2010年12月31日

ゆく年

せっかくの一年に一度の大晦日なんでちょっとばかり今年を振り返ってみて印象に残ったことをメモっておこうかな、と。

思い出せば本当にたくさん印象に残ることもあるけど、いくつかのテーマで3つずつに絞ってみた。

ヨガ的できごと
1. チベット・ハート・ヨガ GWリトリート
2. ヨガ・トレーニングコース(ベーシック)
3. Yoga Off The Mat(日常をヨガ的に生きる)

リトリートやトレーニングコースのように、ある程度の時間をどっぷりとヨガの中で過ごすという時間の後で自分の中に起こってくる変化がとても興味深かった。日々の暮らしは客観的にはなにも変わらないのに、こっち側のとらえ方次第で全然違う人生に思えてくる。

健康(こころとからだ)
1. 気管支喘息ほぼ完治
(夏以降、まったく薬を飲まなくて大丈夫な生活。たぶんここ10年くらいで初めて)
2. 冷えないからだ
(これはかなり大きい。精神的落ち込みふさぎ込みネガティブ思考は激減。)
3. 生きてるだけで充分

ライブ(全44本)
1. SION with Bun Matsuda アコースティックライブ 12/13@浜松窓枠
(いまだ失語のまま。)
2. たなかひろあき・大土井裕二・アンディ檜山 6/26@渋谷Lantern
(マニアック過ぎるけどw、個人的な印象で)
3. 藤井フミヤ Spring Fever 4/18@沖縄コンベンションホール
(夏のはじまり)

本(全59冊)
1. チベットの般若心経(ゲシェ・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ、クンチョック・シタル)
(「空」についての考察。これ読んで以降、哲学、宗教、科学、倫理、なにかを突き詰めて考えようとする時にいつも必ず心に浮かぶ。ここと他所を行ったり来たりしながら進んでいく)
2. 二人の小さな野蛮人(アーネスト・T・シートン)
(<少年>たちを見守る気持ちでワクワクしながら読めた小説。)
3. ジェロニモ(フォレスト・カーター)
(アメリカ・インディアンの歴史、信仰と愛と戦いについて)

仕事でもそれなりの激務も乗り越えつつ、やりたいことやって、やらなきゃいけないこともやって、たのしいことやうれしいことやそうじゃないこともいろいろあって、考えて感じて、

生きていこうとする力が自分の中にもちゃんとあったってことを発見した年だったかもしれないなあ。

いつもと同じ朝が、明日またやってくるだけって思うこともできるけど
それだけのことが本当の奇跡なんだからもうそれだけで
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2010年12月19日

やさしい時間/SION with Bun Matsuda@代官山 UNIT


穏やかなやさしいやわらかな笑顔のSIONだった。
ピースサインでにっこり、なんてのも何回もやってた気がするなあ。
こんな感じのね。

昼間からずっとなんでそれが選ばれたかわかんないけど「狂い花を胸に」が頭の中をぐるぐる回っていた、そんな土曜日。

最近ずっとなんかいろんなこと考えすぎてたんだよな、人との繋がり方とか表現することについてとか、本質的にもっている恐れの感情とか、そんなようなこと、ライブに向かっていても、会場で始まるの待っている時間にも、それの続きが頭の中を流れている感じがしてた。


「カラスとビール」(5曲目!)あたりでやっと(自分の中が)加速し始めた感じかな。
渋くてカッコいい曲。NT3に入ってるシンプルなやつも、『燦燦と』に入ってる一彦さんアレンジバージョンも好きだけど、今回のツアーで文さんのアコースティックバージョンもかなりお気に入りになった。
角度的にちょうど背の高い人がいて、文さんがほとんど見えなかったんだけど、SIONが時々笑顔を向けたりしているのを通して見えない文さんを見ていた感じ(笑)。
なんの曲でだったかな、前奏の最後の方でもう1本ギターが入ってきたような錯覚を起こしたくらい、文さんのギターの音は1本なのに同時にいろんな音がしていて、多重的、匠の技。


アンコール、いっぱい弾き語りやってくれたなあ。
後ろにもう1本ギターがセッティングされてて、去年は確かギター持ちかえてたんだよなあ「金色のライオン」って思って、今日ももしかしたら聴けるのかなと思ったけど、結局あのギターは使わないままだったな。まあ、その時の感じで決めるんだろうから、やるとかやらないとか、本人以外にはその理由は知れないけど。また唄ってみようと思った時に唄ってくれたらいいなあって秘かに(ここに書いたら「秘かに」じゃなくなっちゃうけど・笑)思っておこう。

ある休日。
俺が休みが大好きなのはみなさんご存じの方もいるかもしれませんが…(笑)今はもうそんなことしないけど、昔はよく勝手にお休みにしたりしてました、って。
「誰の顔色が 何色でもいい日・・・」とサビからゆっくり唄い始める。
あ〜ホントに休みが好きなんだねぇって感じが切実に(笑)伝わってくる。今年もとても忙しかったであろうと思うので、年末年始、次の始動までゆっくりしてくださいませ。ホント、猫とゴロゴロはたまらなく気持ちがいいよね。

「そして あ・り・が・と・う」の最後で、
いつだって文様に助けられてる ありがとう
CSC、MOGAMIに助けられてる ありがとう
いつだって「お前に」助けられてる ありがとう
って歌詞を変えて唄う。
文様〜のところはまだおどけてる感じもしたけど、「お前に」ってところでギターも軽くブレイクして、しっかりとオーディエンスに向かって「お前に」って唄ってくれてたのが印象的だった。

最後、「このままが」では、ステージの一番前までマイクスタンドもって出てきてくれて、右にも左にも近くまで来てくれて、みんなの顔を見まわしてた。いつもこうやってSIONがオーディエンスにじっと目をやる時、ああ、ちゃんと見てんだなあって、見てくれてるんだなあってなんだかじーんとするんだよね。

歌い終わって最後、
まあ今年はいろんなことをやりましたが、来年は若い女の子と恋に落ちるお兄さんの役をやってみたいと思います(笑)
今年いいことがあった人は来年もいいことがありますように
今年ぱっとせんかった人は来年はいいことがありますように
ちょっと早いけど、メリークリスマス、良いお年を!
ありがとう!
元気でな!
元気はなくすなよ〜!
ありがとう!

で、一旦そでに引っ込んでからもう1回缶ビールもって登場して、

乾杯!乾杯!乾杯〜!
大好きだぞ〜!


---
ライブに行く前ちょうどウチの人と話してて、そんなに何回も行って飽きないの?同じ曲歌うんでしょ?って素朴な疑問を投げかけられたんだけど、ライブはね、毎回違うんだな、全然違うんだな、だって生きてるからね、って話しをしたら、ふ〜んそうなのかー、そうなのかもなーって言ってたけど、ホントに今年もたくさんのライブをやってくれて、そのうち何回かを見させてもらったわけだけど、何回見てもやっぱり毎回心動かされる何かがある。

これからも、唄うことができる限り、唄いたいという思いが続く限り、唄っていてくれたらな、って、そうしたら見に行くことができる限りずっと見に行きたいと思うし、見に行くことができなくても、聴き続けていたいなと思います。

未来のことを話すのは本当はいつだってなぜだか躊躇する気持ちが起きるのだけど、いまはそう思ってる。

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2010年12月18日

SION アコースティックLive 2010〜SION with Bun Matsuda〜/セットリスト

とりあえず、セットリスト。続きはまた。

SION アコースティックLive 2010〜SION with Bun Matsuda〜
2010.12.18 @ 代官山UNIT


午前3時の街角で
夜しか泳げない
SORRY BABY
石塊のプライド
カラスとビール
ちいさな君の手は
狂い花を胸に
薄紫
砂の城
遊ぼうよ
こんなに天気がいいからよ
ありがてぇ
鏡雨
ガード下
からっぽのZEROから
お前の空まで曇らせてたまるか
Hallelujah
燦燦と

-EC 1-
風邪(弾き語り)
曇り空、ふたりで(弾き語り)
ある休日(弾き語り)
12月(弾き語り)
赤鼻のトナカイちゃん(弾き語り)
そして あ・り・が・と・う
マイナスを脱ぎ捨てる

-EC 2-
ごきげんさ
たまには自分を褒めてやろう
このままが
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2010年12月13日

言葉を見失う夜/SION with Bun Matsuda@浜松

わーなんだあれ、なんなんだよ−この人はもー!って、
ひとりでわーわー言いながら、終演後、最終の新幹線に乗るべく駅へ向かってた。

普通に歩いても間に合うはずだとわかってるのに、どうしても小走りになってしまったのは、心の動揺?興奮?の現れだったのかも。いまだになんだかわからない、どうしようもない、走り出したくなるような気持ちになったライブだった。

浜松、個人的には特に縁のない土地なんだけど、日帰りできる距離だしっていうのもあって去年もこのアコースティックツアーでライブ見に来たよなーと思ってて、ちょうど同じ日だったと気づく。12月13日。去年のここでのライブも思い出深い。また来たよーとか思いながら、また同じ店でお茶してライブまでの時間を過ごした(笑)。

浜松のオーディエンスの雰囲気が好きだな〜と思った。
たぶん去年来た時も思ったんだ、会場が小さくて一体感みたいなものが感じられるのももちろんあるんだろう、去年はG-SIDEっていうホントにかなり小さいハコで、ステージとフロアーの間には手すりしかないし、みっちみちに詰まったスタンディングのライブだったし。でも、今年の会場はそれよりは広く、天井も高く、シーティングだしでゆったりしているんで、ぱっと見はだいぶ様子が違うように見える。だけど、客の雰囲気は基本的には同じだなと思った。率直で穏やかで、だけどアツいって感じかな。感嘆の声や掛け声や一緒に唄う声やなんやらが、まったく遠慮なくあちこちから聞こえてきて、それがなんの作為もなく自然に漏れてしまった声っていう感じが伝わってきて心地よい、全然うるさく感じない。2日前の長野は大人しいな〜っていう印象があったからよけいなのかもしれないけど、関西や福岡の雰囲気ともまたちょっと違って、穏やかな感じなのがイイ、私は好きだなあ。

SIONは黒地に青い花柄のシャツ、今年何回も見た黒地に赤い花のシャツの色違いだな、たぶん。写真で見た札幌のライブは白地に赤い花でこれも色違いのように見える。前にも、別の柄だけど赤っぽいのと青っぽいの(だったかな?)の色違いを着ているな〜と思ったことがあるんだけど、こういうのはまとめて何着も買うんでしょうかね?(笑)腕の上の方にちっこいポケットみたいのがついてるデザインも、ポケットのボタンがキラキラ光ってるのも一緒だなあ、なんて感心してみたり、あのポッケには何を入れるんだろう、とか、見た目がポッケなだけでホントは縫い付けてあるだけなのかな、とか、しょーもないことを一瞬考えてみたり。

なんか、前半の方、こないだの長野の時から、なんとなくだけど、ん〜ちょっと疲れ気味?のように見えたんだけど、そんなことは終わった頃には忘れてた。というか、後半に怒涛のようになぎ倒されて、前半どんな感じだったのかそれ自体忘れそう(笑)。いや、忘れたくないからがんばって思いだそう。

「続きを読む」は、ネタバレ注意です。


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2010年12月11日

旅に出ました/SION with Bun Matsuda@長野

なんとなく、体調がいまいち?のように見える今日のSION。でもライブはもちろん全力。

去年か、一昨年だったか?CSCのツアーで同じ会場、3組くらいの対バンで見に来た時は、そんなに客が入ってる感じじゃなかったんだけど、今日はHARRYとの対バンだからなのかな、開場前に整理番号順に整列するように指示されるくらいの人の多さ。なんかうれしいねえ。

黒地に赤い花のシャツは同じで、パンツはあれなんつーの?ペンキをたらしたような点々がたくさんついているやつ、左モモのあたりには十字に破けた感じにもなってる。福岡の時はGパンが下がってくる・・・って言って、たまに後ろ向いて前屈みになった時に、パンツ(下着の方ね)ちょっと見えてるぞ(笑)と思ってたけど、今日のGパンは大丈夫だったみたい(笑)。
底がタイヤみたいなぶ厚い黒いブーツ、これたぶん福岡でも履いてたかな?なんかとても遠くまで飛べそうな靴だよ(笑)。

対バンでおそらく他の会場と比べて時間は半分くらいなんだろう、セットリストどんな感じかな?と思ってたけど、真ん中あたりを中心に削ってた感じで、なんとなく予想してたような感じ。
聴きたかった曲が残ってたり残ってなかったり、まあしょうがないやね。

MCは少なかったけど、やっぱりHARRYのことを話してた。「2年くらい前かな、ここでライブやった時に、チラシを俺とHARRYで表裏って作ってくれてて、うれしかった。今日は、(一緒にやれて)うれしいです」って。
あともう1こ話してたのは、
HARRYと言えば、24、5才くらいの時に、女子高生と付き合ってて(笑)、その彼女がHARRYのファンでねえ、ヤキモチ焼いた(笑)って。ミュージシャンと付き合う人は、他の人(ミュージシャン)のことをあんまり好き好き言わない方がいい、とか言ってた。
やっぱりそうなんかね?まあ参考にさせていただきます(笑)。つーか別に本人がミュージシャンじゃなくても、付き合ってる彼女とか奥さんが誰かのファンで、そっちに夢中だったらヤキモチ焼く人も普通にいるだろうから、ミュージシャンに限った話しじゃないような気もしますけど(笑)。

全部で11曲、やっぱりちょっと物足りない感じはしたかな。
でも、SIONがHARRYと一緒にやれてうれしいと言っていたから、こういうブッキングもありなのかなって、たとえばファン層がとても若くて図らずもモッシュにもまれる羽目になる対バンよりはきっと(笑)。

HARRYのことは、よく知らなかったけど、そうだな、年とってもかっこよく音楽続けている人なんだなって思った。おそらくとてもシャイな人なんだよね。


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2010年12月03日

「あなたは居なさい、ぼくは行く」

イシ―北米最後の野生インディアン/シオドーラ・クローバーから、興味深かった部分、気になった部分、印象に残った部分などをいくつか抜粋。

 スペイン系アメリカ人のカリフォルニア侵略は、インディアンにとって厄災であったけれども、結局、アングロサクソン系アメリカ人のそれよりも人命や価値あるものを滅ぼすことが少なかった。前者の侵略は数においても少なく、インディアンの千人単位に対して百人単位にすぎなかった。この土地に住むに至った人々の多くがどんなに残酷で自分の文化にしばられていようとも、彼らは責任ある教会や国家の役人であり、軍人であった。あるいは彼らは牧畜家や農園主であったが、ひとりひとりが自分の権力について責任があった。また彼らはその人種観において地中海的であった。つまり、現地人と種族間結婚をして混血児(メスティソ)が生ずることは征服の当然の結果だと考えたのである。
 それと対照的にアングロサクソン人は洪水のように押し寄せてきて、白人とインディアンの比率を逆転してしまった。一年に十万人も来たのである。彼らは教会の統制も受けなかったし、インディアンの存続にとって運命的な何年かのあいだを通じて、適切な国家や軍隊による規制も受けなかった。だから行き過ぎや残虐行為や犯罪なども、それらをなんらかの監督規制の下におこうとする努力も、共に開拓者自身に委ねられたのであった。アングロサクソンは現在同様、当時も人種的偏見の傾向があった。自分たちと異なる皮膚の色をした人は知的道徳的に劣ると考えられた。そういう人間と結婚することは反社会的行為であり、時に法律で禁じられていることもあった。
第3章 死に瀕した種族(P63〜)

同じ侵略するにしても、人種観の違いで(それだけが要因ではないにせよ)、侵略される側の被害もずいぶんと変わるものなのだということを、改めて認識。

(・・・)インディアンは、機会さえあれば、騾馬、牡牛、牝牛、羊を(白人の牧場から)奪い、彼らにとって食物や衣服になるこれらの動物をいささかも無駄にしなかった。彼らは毛皮で毛布や肩掛けを作り、皮をなめし、生のまま食べなかった肉を干し肉(チャーキ)にした。言いかえると、彼らは運び入れた動物を、鹿、熊、大鹿(エルク)、兎を処理する場合と同じに扱った。犬が彼らの知っている唯一の家畜であったから、彼らはそれらの動物が飼育されているとは知らなかったようである。彼らは生きんがために盗んだり殺したのであり、家畜や富を増やそうというのではなかったし、また自分たちが奪った物が一人の人物の所有物であることを本当は理解していなかった。何十年も後、イシが中年をすぎた年齢になって、彼は自分やヤヒ族の同胞が白人の基準から見ると窃盗の罪を犯したことを思い出すたびに、痛ましいほど赤面するのであった。
第4章 全滅のエピソード(P87〜)

正しいとか間違ってるとか、そういうことが単純に普遍的に適用できないということを如実に物語っているエピソードだと思う。暮らしの背景となる風土、歴史、伝統、文化、食習慣やその他いろんなことが違うと、価値判断もごっそり変わる。

 新聞記者たちは彼の名前を知りたがって、クローバーがそのような質問は今の場合、不作法だし無駄だと説明しても引き下がらなかった。(・・・)カリフォルニアのインディアンは自分の名を告げることはまずないし、すでに知っている人に対してほんのまれに使うだけであり、単刀直入に訊ねられたのでは絶対に答える筈がないのだ。(・・・)クローバーは、「よし、彼をイシと呼ぼう」と言った。もっと立派な名前を思いつけなくて残念がっていたが、イシというのはヤナ語で「人」を意味する語であるから、通り名でもあだ名でもなく、不適切な名ではなかった。こうしてヤヒ族最後の人はイシと名付けられ、歴史的事実として、人(イシ)になった。
 彼は本当のヤヒ族としての通り名は最後まで明かさなかった。まるでその名が、彼の愛した者たちの最後の一人を火葬に付したとき、薪と一緒に燃えつきたかのようであった。彼は新しい名前をそういやでもなさそうな様子で受け入れた。しかし一度そのように命名されてみると、新しい名は本当の名の持つ彼自身、彼の魂、あるいは名に属する人間の内部の本質と神秘的な結びつきをかなり引き継いでしまったので、そのため彼は二度と再び過去の本名を口に出さなかったのである。
第7章 イシの新しい世界(P184〜)

彼が「イシ」と呼ばれるようになった経緯。
名前と結びつく感情や記憶というものは、意識するしないに関わらず結構大きいものだと思う。
もしも、自分が未知の世界に突然暮らすことになって、「ヒト」って呼ばれるようになったらどんな気持ちがするだろう(笑)。かなりむずむずした感じがするんじゃないかと思うけど、ずっとそう呼ばれ続けたら、そっちに馴染んでいくのかもなあなんてことも思う。

 イシは多分生まれつきかも知れないが、たしかにずっと昔からの習慣で、整頓好きであった。彼の服、洗面具、道具、宝物、あらゆる所有物は小さな彼の部屋の棚にきちんと並べられているか、折り目正しくたたまれているか、あるいは紙につつんで引き出しにしまってあった。彼は博物館の中のどこでも好きな場所で仕事をしたが、それは木片やごみを出す、散らかりやすい仕事であった。しかしはじめる前に新聞紙かタール塗りの防水布を敷き、終わればすべてを片付けた。キャンプの折りに彼の友人たちは、イシが魚の内臓を抜いたり、兎や鹿を殺したりする際に、手際がよくて、周囲にはえのくるようなくずを散らかさぬことに気付いたが、彼の料理と皿洗いは手早くて、しかも清潔であった。
 生活に用いる道具や品々を整頓しておくことを手際よくやり、かつそれを楽しむという態度は、日本人が単なる整頓を「整頓の美学」にまで高める傾向を暗示する。この特徴には性格的な、多分、筋肉運動的な何かがあり、それは所有している品物の種類が乏しいとか、補充がむずかしいので大事にするというような事情では説明されえない。貧困それ自体は世界中のどこでも、整頓とか美的な満足に人を向かわせぬし、清潔好き、誇り、自分の持つ僅かなものを扱うさいの慎重さを生み出しもしない。秩序正しさとか整理の美学は個人の心に深く宿っている、生まれつきのものであるらしい。ある文化はこのような好みと能力を価値として認めており、日本人とヤナ族がその例である。
第10章 最良の年(P332〜)

イシの整頓好きについての言及で、共通の特質を持つ人たちとして日本人が紹介されていておもしろかった。
「整頓の美学」とまでいわれると、なんか恐縮するけど、たしかに快適に生活する、身の回りを整える、とか、いかにうまいこと整理整頓するか的なものは雑誌の特集でもしょっちゅうやってるし、本もいっぱい出てるし、そういうのが売れているってことは、それができるかどうかはまあおいといても、それができることに対して価値を認めているということは確かなんだと思う、それができない人はまるでダメな人であるかのような意識も強いしね。職場の外国人の身の回りは確かに激しいカオスであって、いくら日本人としてはどっちかというと整理整頓がダメな方の私でも、あれにはびっくりするし、見ているだけでイヤになることもあるくらいだし(笑)。

(イシは)別れの言葉を用いるのには最後まで躊躇があった。彼はむしろ、さりげなく「もう行くの?」とか、逆に「あなたは居なさい、ぼくは行く」と言うほうを好んだ。そう言わねばならぬと感じたときには「グッドバイ」を付け加えたが、心はこもっていなかった。個人的なあるいは習慣に深く根ざした理由によって、別れには言葉で認めぬのが一番よいような意義がともなっていたのである。
第10章 最良の年(P341〜)

「あなたは居なさい、ぼくは行く」っていうのに、なんだかグッときた。どうしてこういう言い方をするのかっていうことのはっきりとした説明は本のなかには特になく、たぶん本当の理由は誰も知らないのだろうけれど。

 イシの全体像を考えてみると、その一部は日に当たり、種々な色彩の特徴のあるくっきりした形を持っているが、一部はわれわれの側の無知とイシの不利な立場によって暗い影につつまれている。その影の部分、つまり彼の一生でもっとも輝かしかった1914年においてすら実現されぬ可能性、満たされざる期待について触れなければ伝記とは言えぬだろう。まず、彼には普通の人のように2つないし3つではなく、姓と名を合わせて1つの名しか持たなかった。本当の意味で彼の家になったとはいえ、博物館の住所しか持たなかった。子どものとき覚えた言葉でくだけた調子で胸襟をひらいてときどき語り合える人は誰もいなかった。愛情豊かで真面目な彼が妻子を持つ、あるいは何らかの性生活を送るという満足は与えられなかった。それから現代社会の病気に対して全然免疫になっていなかった。これが他の無数のインディアンにとって破滅の原因であったが、イシもそのために病に倒れ、時ならず不帰の客となったのであった。
第10章 最良の年(P343〜)

「子どものとき覚えた言葉でくだけた調子で胸襟をひらいてときどき語り合える」ことっていうのはホントに心休まることだと思う。長く外国に暮らしたり、外国じゃなくても別の言語を使う人たちに囲まれて暮らすときに、どんなにその言語に堪能になったとしても、それでもやっぱり伝えることがむずかしい心情や、ちょっとふざけて話したいことや、説明のいらないひとことで伝わる独特の感覚とか、一緒に口ずさめる歌だとか、そういうものはずっと心の中で誰とも共有されずに積もっていくものだ。

私にとっては想像しかできない、しかも想像したってきっと理解できはしないであろう2つの世界を生きたイシ。最後に生き残った野生のインディアンがこれだけ成熟した人格をもっていたことは、彼を受け入れた側の白人社会にとってとても幸せなことだったんじゃないかなって思った。
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2010年12月02日

イシ――北米最後の野生インディアン

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会) [文庫] / シオドーラ・クローバー (著); 行方 昭夫 (翻訳); 岩波書店 (刊)

イシ―北米最後の野生インディアン (岩波現代文庫―社会) [文庫] / シオドーラ・クローバー...

感情は抑制され、しかし愛情に溢れた文章。や、最後マジ電車の中で泣きそうになりながら彼の最後の日々について読んだよ。

イシの死について、ポープ(博物館の隣の大学付属病院の医師で、イシの親友のひとり)は次の文を書いた−−
 そのようにして、我慢強く何も恐れずに、アメリカ最後の野生のインディアンはこの世を去った。彼は歴史の一章を閉じる。彼は文明人を知恵の進んだ子供−−頭はいいが賢くはない者と見ていた。われわれは多くのことを知ったが、その中の多くは偽りであった。イシは常に真実である自然を知っていた。彼の性格は永遠に続くものであった。親切で、勇気があり、自制心も強かった。そして彼はすべてを奪われたにも拘わらず、その心にはうらみはなかった。彼の魂は子供のそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。
エピローグ 博物館での死(P356〜)

魂が子供っていうのをはっきりとわかりやすく示している写真が掲載されてた。白人の間で暮らすようになってしばらくして、長く暮した山中に戻る旅(キャンプ)をした時に撮影された川で泳ぐイシの写真。本当に気持ちよさそうで嬉しそうな子供の笑顔で、完璧な<少年>で。
ishi.jpg
(川で泳ぐイシ。当時、推定で50歳代前半)
いつか西表島で川で遊んだとき、ガイドさんが撮ってくれた写真にまったく同じ表情をした<少年>が偶然にも撮影されていたことがあって(笑)、私は急いでその<少年>にこの写真を見せに行ったよ、ねえねえこれなんか見覚えあるだろー?って、そしたら、オレのあの写真かと思ったーってびっくりしてた(笑)。
うちの<少年>もイシの表情もそう、完全に自然と一体化して満たされた笑顔なんだよな〜。ああ、いいもん見た、と思った。

---
この本の著者は、アーシュラ・K・ル=グウィンの母のシオドーラ・クローバー。彼女の夫アルフレッド・クローバーは著名な人類学者で、潜伏生活から迷い出てきたアメリカ最後の野生のインディアン「イシ」を大学に引き取って面倒を見た。

 著者の夫君を中心にしたカリフォルニア大学人類学部とその附属博物館および大学病院の関係者は、イシを世間の好奇の目から守り続け、文化は異なっても平等の人間として彼を遇したのであった。イシも充分にその好意にこたえるだけの知性と礼節をもつ、高潔な人物であったことは本書でも充分うかがえる。
訳者あとがき(P364〜)

 イシが偶然石器時代から迷いこんで来て現代の世界を驚かせてから、もう半世紀近くになる。ここに今から述べられることは、彼について知られている確実なことのすべてである。彼が現代の世界で、また以前彼自身の世界で、信じ感じ行ったことが彼の物語の結節点である。このいわばビーズ玉のようなものをつなぎ合わせて、一連のネックレスを再現することが私の仕事であった。驚くべきことに、彼の生涯というネックレスは、多くの欠けたところがあるにも拘らず、何とか円をなしているようである。
 イシと彼の部族の歴史は否定しようもなくわれわれ自身の歴史の一部となっている。われわれは彼らの土地を吸収して自分たちの所有地にしてしまった。それに応じて、われわれは彼らの悲劇をわれわれの伝統と道徳の中にとりいれ、それについての責任ある管理人とならねばならない。
シオドーラ・クローバー

(・・・)イシは、皆殺しにされた部族の最後の生き残りとして、家族の惨死を悲しみつつ何年間もひっそりと身を隠して暮らしていた。その間に彼の周囲では侵入した白人の町や農園が次々に出来ていったが、彼は足跡を一つも残さなかった。山の中にまだ「未開人」「野生インディアン」が生存しているのをさとられぬようにと、一歩あるくごとに足跡を掃いて消していたのである。何という孤独であったことか!(・・・)
 けれども、彼が孤独で悲惨な暮らしにもはや耐えられなくなって白人の世界に迷い出て来た時、彼の見出したのは、皮肉なことに、覚悟していた死ではなく、思いやりと友情と理解であった。そして「未開」から連れ出されると、すぐに近代都市の真中で残りの生涯を送ることになった。
 イシは有史前の石器時代とあわただしく工業化した二十世紀の間に横たわる巨大な溝をたった一歩で跨いでしまったのである。その一歩は品位あるもので、人間としての尊厳を少しも失わぬものであった。この事実からも、「文明」と「未開」の間に存在するといわれる溝は、実は単に無知と偏見と恐怖心の溝に過ぎぬことが判明する。
序文−−『イシ』再販に寄せて/アーシュラ・K・ル=グウィン

 私の父で人類学者のアルフレッド・クローバーは、イシをもっとも親しく知っていた人物の一人であったけれど、イシの物語を執筆するのを望まなかった。(・・・)どうして父がイシのことを口にしたがらなかったか、私には想像がつくような気がする。一番大きな理由は心の痛みであろう。1900年にカリフォルニアにやって来た父は、無数のインディアンの部族や個人が破滅させられ殺されるのを目撃せねばならなかったに違いない。カリフォルニア原住民の言語、暮らし方、知恵などについての情報を、大量殺戮が完了する以前に、少しでも多く蒐集するというのが、何年にもわたる父の仕事であり、このため父は殺戮の目撃者となったのだ。ナチによるユダヤ人大量殺戮に等しいインディアン撲滅の生き残りであるイシは、父の親しい友人かつ教師になった。それなのに、それからわずか5年後に結核−−これまた白人からインディアンへの死の贈り物である−−で死亡する。どれほどの悲しみや怒りや責任感に父は悩んでいたことだろう!
序文−−『イシ』再販に寄せて/アーシュラ・K・ル=グウィン

 イシの足は「幅広で頑丈、足の指は真直ぐできれいで、縦および横のそり具合は完璧で」あった。注意深い歩き方は優美で、「一歩一歩は慎重に踏み出され・・・・・・まるで地面の上をすべるように足が動く」のであった。この足取りは侵略者が長靴を履いた足で、どしんどしんと大またに歩くのとは違って、地球という共同体の一員として、他の人間や他の生物と心を通わせながら軽やかに進む歩き方だ。イシが今世紀の孤島の岸辺にたった一つ残した足跡は−−もしそれに注目しようとさえすれば−−おごり高ぶって、勝手に作り出した孤独に悩む今日の人間に、自分はひとりぼっちではないのだと教えてくれることだろう。
  1991年6月6日
アーシュラ・K・ル=グウィン

序文−−『イシ』再販に寄せて/アーシュラ・K・ル=グウィン
posted by みつこ at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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