羅密といっても、本来の意味と仮の意味とがある。その中で、本来の意味というのは、「果としての般若波羅密」だ。これはつまり、菩薩の修行を成就した結果で得られる完成された智慧であり、仏陀の悟りの境地にほかならない。また、この果としての般若波羅密によって了解される対象−−究極の真理である空性−−を「心髄の義としての般若波羅密」という。
 これに対して、仮の意味というのは、「経論としての般若波羅密」と「道としての般若波羅密」だ。前者は『般若経』の経文のことであり、果としての般若波羅密を凡夫へ示すために説かれた言葉だ。後者は、果としての般若波羅密を目指す菩薩の修行であり、六波羅蜜の六番目に相当する。
 この点を、もう少し論理的に整理してみよう。まず般若波羅密を、@心髄の義としての般若波羅密、A経論としての般若波羅密、B道としての般若波羅密、C果としての般若波羅密という「四法」に分類する。続いて、四法のそれぞれを定義するならば、次のようになる。第一の「心髄の義としての般若波羅密」とは、あらゆる存在(諸法)に実体がないという空性である。第二の「経論としての般若波羅密」は、果としての般若波羅密を説いた『般若経』、及びそれを正しく解説した論書や注釈である。第三の「道としての般若波羅密」は、果としての般若波羅密を得るために、菩薩に修行を実践することである。第四の「果としての般若波羅密」は、道としての般若波羅密を修行した結果で得られる完全な慧である。そして、全体としての般若波羅密は、「四法によって特徴づけられる完全な慧」と定義することができる。
 また、果としての般若波羅密と同義である仏陀の「一切智智」(一切相智性)を吟味するならば、それは、@拠りどころとの特徴として仏陀の心にだけ存在し、A在り方の特徴として不二であり、B本質の特徴として覚りの智慧であり、C否定対象から離れる特徴として実体のない幻の如くであるという四つの特徴を具えている。


チベットの般若心経

チベットの般若心経

  • 作者: ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 単行本



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チベットの般若心経/聞・思・修の過程

チベットの般若心経」を結構な時間をかけて、行ったり戻ったりしながら読んでみた。ほぼ自分用でしかないけれども、ここら辺の日付でメモを残しておきます。
(・・・)勝義諦(しょうぎたい=絶対的な次元での真実)すなわち空性を体得するためには、まず言葉によって概念的に理解するしかない。我々は、この点を肝に銘じておく必要がある。具体的には、最初に教えをよく聴聞し、次にその論拠を徹底的に考察し、それらを通じて概念的に確立された空性理解をもとに止と観の修習を重ねることが肝要だ。もし、「勝義諦は言説(ごんぜつ=日常的な言語行為)を超越した次元なので、概念的に理解しようとしても無駄だ」などと誤解し、聞・思・修の過程を軽んじてひたすら禅定を重ねたとしても、有暇具足(うかぐそく)※の貴重な人生を無駄にするばかりで、一向に空性を体得することはできない。そうした実践至上主義を厳しく戒めるため、あえて「邪な妄分別によって悪道(三悪趣)へ赴く」という強い表現を用いた、そのチャンドラキールティの密意をよく汲み取るべきだろう。
第二章 般若心経の明らかな義――空性と縁起/
二 観自在菩薩のの答え――五蘊皆空(P57)

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ひたすら瞑想ばっかりしているのじゃいかんのよ、と。
まずは話をよく聞いて勉強しなさい、と、そして、徹底的に考察しなさい、と、そして実践(あるいは瞑想)しなさい、と。

沖ヨガで言われる「信じるな、疑うな、確かめてみよ」とも通じるところがあるかも。

仏教用語は漢字で書いてあっても一般的な読み方と違ったり、意味の設定も違っていたりするし、何回も出てくるけどまだ意味がわかってない用語を注釈のページに何回も戻ったりしながら、頻出単語の意味をまとめてメモしたのを、本に挟みながらの読書。なんか試験も何もなくても学生の時とかよりよっぽど熱心にそうやって読んでる自分の姿がおもしろくもあり。


チベットの般若心経

チベットの般若心経

  • 作者: ゲシェー・ソナム・ギャルツェン ゴンタ
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 単行本



有暇具足(うかぐそく)
posted by みつこ at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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