2011年04月29日

強さ、強さ、何度でも、何度でも

SAICOちゃん
強い人だ、美しかった

約1年半ぶりのライブだということで
足を運んでみた新宿 LOFT
歌うところを見たのは、3回目くらいかな
去年はずっと調子が悪かったみたいで
昔からのファンというわけでもないから
彼女の詳しい経歴は知らない
知らないけどわかることもある
この人の書く文章や唄の歌詞から
何回か見ただけだけどその姿から雰囲気から
だからずっと気になってブログとか見てた

ステージに立ったその姿は美しく強かった

人は何度でも立ち上がるんだと
「強さ、強さ、何度でも、何度でも」って
「光」の歌詞にあるように
それが痛々しい姿でもなんでもなく
すがすがしく美しく笑顔の姿で
戻ってきてくれたことがうれしい
その姿こそが
くぐり抜けてきたその道の険しさをあらわす

ラベル:ライブ 音楽 SAICO
posted by みつこ at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

きっとそれは生き抜くための

いろんな人の意見や、さまざまなデータを、かき集めて眺めてみたところで、論理的に誰の言っていることが正しいのか、どのデータが信頼できるのか、それで自分はどう行動するのか?なんて、正直私には「根拠」とか「論理的」とかいう観点からは判断ができない。できないのにそれでも大事な判断を誰かに任せてはいかん、と多少ムリしていろいろと読んだり聞いたりしてみていたけど、意味がわかんないと思っていることについては、何度読んでも何度聞いても、どうしても意味がわかんない。意識の努力とは裏腹に耳が勝手に聞き流してしまう、目が勝手に読み流してしまう(笑)。

結局わかったのは、私が自分で納得できる決め方は、言っている人のことばの使い方(ことばに対する意識)、声の感じ、表情、顔色、からだの動かし方、前後の言動、見た目の色とかかたちとか雰囲気、それはしゃべったことばでも書いたことばでも、動いてる絵でも止まってる絵でも、だいたい同じこと。そういうことをよく観察して、作為的なものを感じないかどうか、正直なものかどうか、イヤな感じがしないかどうか(正直なものだと感じてもなおイヤな感じがするときだってあるから)、そういうことだけだということだ。ある意味、動物的な感覚に頼っているのかも。でも、そこにその人の考えていることが表現されていると思うのだ。

誰かがどんなにこの人が言ってることはスゴイ!とか言っていても、あるいは何度も何度も繰り返されてるうちになんとなくそうなのかもと思ってしまいそうになることばだとしても、聞いても読んでも入ってこないのだったら、自分でなんとなくイヤな感じがするんだったらあんまり近付かない。

というか、今までも結局はずっとそうやって決めていてきていて、それに改めて気付いただけのことではある。

そんな場面に遭遇することが増えたこの頃の世の中、自分が選びたいものがどういうものなのか、今まで以上にはっきりわかってくる様相。
posted by みつこ at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

救い合う

あの人の中には救われたがっている魂がいて、それをあの人は自分の中のみつこだと言った。ずいぶんと飛躍した比喩だった。それはきっと「悲しみ」や「絶望」や「それでも生きること」の象徴のようなものなのかな。そういうところばっかりあの人に見せてきたからな・・・。
自分の中にみつこがいる。救ってやらなくちゃならんと思ってるんだって。

そう思われていることを知るだけで私自身はもう充分に救われたんではないか。そのことばは日を追うごとにじんじん沁みてくる。そんなふうにして救われるのだとは想像していなかった。生身の私自身が、ではなくて、誰かの中の私が救われるというのは。

---
出会う人たちはみな鏡にうつった自分のようなものだ。誰かのためにとか何かのためにとかじゃなく、そうするしかない何かの力に動かされるようにして守り合っている。どうしようもなくそのようになっている。
posted by みつこ at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

黙る

いまマインドから出てくることばは、
ポジティブもネガティブもどれも本当の自分のことばじゃない。
しょうがないからただ黙る。
全部見ていて、全部を見ている。
どうしたってそうにしかできないようだから、
今はそういう役割で生かされているんだろうね。

なんつって、完全には黙っていられずに
なんかしらこうやって書いてるわけだが、
そんな自分もまあかわいいもんだ。
posted by みつこ at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

残しといた方がいいトラウマ

ずっと持ってるこの感じ
世の中に対して近付き難い感じがするこの違和感はたぶん
ひとことで言ってしまえば全体主義みたいなもんへの拒否反応。

誰かが

きれいそうなことを言う
良さそうなことを言う
賢そうなことを言う
やさしそうなことを言う
強そうなことを言う
正しそうなことを言う
みんななんとなくそっちの方に耳を向けてうなずく

みんなで頑張ろうと言う
ひとつになろうと言う
みんな繋がっていると言う

ツイッター上で自分のタイムラインに知らない人の発言が
引用を繰り返されて伝言ゲームのように伝わってきたりした。
無数にリツートされて広まっていくことばのいきおいを見て、
あまりに気になる発言は最初に誰が言ったのか
やっぱり確かめないと気が済まなかった。

リツイートした人はその発言元の数十文字のことばだけを見ていたり
その発言をした人が誰なのかも気にしていないことも多い、
リンクされた先を読まずにいたり、あるいは見出し部分だけを見て
リツイートしたりする。
自分も何回かそういうことをやってた。

結果としてよい言葉が広まった場合もあればデマが広まった場合もあるが
いずれにせよその媒介をしたのは、簡単にポチっとできるリツイートボタン。

デマや悪意のあることばなら、はっきりと拒否しやすいけど、
一見「イイこと言ってる」ように見えることばはやっかい。
やっぱり反射的にうなずいてしまうこともある。結構ある。
そういう反射的な反応をしている自分にはっとしたり、
してしまった後にあらら・・・と思ったりもする。

しかしそれが目の前の知っている人が発した生のことばならまだしも
誰が言ったか確かめもしないで、なんでもウン、ウン、って言っていたんじゃ、
いざ首を横に振りたくなったときにはもう遅い全体主義の社会が待っている。

たぶん私の場合は必要以上に反応しているんだろうというのは
わかってるけど、あまりにも反応しなさ過ぎる人が多いようにも思う。

みんなが一斉に同じ意見を語り始めることへの違和感、
私の場合は個人的なトラウマから発しているんだと思うけど、
気持ち悪いしめんどくさいから、見なかったことにしたくなっちゃうんだけど、
これは持ち続けとかないといけないもんなんだろうな。
posted by みつこ at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

ゆるめてよ

生きてることは修行でもなんでもない
むずかしいことや苦しいことをポジティブに捉えなおすために
人生の勉強だとか修行だとか言うけれど
私だって言ってみたことあるけれど
実際のところ「修行」だなんて言った途端に
もうすっかりホントに苦しさが増すではないか

一生懸命「修行」だと言っている人に
苦しさを感じることがある
目を見開いてポジティブなものを見ようとして
前のめりの姿勢になって
無意識にムリをして笑っている人がいる

ゆっくりいこう
くつろいで
苦しかったら泣いたっていいよ
できないときはできなくていいよ
それでも変わらずものごとは回っていくものだ
気づいたらまた、ほら、笑ってるでしょう
posted by みつこ at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

そのクリックに、どれくらい意識が含まれているか

自分のことばで話したい、誰かのようなフリをしてしゃべりたくない。知らない人が話したことばを鵜呑みにしないで、誰がどんな顔して、どんな文脈で、どんな声で発したことばなのか、いつだって確かめたい。そして「本当に」そうなのかどうか、できることなら一つひとつ確かめて回りたいものだ、ものだよ。
posted by みつこ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

変えようとしないこと

人を変えようとしないこと。
それは意外とむずかしいことで、誰しも気にしてる人のことほど自分の価値観において良いと思うような人であって欲しいと思い、アドバイスという名目で価値観を押し付けたくなる欲求をもっている。それが親切で良いことのように思うこと、そういう思想?道徳観?倫理観?教育?ことばの上ではそういうことが蔓延している。そして、そういう自分でありたいと無意識に思う人が山ほどいる、自分も含め。

だけど、自分が傷ついたと思っていることをよく観察してみると、自分を変えようとする人に対する反発だったり、受け入れられないこと(=いまの自分ではダメだと言うメッセージ)に対する失望だったりすることは結構ある。そして、逆に怒りが起こってくるときによく観察してみると、人や環境が自分の思い通りにならないことに対する不満があったりする。

望むことといえば、自分でありたい、自分として生きていたい、ホントはただそれだけなのかもしれない。
posted by みつこ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

いつでも

いつでも想ってるさ
会わない間も
連絡がなくても
いつでも想ってるさ

届かなくってもいいさ
でも、ホントは
届いてたらうれしいな、なんてなー
posted by みつこ at 03:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

すべての事物を生み出すことのできる根源=カオス

念願の(?)待望の(?)越路姉妹ライブ、そしてゲストに武内享とバー武内のマスター(笑)。
10年くらい前はしょっちゅう遊んでもらってた(つーかよくライブを見に行って、飲んでただけなんだけど)ギタリストしんちゃん(福田真一朗)がいつのまにか越路姉妹になっており(笑)、しかもいつのまにか享氏と共演を果たしていて(笑)、見に行かねば!と思ってた。いろんな意味で宇宙で、笑える展開、そして偶然のような必然のような、繋がってんだねえなんて不思議な心持ち。

最近よく、iTunesでビジュアライザを表示させて眺めてる。いくら見てても見飽きないから困る(笑)。
iTunesのビジュアライザ、知ってますか?音に合わせて宇宙が踊るやつ。
お手元のiTunesで自分の宇宙を踊らせてみてね。iTunesない方は、なんとなくこんなのどうぞ。


で、しみじみ思ってたんだ。宇宙(マクロからミクロまで全部含む)ってあらゆる現象がそれぞれの色で、軌道で、場所で、速さで、タイミングで、明るさで、強さで、勝手に光ったり消えたり動いたり止まったりしている。たくさんがまとまって回ったり、遠くに離れてポツンとしたり、離れたり、近づいたり。人や出来事も、地球も、植物も動物も、時間も、水も空気もチリも、空も、雨も風も、悲しいも嬉しいも、音も光も、どれも平等にその中のひとつに過ぎず、そしてひとつとして欠けることなく全部で全体を形作って、しかも一瞬も止まることなく変わり続けてる。そしてどこにも向かっていない、方向としてもかたちとしてもどこにも辿り着かない。

いま全部のことがダイナミックに動いてる、地球がでかいエネルギーを発していて、その上に棲まわせてもらってる人間も揺さぶられてる。それは、いいも悪いもない、だたそうあるだけなんだなあって、そのダイナミックないのちの全体を存在の全部でただ経験するしかないんだなあって。

Twitterでライブを楽しみにしてることを書いたら、しんちゃんからの返信で「かなりカオスだよww」って返ってきた。
カオスとは、って改めて考えてみたらばね、というか調べてみたわけだが、はてなキーワードにはこんなこと書いてあった。

カオス
・混沌、もしくは混乱状態をあらわす語。「コスモス」(『秩序』の意味もある)の対義語。
・ギリシャ神話の宇宙開闢(かいびゃく)説における万物発生以前の秩序なき状態。また、同時にすべての事物を生みだすことのできる根源。ケイオス。

混沌で、秩序なき状態であると同時に、だからこそなんだけど、すべての事物を生み出すことのできる根源だっつーわけ。

で、ホントにまさにカオスなすごいライブになったわけだけど、そのカオスはすごいエネルギーであふれてた、あらゆるものを生み出せそうなエネルギーにあふれてた。

あのようにステージで表現する人たちもひとつの光、客席でわーわーいって楽しむ私たちもそれぞれがひとつの光、どんな場所でなにしていようと、そこでそのように存在していることが、いまその人にできる最大限の役割なのだと、またひとつわからせてもらったような、汗だくの真剣にバカになる人たちのステージだった。

ピクチャ 2.pngピクチャ 4.pngピクチャ 3.png
posted by みつこ at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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