2011年01月26日

両手を広げて


あふれそうだと思ったのは勘違いで、出てくるときは出てくるのね、ってことはたぶん出てこない時は出さなくても大丈夫なんだわ。許容量が増えて抱えていても大丈夫になってるような感覚を確かめながら、書かないなら書かないでもいられるという今までにない不思議な日々を確認していました。そして、毎日の仕事を着々と進めながら、はっきりと言葉に現われないが、どこからか湧いてきた何かが、あふれずに、全体にしみわたって溶け込んでいく様子を、ずっと観察していました。たぶんわたしはみつこさんのからだの範囲というものをたまに忘れて、夜空に広がったりしてたのかもしれない。そうしてあふれそうだと思ったものも、空気に溶け込ませてしまってるのかも。なんてなー。
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2011年01月25日

それはなんと苦しいこと

びっくりするくらい感じやすくて、繊細なナイーブな人を遠くからじっと見守る。

誰かのほんのひとことでがっつり落っこちてしまう、かと思えばほんの少しの光が見えてぱっと明るい顔になる。泣きたくなるくらいきれいな心で、もうダメだ、今度こそもうダメだ、ってずっとずっと思いながら、少しの光を信じて一生懸命に前を向いて進んでいこうとする。

おんなじようなところをぐるぐるしているように見える、おんなじようなところでまたつまづいているように見える。もっとこんなふうにできたら苦しくないのに、こっちに行った方が先に進めそうなのに、ついついそんなふうに思ってしまう。だけど、最近はそこで思い直すようになった。

おんなじように見えてもいっこいっこ全部が違う経験、そしてこの人が自分で選んでいる経験、たとえ無意識でも、たとえ愚かに思える選択でも、この人だけの大事な一回きりの。
だってわたしだってそうやって生きている。

わたしはどうしても目を離すことができない、あの中にもわたしはいる。
ただ見守ることしかできないのかもしれないけど。

祈る気持ちはいつも、あなたの心が自由であるように、いつでも呼吸が流れてあるように。
一緒に息をしてるよ。
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2011年01月14日

いつも誰かがどこかでなにかを書いている

ことば偏愛主義者が、
書きたい、、、書けない、、、なんて、行ったり来たりしているあいだに、
こうやって代わりに(?)書いていてくれる人もいる。

ほら、いといさん

http://www.1101.com/home.html

今日のダーリン(2011.01.14)

・ことばこそ「超能力」なんじゃないか。
 そういうふうに思ったことがあります。
 お遊びみたいなことだけれど、
 ことばで、スプーン曲げだってできます。
 あなたは手も使わないし、
 スプーンに触れさえもしないでね。
 遠くにいる誰かに、スプーンを持ってもらって、
 こちらからことばを送るんです。
 「曲げて!」とね。
 そしたら、かなりの確率でスプーンは曲がります。
 うまく曲がらなかったら、
 「頼むよ」とか「お願い」とか追加のことばを送ります。
 
 「そんなの、あたりまえじゃん、ばからしい」
 そう思われてもしょうがないけれど、
 じっさい、他のどんな方法よりもすごい能力じゃない?
 
 そんなことばを、ぼくが日本の東京のある場所で、
 文字として書き記しているんだけど、
 そのことばが、会ってもいないあなたのこころに、
 なにかを感じさせたり、別のことを考えさせたりしてる。
 ひょっとしたら、明日や明後日よりも、
 ずっと先のあなたの行動にも作用しているかもしれない。
 
 ことばが、音の波に乗って遠くまで近くまで行く。
 ことばが、文字のかたちになって、過去や未来まで行く。
 ことばが、人を震わせる。
 ことばが、人を傷つけたり、人を癒したりする。
 
 ことばという超能力以上の超能力のことを、
 ぼくらはもっと信じたり恐れたりしてもいいと思う。
 
 さて、このことばを届けられている人のこころが、
 いい気持で満たされますように。
 ‥‥ほらねっ。

・いつも、へたくそに少しずつ刻んでいることばを、
 受けとめて読んでもらえていることを、
 ぼくは、これまで以上にしあわせに思うようにします。


やっぱりわたしはことば偏愛主義者だと、つくづく感じている、冬の日々。
愛し過ぎちゃっており、ビビってもおり、
とても放出したいのだけど、
するとなったら大事に放出しようとして、し過ぎて結局完了しない。

ことば、そこにはまだ恐怖もくっついてるね。
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2011年01月12日

か、書きたい、、、

いい加減あふれるぞ〜
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2011年01月11日

この世は生きることに値する宇宙 そして光

「山口洋 / 細海魚 TOUR2011 "SPEECHLESS"」Vol.1 @千葉ANGA

ヒロシ&魚。
あ〜いいもん見た。っていうのが終わってひとこと、ため息とともに出てきたことば。

ライブ音源を元に作成されたアルバム「Speechless」を連れてのツアー初日。まさにその音源が録音されたライブハウス「千葉ANGA」にて。

この日のヒロシは、アタマじゃなくてからだとこころでステージに立っているという感じだった。

4曲目の「Precious」ですでに、曲途中にすごいテンションになって、それは歌唱ですか?あるいは咆哮?
のようなことになってるヒロシ。

1曲1曲が長くて、いつ歌い出すのかと、歌わないで終わるんじゃないかと思うくらいに長いインストが続いたかと思えば、歌うというかしゃべるというか語るというか、そんな歌がまた延々と続いたりして、またギターをずっと弾いたり、終わるかとじっとタイミングを見ていると、そのまま切れ目なく次の曲にいってたり、とにかくライブという場でこんなものを見たことがない、いいイミで。

ライブが久しぶりなので、まだ感覚がよくわからず自分でもよくわからんことなっていて、って話し始めて、
何年か前に心が弱ってた時期があって、体を鍛え始めた、いまは人生でいちばん体のキレがいい、そしたら今度は演奏中にスイッチが入ると制御不能になって、心が体に引きずりまわされてるような状態になることがある、と言っていた。

「LIFE GOES ON」が途中で引っ越しの歌になり、寄生虫博物館の話を挟み(笑)、また「LIFE GOES ON」に戻っていく流れとか、すごくフリーダムで、頭で考える枠とかああしようこうしようっていう意図とかそういうの全部取っ払って、湧いてくるものをそのまま出している感じなのがイイ。それは、ただなんにも考えないことや、適当に勝手に動くこととはまったく違って、その表現が湧いてくる確かな源泉があるということ、それを表現する術(すべ)を持っていること、その両方がないと表に出すことができないものだと思う。

アンコールで出てきて話してたのは、
自分がやっている音楽を○○系とかってカテゴライズされることはあんまり好きじゃないんですが、あえて○○系というとすれば、、、CD屋のHEATWAVEの棚には「やり直し系」って書いてほしい(笑)。人間は何度でもやり直すことができる。
で、唄ったのは「オリオンへの道」

基本、「Speechless」なんで、そんなにしゃべらずに進むんだけど、たまにしゃべると本人ははずした、とか、すべった、とか、何をしゃべってるんだオレは・・・って思うのかもしれないけど、ヒロシという人間がそのまんま出ている感じがして、私は少ししゃべってくれる方が好きだなあと思いますぞ。

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「山口洋 / 細海魚 TOUR2011 "SPEECHLESS"」Vol.1 @千葉ANGA


魚さんの「Timeless」っぽい感じのオープニング

Oh Shanandoah
Now Here Man
Girlfriend
Precious
フールとクール

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LIFE GOES ON
I BELIEVE IN YOU
BORN TO DIE
Still Burning
Starlight
出発の歌

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オリオンへの道
posted by みつこ at 02:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月02日

愛される人


ヨガの先生が激!オススメしていたので気になって11月頃から読んでいた本で、もしラインマーカーで線を引いてよければ、どのページもマーカーだらけになりそうですが!というくらいのことばが溢れている1冊に出会ってしまったのですが、もう一度読み返しながら、メモをとったりしていたら、もうこれは今年の手帳の1ページ目に書き写しておきたい、と思った箇所があったので、ここにも紹介を。

愛と癒しのコミュニオン (文春新書 (047)) [新書] / 鈴木 秀子 (著); 文藝春秋 (刊)
愛と癒しのコミュニオン (文春新書 (047)) [新書] / 鈴木 秀子 (著); 文藝春秋...


 愛されない人と、愛される人を見ていると、愛されない人にはそれなりの理由があるようだ。しかし、愛される人が愛される理由を、具体的にあげるのは難しい。
 ただ一つ言えることは、愛されている人には、愛が受け入れられるために自分をごまかす習慣がないということである。
 逆に愛されにくい人の場合、相手に受け入れてもらおうとする力みが、かえって相手から拒絶される原因をつくっているケースが多い。つまり、相手の歓心を買うためのお世辞や、微笑みや、やさしいそぶり、物静かさ、謙遜、慎ましさ、はにかみ、あるいは積極的な生き生きした態度や聡明な言動、そういった態度が、かえって相手との親しさを断ち切ってしまうのである。
 これに対して、愛されている人は、相手に受け入れてもらおうとする努力はせず、自然体なのだ。他の人と親しくなるために、他人を無意識のうちに操る習慣から解放されている。
 親しい和を持つ間柄というのは、お互い受け入れ合い、認め合い、相手を操作しないで、共にいることに静かな幸福感を体験することである。真の親しさとは、一緒にいる人が、それぞれの感情と自律性を尊重することである。自分を殺して他の人の言いなりになったり、我慢をして表面を繕うのでなく、他の人を尊重して、自分の希望をすぐに満たさないでいることもでき、「それはそれでいい」と、軽やかに自分自身を受けとめているような関係である。
 つまり、相互にアイデンティティ(自己同一性)を持っている関係である。
 自分が自分にとって本物である時、自分が自分を正直に見つめている時、自分を好ましい人間に見せようとしない時、人に愛されるようになるのだ。体験していることや、体や心が感じていること、言っていることが、自分自身にとって本物で調和している時のあなたを、人は好きになるのである。
第2章 自分に聞く/愛される人と愛されない人(P109〜)


「愛が受け入れられるために自分をごまかす習慣」
「他の人と親しくなるために、他人を無意識のうちに操る習慣」
なんか、、ぐさぐさきますよ。

「他の人を尊重して、自分の希望をすぐに満たさないでいることもでき、「それはそれでいい」と、軽やかに自分自身を受けとめ」る、確かにそれができている時の心の軽さといったらない。

そして、最後の段のことば。
このような人であることができるとき、人間関係も劇的に改善していく。愛されたいと思わないほうが愛されるっていうのは、ちょっと残酷なことなんじゃないかって思うんだけど、その愛されたいという強い思いも経験していなければわかんないことで、ひとつひとつの成長の段階なんだろうと思う。

著者の鈴木秀子さんの突き刺さるほど深く人を見ているのに、限りなくやさしくて温かい視線を感じる。

「自分が自分にとって本物である時、(・・・)人に愛されるようになる。」
子どもや動物や<少年>を見ていて常々感じてきたことはこれなんだなあと思う。私が<少年>認定(笑)するときの基準「作為がないこと」っていうのもおんなじことだ。

こういうときいつもひとこと(余計かもしれないけど)付け加えておきたくなっちゃうんだけど、なんでも自分の好き勝手やりゃいいって意味じゃないからね。その覚悟も文面からひしひしと感じられるんだ、だからこの人の言う(書く)ことは信頼していいと思う。
posted by みつこ at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月01日

一年がゆく、また一周した
まるいくり返し
一年がくる、また一周が始まる

ひざにはねこ
まるいねこ
posted by みつこ at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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