2011年03月31日

掌の中の無限

カルマというのは宿命ではなくて、因果の反映なのです。因果は私たちの行いだけでなく、行いの基にある意図も含んでいます。一定数の原因と条件が揃った場合、それらの結果に偶然が関与するのではなくて、私たちは、自由意思のお陰で事態の流れに介入できるのです。だから、私たちは、過去と未来とが堅く結びついた塊をなすような絶対的決定論の虜になることはけっしてありません。この自由意思はつねに、私たちの人生の体験に創造性がかかわるようにしてくれます。
掌の中の無限(P169〜)


掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時 [単行本] / マチウ リカール, チン スアン・トゥアン (著); Matthieu Ricard, Trinh Xuan Thuan (原著); 菊地 昌実 (翻訳); 新評論 (刊)
掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時 [単行本] / マチウ リカール, チン スア...
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2011年03月25日

あなたはあなたの声で

で、やっとここまでことばに落とし込めたのは、今日の瞑想会の存在が大きい。
ものすごく大雑把に感覚としてはわかったと思ったこと、
ツイッターとかで断片的にことばにして出してはいたものの、
まだどうしても全体像を把握できない感じ、
それぞれのつながりがみえきらん感じ、
そんな感じを抱えていたんだけど

時間をしっかりとって瞑想をしたということ、
周りの人たちと感じたことを話し合ってみたこと、
誰かも同じように感じてた、誰かは違うように感じてた
自分がどう感じてるのか話してみようとした
そのことで、ずいぶんクリアになってきた感じがしたし
その後に数人でご飯食べて飲んで、笑ってしゃべって、
「みんなといる」ということをまた改めて肌で感じることもできた

みんながそれぞれに違った感覚で視点で生きていて
あなたは決して誰かのようにはなれない
そして誰かからはあなたのようにはなれないと思われているかもしれない
みんなが違っているからこそ、それぞれが全体を形づくっていて
それ全部込みで人間であるって、
そうじゃなきゃなんのために一人ひとりが存在するのか
そういうことを自分が話しているのを同時に自分の耳で聞きながら、
ああ、この知ってた感覚がまたひとつ深く自分の中に根付いていく
っていう過程を観察していた

私には私の役割があって私の声で私の歌を歌うしかない

そしてあなたはあなたの声であなたの歌をうたうの
あなたはあなたの声で
そしてあなたはあなたの声であなたの歌を生きるの
人は歌をうたいます/未映子
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2011年03月24日

じたばたしたって結局、自分以外にはなれなかった

どうにも言語化できないままの2週間
結局わかったのは、
自分以外にはなれないってこと
なりようがないってこと

第一波
不安、強迫、孤独、緊張、混乱、警戒、躊躇、疑心、自責、とても慣れ親しんだこれらの感覚、知っていた絶望がまだここにいるよってこちらをじっと見ているのだった
虚無と呼ぶのかニヒリズムと呼ぶのか知らないが結局これを背負ってくしかないんだのに、生きてるだけでしあわせだとかそれでも変わらずにはっきりと言い切れるんだけれども、ただただいつも無邪気にハッピーな人であるわけではないって、知ってたはずなのにまた再確認する羽目になった
毎瞬毎瞬それを確かめながら、再起動のくり返しなのだ、私はいつだって絶望を持ち歩きながら同時にしあわせであって心から嘘なく笑っていられることの曲芸を披露してまわるのだ、なんて決意がなくたって、気づけばそうやって生きているでしょう

第二波
世の中の偽善とか欺瞞とか思考停止とかが
際だって浮き上がってきて存在を主張して
それに呼応するように
自分の中の偽善とか欺瞞とか思考停止とかが
刺激されて動き出したアタマの中

ことば遊びではありません

染みついた強迫観念みたいなものと、それへの拒絶とが
押し問答を始めた、長いことしつこくあーだこーだやってた
みつこさんのこころの相談室/自分x自分

この際だ、偽善だろうが自己欺瞞だろうが
客観的に物理的に誰かのなにかの助けになるのなら
それでいいじゃないかよ
一日一偽善だ!って泉谷のじいじも吠えているように
とかいって、どんなになだめすかしたところで
からだとこころは「い・や・だ」って
全力で抵抗するのだったし
おかげで首と頭が凝りすぎた

告白しますが、これは偽善者になりたくないなどという純潔な潔癖な誠実な発露ではまったくなく、根底には、善意で集まった人びとが他人のためになにかをしようとする集団に対する恐怖、あんなふうに喜々として活動する人々に囲まれること、その状況に置かれたときの自分というものへの恐怖があるのであって(一人ひとりに対してはなんともないのになー)、これはもう物理的にと言ってもいいくらいに私にはそのようなところに到達するすべがない今のところ。そんなことわかってただろうと思うのに、それでもとりあえず押し問答してみないことには気がすまなかったようで、でも、結局は最初にわかってたとおりでしかなかった。

私はこのような人であることしかできない

当たり前のことが「本当にわかって」いるのかどうか
何度でも確かめながら進む
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2011年03月22日

もうニコチンまみれんなって、ジタバタやって、腹が出ようがなにしようがとにかくアグラかいて仕事やるしかないんですよ/宮崎駿

ここ最近読んでるのは宮崎駿のインタビュー。
ロッキング・オンの社長、渋谷陽一さんが12年にわたって行った計5本のインタビューをノーカットで収録。最初のインタビューはもう20年も前のものなるんだけど。

地震から1週間くらい経って、なんかしんどいんだよなあってタイミングでちょうど、これ読んでてよかった!と思った。というのは、自分の中のニヒリズムを思い出して衝撃を受けたこと。いや前から知ってただろ!>自分 とも思うんだけれども、実は最近ちょっと忘れかけてたから、やっぱりびっくりしたんだ(笑)。

そして、自分のことを「全然生き方のモデルにはならないですよ。[・・・]『もうニコチンまみれんなって、ジタバタやって、腹が出ようがなにしようがとにかくアグラかいて仕事やるしかないんですよ』とか、そんなこと言ったって役にもなんにも立たないじゃないですか(笑)」なんつって笑ってる宮崎駿のおっさんがやっぱり好きだなあとか改めて思ったり(笑)。

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 [単行本] / 宮崎 駿 (著); ロッキング・オン (刊)
風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡 [単行本] / 宮崎 駿 (著); ロッキング・オン...


動態
「・・・・・・どうなんでしょうね。生き物っていうのは、そんなにいつも充足して、満たされてる状態が生き物なんですかね。それが究極の目指すものなんですかね。」
――というか、最終的には我々は幸福になれないといけないと思うんですよね、僕はね。
「いや、ならないのが生き物なんじゃないですか。いつも、その矛盾の真っ只中にいるから生きているのであって。それは要するに天国ですよ。予定調和も天国もなにもないですよ、そんなものは(笑)」
――ていうか、まあ予定調和はどうかわかんないですけれども、天国がないというのはすごくニヒリスティックな――。
「僕は、だから傷を持たないヒロインは作りたくないんですよね、全然。例えば、自分の仕事をすごく評価してくれてた人が『(風の谷の)ナウシカ』(1984年)のときに『なんでこんなものを、宮崎駿が作ったんだろう?』っていうような書き方をしてたことがあったんです。で、そんときに『人を殺しても泣かなかった』とかね。なにをこのバカは言ってんだと思ったんですけど(笑)」
――ははははは。
「人を殺した人間だから、殺すことの痛みがわかった人間だから。それで膝を曲げるんじゃなくて、それを背負って歩いている人間だから、この娘は描くに値するんじゃないかと僕は思ってたんですよ。純潔であるとか、汚れてないことによって、それが価値があるっていうふうな見方というのはね、なんかものすごくくだらないんじゃないかっていう気がするんですね。その泥まみれで汚れてて、それで傷だらけだから。だから、宮沢賢治を僕は好きなんですよ。」
――うん。
「宮沢賢治が聖人でね、彼が言ってるとおりの人生を歩んだとは、僕は思えないです。やっぱりオナニーもしたんじゃないかと思うんですよね。だからっていって、僕は宮沢賢治をますます好きになるだけでね。そういう葛藤はあるはずですよ、当然です!」
――そうです、うん。
[・・・]
「そういう無数の複合体だから、人間って。ただ、生き物っていうのは動態だからね。動いてる。静的な存在じゃないから。だから、同じ人間でもね、ものすごく愚劣な瞬間があったり、それからなんかやたらに高揚してね、あるいは実に思いやりに満ちたり、そういうふうに揺れ動いてるものなんですよ。揺れ動いてるもんでしょう?」
風が吹き始めた場所/1990年11月『Cut』創刊号インタヴュー(P60〜)


手塚治虫
「ええ。はっきり思います!彼のやってたテレビ・アニメーションというのはね、彼は本来ヒューマニズムでないのに、そのヒューマニズムのフリをするでしょう。それが破綻をきたしてるんですよ、『ジャングル大帝』なんかでね」
――そうですね。自己矛盾というか、もうどうしようもなくなってしまいましたよねえ。論理的に破綻しちゃったというか、なにを描きたいのかわかんなくなっちゃって。
「ええ」
――僕は一度、手塚治虫にインタヴューしたことがあるんです。で、ヒューマニズムについてちらっと話したら怒りだしちゃいましてね、手塚さんが。「もう、やめてくれ!俺についてヒューマニズムと言うな、とにかく。俺はもう言っちゃ悪いけど、そこらへんにいるニヒリズムを持った奴よりもよほど深い絶望を抱えてやってるんだ」と。
「ええ、そうだと思います」
――「ここではっきり断言するけど、金が儲かるからヒューマニストのフリをしているんだ。経済的な要請がなければ俺は一切やめる」と、もういきなりシリアスな顔をして怒られましてねえ。
「それがね、つまりそのヒューマニズムでないものが、僕らをものすごく掻き立てたんですよ」
――そうですよねえ。
「ええ。だから、昭和20年代の彼が単行本で出した世界の持ってる衝撃というのは恐ろしいものだったわけですよ。で、それを『(鉄腕)アトム』がメジャーになった途端にね、ヒューマニズムにすり替えたんですよ。で、それが彼の商売感覚だと思うんです。それもわかるんですよ。僕らも似たようなことをしょっちゅうやってるから。だけど、それは漫画のときとアニメーションのときは違う。アニメーションのときはそのヒューマニズムの問題だけじゃなくて、なんかやっぱり長屋の大家の義太夫なんだよね。で、現場から聞こえてくる話がそればっかりなんですよ」
風が吹き始めた場所/1990年11月『Cut』創刊号インタヴュー(P72〜)
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2011年03月17日

今日一日生きのびた人と俺の為に乾杯

いつかの願いは祈りに そして夢に終る
そしてまだ終れない 体を横たえる
あとここで俺は たかが何10年か生きて
ああうれしいだの つらいだのくりかえすのかい
きれかかった感情は いつか思いやりに変わるさ
なんとか立ってるあいつらと 俺の為に乾杯
風来坊/SION


ラベル:SION 風来坊 音楽
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2011年03月13日

誰でもできること

ヨガティーチャーたちの呼びかけで、「節電アクション」をしています。

みなさん、今日も節電をお願いします。

東京電力ウェブサイトのプレスリリースでは、「当社発電所および流通設備等が大きな被害を受けていることから、当社供給区域における電力需給が極めて厳しい状況になっております」とのこと。また本日も特に18:00-19:00は、電力供給が難しくなるという情報が出ています。

寒い被災地やいのちを預かる病院など本当に電気が必要なところに、電力不足で電気が届かないおそれもあります。いのちが助かるかどうかという局面において、電気が必要な時にそれがなくて助からないということだけは避けたいです。

3月13日の本日(特に18:00から19:00の間)もできるだけ不必要な電気は消しましょう。そして、大変な状況にあるみなさんへの祈りを送りましょう。

なお、緊急の時などに備えて、懐中電灯は用意してください。キャンドルは余震がありますから気をつけましょう。
また、急激な需要高騰を防ぐために、19時が終わったらすぐに電気をつけ始めることは避けましょう。

そうすることで祈りも送ることができるし、自分も感じて落ち着くことができるし、また電力の供給に貢献することができます。

みなさんのおかげで、昨日は素晴らしい効果がありました!

ある方からの昨日のツイートから。
「今、ラジオで聞いた話だと、今日はみなさんのおかげで、東京電力のピーク時使用量は予想を下回り、供給力を下回ったそうです。この結果、水力発電で使用する水を明日以降に回すことができるとのこと。みなさんの節電は確実に効果をあげています!」


いま何ができるのか、情報も集めながら、冷静に、
でもほんの少しのユーモアも忘れずにね。
通常の生活ができる状況の方、その生活を丁寧に続けようね。
節電、募金、献血、できることをできる範囲で。
祈ることも目に見えなくても通じることです。

そして、深呼吸。
自分のために、苦しんでる人たちのために、空と海と大地に向けて。


ヨガジェネレーション「節電アクション」の呼びかけ
http://www.yoga-gene.com/contents/eco/post-59.html#content
posted by みつこ at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

沈丁花

2011-03-06T13_31_37-1.jpg

二日前から匂いはじめてるよ
posted by みつこ at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月03日

いつか必ず死ぬということは

すべてのものや現象が
ひとつ残らず変わり続けているということは
とても強い励ましでもある

どんなことでも起こることができる
どんなふうにでも変わることができる

いつか必ず死ぬということを
知っていて生きるということが
ある時ふいにひたひたとリアルに迫ってくる

「準備はできてるよ〜」って声が聞こえた
なんの準備なのかはわからないけれど、わかっているけれど

それはたぶん、いや間違いなく
それは死ぬ準備

本当のことしか言えない

大丈夫、いつか死ぬ
posted by みつこ at 09:50| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

いまだけで充分

バリリトリート仲間との飲み会。
飲んで〜しゃべって〜笑って〜飲んで〜しゃべって〜しゃべって〜泣いて〜また笑って〜
てな感じで、結論としてずいぶん楽しかった。楽しく酔いすぎてウチに着いて気づいたらショートブーツ左右反対に履いて帰ってきてた(笑)。

知り合ってからそんなに経ってない人たちなんだけど、なんだか馴染んでしまって、一緒に過ごす時間はとても心地がいい。いろんなこと話したし、いろんな話しを聞いたと思うんだけど、実は打明け話的なことはそんなになくて、それなのになんかちゃんと通じ合うものを感じてるのが不思議。不思議だけど、でもね、改めて、人に自分を知ってもらうには、いままでどんなことがあったかとにかく全部話したいような気がしてたけど、そんなことしなくても、ただここにいまいるこの人(自分のことね)をちゃんと見てもらえればそれで充分なんだなあ、なんて思った。そういうふうに周りの人を見ていたいなあ、とも思った。

そうやって考えてみると、このヨガ仲間だけじゃなく、10年とかの付き合いになる仲間たちも、ホントにびっくりするくらいにただ見ててくれてたなあ、なんにも聞かないで見ててくれてたなあ、物理的に見ているだけじゃなくて、心で気持ちで見ていてくれてたなあ、それだけなのにそれだけのことがどんなにすごいことかと、改めて思う。そして、この「10年仲間」に含まれてもおるけれど、それと同時に「30年以上仲間」でもある妹はもっとすごいなーと。なんだかとても神々しいものをみるような心持ちになってしまう。そのことを最近ずっと思ってる。それを思うと心にはなんかやわらかくゆるい輪を描いているようなものがおだやかに浮かんでくるような感じがする。いつも輪っかのイメージが浮かんでくる。円環するもののことか、繋がっているもののことか、繰り返しているもののことか。
ものすごく抽象的だけどそういう感じがする。

バリリトリートで先生はこんな仮説をとなえてた。
意識を向けることそのものが「愛」である、と。

「愛」ってなにを指すのか?その意味するところはかなり感覚的なものがあり、人それぞれ全然違うことをイメージしたりもするので、その辺はことばの問題、なんとしても言い切れないところはあれど、まああれだ、「愛」は「愛」ですよ。あなたのイメージの中で一番でかくあったかくひろい意味での「愛」を思い描いてくださればそれで。

言わなくてもいいことは言わなくていい。
それは要らないってことではなく、なくても大丈夫ってことなのだ。
それがわかったら、無理して捨てようとしなくても、自然と離れていくものは多い。
posted by みつこ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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