2011年06月23日

シンクロナイズド・ブラザーズ

梅雨明け間近?!かどうかはわからないけど、すっかり夏のような天気で、みつばち兄弟が日向ぼっこできるのでうれしい。曇ってたり雨だったりで最近おめたち日向ぼっこできないねーと、残念に思ってたんだ。

今日の昼間、男のおかーさんから送られてきた写真は、ベッドで二人(いや二匹w)一緒に気持ち良さそうに寝てて、なによりくうちゃんが嬉しそう。ふふふ。

かんこん具合悪くなってから、遊び相手がいないっていうのももちろんだけど、体はでかいけど弟気質でかんこんに頼っている感じのくうちゃんは、ホントはそばに行きたそうだけど遠慮したりして、でもやっぱり気になるし、って感じで、今まで以上に私たちに話しかけてくる頻度が多くなった。ねーねーあいつ大丈夫?って言ってるのかなーって感じのときもある。(単に「メシくれ」コールのときも多いが・笑)

かんこんが吐いてるときは寝ててもぱっと起きて、少し離れたとことからじっと心配そうに見てるんだな。

もともとおかーさん猫のお腹の中にいるときから一緒だったわけで、ウチに一緒に連れて来られていままで約9年ずっと、ホントにずっと一緒で、引っ越しで別々に運んだ時とか、どっちかが病院に行く間の数時間とか、そういうレベルでしか離れ離れになったことなんてないんで、そもそもお互いと自分の境目も人間ほどはっきりは設定していないんじゃないかと思う。

寝たり起きたり食べたり毛づくろいしたりのタイミングもだいたいおなじで、寝相もおなじ、別々に寝てても同時に寝返りうったりするくらいだし、くっついて寝ながら毛づくろいしてたら自分の体も相手の体も地続きで全部舐めてたりする。性格はぜ〜んぜん違うのに(笑)。

なので、今はかんこんにいろいろと治療や食事のことや、体を拭いてやるとか(今は自分で毛づくろいしないからね…)、時間ができればマッサージしてあげたり、やってあげることが多いんだけど、同時にくうちゃんもちゃんと見ててあげると、二人の様子がシンクロするのがよくわかる。

おめたちよ、一緒にウチに来てくれてありがとうよ、なんて思うけど、たぶんおめたちふたり一緒ならどこへ行ったってかわいがってもらえたことだろうね、それでもやっぱりふたり一緒にウチに来てくれてよかったなあ。
ラベル:みつばち兄弟
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2011年06月22日

猫肌温泉

かんこんの自宅での皮下輸液続行中。

一応、走って逃げたりされないために、程良い大きさの段ボール箱にタオルを敷いて、かんこんにはそこに座ってもらって輸液をしてるんだけど、やっぱりアルコール消毒のにおいとか、背中の皮を持ち上げて針をぷすっと刺す感じとか、病院を思い出すんだろうなあ、輸液の直前や直後に気持ち悪くなって吐くことも多い。でも、輸液中はなんとか静かにしててくれて毎日の水分を補っているという感じ。

背中というか肩の上というかそのへんに、最初はぽっこり水分が溜まって、そこから体内に徐々に吸収されていく感じで、下がっていった水分が脇の下あたりにたぷたぷと溜まっているので、輸液して数時間は「振り袖かんこん」と呼ばれております。ま、これは病院でやってもらってたときからなんだけど。

最初に背中に溜まっていくときに冷たくないように、輸液に使う生理食塩水は直前に猫肌wに温めて使います。猫の体温は人間より高めで、人間が触ると結構あったかいんで、やってるほうはまあ、背中があったかくなって温泉気分でも味わってくれるといいなあとか言いながら、やっとるんですが、本人はさっさと終われ〜と思ってるでしょう、隙あらば飛び出そうとも思ってるでしょう。実際、何回か途中で飛び出しそうになったり、動いた拍子に針が抜けちゃって、汗かきながら針を刺し直し、、、なんてこともあり、1回は脱走に成功してソファの下に入っちゃって最後の20ccを残して続きを断念したりとか、いろいろやってるし。

いまはまだかなり体力も落ちてるから、ある程度あきらめの気分なのか、必死で逃げだすってこともないのだけど、これが多少元気になってきたときはもうちょっと手間のかかることになるのかもなーと思う。つーかそんな元気があれば、自分で飲んで食べてくださいよ、そうすれば注射ともおさらばなんだからってことなんだけどね。

病院行かなくてよくなって、ずいぶん吐き気もおさまってきたので、数日前から特製スープ(栄養スープ、またたび、黒糖、レメディなどを調合)を作って小さいシリンジで口に注入してやってます。一日に合計2ccとか3ccとか、食事と言えるほどの量じゃないんだけどね。ちょっとずつ口から何かを入れるということを再開して、まずは数週間まったく機能をやめている消化系統が再稼働するのを促すために。

これも一応イヤがって顔を背けたり、じりじりーと後ずさりしながら逃れようとするけど、ホントにイヤだったら完全に届かないところに隠れちゃうこともできるはずなのに、それくらいの抵抗しかしないし、吐いたりもしないので、本人も必要なものと認識してくれているんだと思われる。
何が入っていて、何のために飲むのか、誰が作ったのか、ちゃんと毎回説明しながら飲んでもらってます。たぶん通じてるんでしょうねー。
ま、半分くらいはこぼれるのを前提で、ある程度テキトーに。


猫肌温泉のお道具(笑)
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2011年06月19日

本当の姿をみるには

久しぶりに母と出かけた。久しぶりというか、良く考えてみればふたりで何かわざわざどこかへ出掛けることなんて、実際いままでなかったことかもしれない。たまたまそういうことになったんだけども、それもなんだかいいタイミングだったみたい。

なんということもない世間話をしたり、家族や親戚や知り合いの近況を聞いたり(私はなんだかんだいってそういうつき合いが疎遠になっているので)、最後はなんだか相談事のような感じなり、これってこうだと思う?○○ってことなのかな?って、なんでか私が話を聴く側になり、意見を求められる側になるという、不思議。

普段の生活では自分は確かにひとりの大人として社会の中で暮らしていて、誰かの相談事に耳を傾けたりってことはもちろんあるんだけれども、その相手が親であるということは、離れて暮らしているせいなのか、あんまり想定してみたことがなかっただけに。

そして、こんなに人生の先輩なのに?やっぱりそういうことで、どうなんだろう・・・なんて考えちゃったりするんだね、って当たり前なんだけどヘンな感じだった。そうは言っても、全然愚痴っぽくなく、泣きごとでもなく、ウチの母は改めてしっかりした人だとも思った。この人に生んでもらったから強いのかな〜なんて、いや全然自分が強い人間だなんて思わないけど、わーわーいいながらもギリギリのところで結局は持ちこたえることができるという意味での強さみたいなものは受け継いでるのかも、なんて。

あとさー、電車で並んで座って隣の横顔を見ると、なんかこの人かわいいな〜と思っちゃった(笑)。このにっこり笑顔たまらんな〜なんて、そんなことを改めて思うくらい、あんまりじっくり顔を見るなんてこともなかったのかも、身内って近すぎて。両手広げて大好き〜なんてこっぱずかしくていえないけど、なんだか静かにしみじみと。「おかあさん」、じゃなくて、ただ単純に「この人」が、けっこう好きかも私、と。

しかしなあ、、、まあその相談事に絡んでいろいろ思ってしまったんだけど、生きてきた長さだけでは、人の経験や考えの深さはわからないものなんだなあって、改めて。

長さと深さには、厳密には必ずしも相関関係があるわけではないのだということも、わかりはするけれども、ある程度長く生きてたらそれなりにいろんなことを経験してその分いろんなことを考えて、人生におけるなにかが深まったり、成長したりしているはずだというのは勝手な思い込みだと。逆に生きてきた時間が相対的に短いからといって、経験が浅く考え及ばないこともあるだろうなんてことも、勝手な決め付けだなあと。

時間の長さは縁に遭遇する機会の多さであって、その機会をどのように過ごしたのかは人それぞれに違うものなのだ。

自分についても自分以外の人についても、そういうのなしにして、「その人」そのものをみてみれば、年齢や、表面的な姿や、経緯・経歴を見て勝手にこっちが想定した人間像とのズレにいちいち激しく反応しなくて済むのだなあと。いや、思ってたより○○なんだなあ〜というシンプルな驚きはむしろ楽しいんだけど、これくらいの年齢の人は、これくらい経験を積んでいて、こういうふうにふるまうはずだ、とか、この人はこういう経験をしているんだから、こういうことはわかってるはずだ、とか(その逆も)期待を勝手に作ってそうじゃなかったときに落胆したりその人を責めるような気持ちになったりしなくて済む。

そして、そうやってみたときの方がなにか困ったことに遭遇した時に、先入観なしに「その人」にとっての最善の解決策がみえてきたり、あるいは、見方を変えればそれってそもそも困るようなことではないのでは?ってことにも気付けてしまったりするものなのだあ。

一人ひとりのその「人間」に敬意を払い、過大評価も過小評価もすることなく、自分が勝手につけたラベルに気づき、それを丁寧にはがしながら、そういう視点でみてみると(そうする努力をすると)、みんなただそのひとのいのちを生きているひとりの人間であるだけなんだという、シンプルな事実を再発見する。

そういうふうにしてみてみた人間ひとり、は、今まで知っていると思ってた、自分にとってこういう人と漫然と漠然と思ってたのとははっきりと違う、新鮮な存在になってもう一度出会うことができた気がしたのだった。
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2011年06月14日

この日々

一体どうすれば、、、と、情報や意見が多すぎて、なにがなんだか、、、と、思ってしまうこと。
かんこんの治療についても、原発事故や放射能についても。

治療のつもりでしていることが回復の妨げになっているかもしれないという、暗澹たる心持ちがしばしばやってきては去る。その上、いまこの時も放射能は漏らされ続けているし、苦しい悲しいあるいは不安な思いをしている人が世の中にどんだけいるの、なんてことをふと思い出し、改めてそういう状況を認識すると、もうなんだか力がすっぽり抜ける感じがする。

その脱力感みたいなものはなくならないし、自分がそれを持ってるってわかりながら、でもそれに囚われずにやっていけてる自分をずっと自分で見守りながら、周りの人たちに見守られているのを感じながら。
そんな日々。

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一般的にいわれる代替医療というやつは、根拠がわからないものが多いとかいうけれど、私にとってはいわゆる西洋医学のわけのわからなさもいい勝負で、結局原因もわからず、治療らしき治療もできず、かといって代替案もなくて、とりあえず抗生物質は続ける、とかね、、とても限界を感じる。それはたぶんかかりつけの病院の獣医さんたちも同じ気持ちだろうと思う。少なくともその気持ちを忘れないでほしいな。

現代西洋医学による治療が「通常医療」で、それ以外が「補完代替医療」とか呼ばれていて、それぞれの医療を提供する人が別々にやっているパターンがほとんどだけど、目的は同じなんだから、そこをもっとスムーズに横断してもらいたいものだなあ、、、と。自分の健康について考える時もよく思うけど、動物についてはもっとより強く思う。西洋医学だって、ある面では「対症療法」でしかないわけだし。
(それをやろうとしているのが「統合医療」という考え方なんだろうけれど、もっとそれが当たり前のようになるといいなあ。)

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そんなこんなで、ホメオパシーその他の療法を試すべく、いろいろなところに電話して相談したりなど。

ある獣医さん(代替療法をとりいれている)は鎮静剤で落ち着かせていることを話したら、「そうですかあ、、、、」と残念そうな声になり、なんとなくその気持ちが共鳴するところがあった。出るものは抑えずに出す方がいいというのが基本的な方針だそうで、ストレスによる嘔吐であってもね。いままでそのことを話した人の中では獣医もそうでない人も含めて、正反対の(とにかく吐き気が治まってるならとりあえずよかったね、という)反応をする人がほとんどだったけど、本当のところ自分では心底納得いっていない部分もあってできることなら早くやめたいと思っていたんで。

でも、そのへんもバランスで、そういう対症療法を断固拒否しようというつもりもないし、代替療法もいろいろだから、なんかよく理解できない理論をムリに信じ込むつもりもない。やってみないとわかんないから確かめてみるというスタンスでいるけれど、かといって冒す必要のない危険を冒すことがないように慎重にもなる。

自分がどのへんをうろうろしているのか、注意深く確かめる日々はやっぱり普段よりは疲れる。
自分ひとりだったら焦ってなんでもかんでも試してみたくなったり、逆に無気力になってしまったりしそうなところを、そばにかなりの慎重派なひとがいてくれるおかげで、そのへんを話し合いながらなので、ちょうどバランスとれているんだと思う。話し合う時間というのは単純に今後の方針を検討するというふうにならずに、自分の気持ちの問題とか感情的なこととかも噴出するんで精神的にキツイと感じることもあるけれど、それも必要な経験なんだと思うし、ありがたい。内情はいつだって最後はひとりだと感じているけど、それでもやっぱりひとりじゃなくてよかったと思う。

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いま現在、食べない・飲まない、そしてさんざんの強制給餌&投薬の試みのあげく口の近くを触られるのさえもイヤ、な状態で、経口投与するようなものは安定して1日何回とかをできそうもないので、当面はそれ以外の方法を模索。そんなに猶予はないと思うんだけどね...。
posted by みつこ at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

その本質がかわいさでできている

ことばじゃなくて伝わるもの、そんなのの実演を目の前で見せられた感じ。

かんこんは明日から自宅で皮下輸液(脱水症状を防ぐための生理食塩水の輸液)をすることにして、今日、病院でやり方を教わり各種の器具を入手して、明日からは病院行かないよ〜などと話しかけながら帰ってきたらば、昨日まで定番だった下駄箱のお籠りをせずにキャットタワーでぐーぐー寝てる。や、帰ってきてからじゃなくて、すでに病院で私が獣医さんから、はいじゃあやってみてと手渡された注射針を首の後ろにぷすっと刺してるあたりから、いつもより呼吸がゆっくりで、落ち着いているようだったんだ。

なんでわかるんだろうね〜、おりこうだな〜、か〜わいいな〜、かんこんすごいな〜と、親バカ丸出しの男のおかーさんと女のおかーさん(笑)。

しかも、夜、私が出掛けてる間に男のおかーさんから何通も携帯に写真が送られてきてて、具合悪くなって以降たぶん始めてくらいに久しぶりに窓から外を眺めてたらしいし、ソファにいる彼のところにくっついてきて膝の上に座ったり、なでられてもみもみしちゃったり、気持ち悪いは続いてるみたいだがすこぶる上機嫌だった模様。どんだけ病院がいやだったのか、わかってたけど、そんなにだったのかよー。

まあ、状況はまったくもって楽観できるものではなく、緊急事態が1ヶ月ずっと続いているようなもんなのだけど、そうはいってもとりあえず目の前の愛しきものをかわいがり、ニヤニヤした親バカを素直にやり続けようと、それをなくしたら一緒にいる意味もなかろうと思っている。
posted by みつこ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

ずいぶんいい

かんこんがあぐらのところに座りにきた。
3週間ぶりくらいかな…
心の方は少しずつほぐれてきてるみたいでうれしい。
この調子で体も少しずつ元気になってほしいな…
ラベル:みつばち兄弟
posted by みつこ at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

HAVE A GOOD TIME

アブラーズのにゅーアルバム「HAVE A GOOD TIME」をヘビロテ中。今までで一番ファンキーなアルバムだなあと思うが、同時にチェッカーズ後期の雰囲気もけっこう感じるんだなあ。つまりチェッカーズがファンキーだったってことなのか。

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a-bra:z 「HAVE A GOOD TIME」- ジャムコロニーストア
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2011年06月05日

けなげ組

かんこん相変わらず吐きまくりで、そうとう体力消耗していて、すっかり病人(人じゃないけど)の顔つき・・・。

吐き気止めなんてずっと注射してもらってるけど効いてる様子もなくて、たぶん心理的な吐き気なんだな、もちろん肝臓の数値が高いから気持ち悪いってのもあるんだろうけど。
今日はいつも以上に治療もとても嫌がり、ほんの2ccのミルク状の食餌さえも給餌できずなので、獣医師の提案で鎮静剤を注射。おかげで、昨日までは病院から戻ると1時間おきに吐いてたのが、今日は夜までずっと吐かずに静かに過ごせているみたい。話しかけたり触ったりするとずーっとグルグルグルグルいっているし機嫌はよろしい。これでちょっとでもからだを休められて、小さな食欲の火がついてくれるといいのだけど・・・。

んでも、根本的な治療ができていない状態には変わりないんで、なんとか、他の治療法の可能性だとかも検討したいし、並行して、別の病院に相談とかもしてみたいところ。

どうか、どうか、、、

それにしたって、診療台の上で散々ジタバタするも、噛みついたり引っ掻いたりを決してしないのだから、どうなのよこのけなげさ。小さい時から兄弟で一緒に育ったおかげで社会性が身についてるというのもあるだろうけれど、ときにはもっと怒ったっていいのだよ、ねえ。
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2011年06月03日

メンテナンス、というかもうとにかく眠いんだわ

どうにもぐったり感が抜けないんで、鍼を打ってもらいに。

ちょっと前に職場から駅に行くのにいつもと違うルートを歩いたら、以前はなかった気がする整体&鍼灸治療院みたいのができていて、結構前から気になってた鍼治療、今度行ってみようかな、とかちょうど思っていたのだった。激しい寝不足の日、寝違え未遂の首もずっと痛いしで、なんかとにかく自分でやるヨガやストレッチや気功などではなく、誰かに何かを施してもらいたいという気持ちがふつふつと湧いてきたので、ってそんな大げさな話でもないが(笑)、ちょっと人の手に頼って元気になりたくて。

腹部の触診をしながら同時に足の経穴(ツボ)を触って確認して打つ点を確定していくという過程は、なかなか興味深かった。場所によっては鍼を打ってすぐに硬かった部分がやわらいだり。
からだのいろんな部分が、離れているんだけど繋がっていていろんなふうに影響を及ぼし合っているんだなあっていうのが、自分のからだが感じたり、変化したりすることではっきりわかった。触られた場所がどんな感じするかっていうことを常に確認されながらの施術なんで、それなりに自分のからだへの集中力が必要だなあというのも思った。やっぱりただ寝てりゃあ治してくれるんではなくて、自分自身と施術者との共同作業なんだなあ。

以前に漢方専門クリニックに行ってみたときも、腹部の触診をしっかりしてくれたというのを覚えていて、他にも例えば最近興味を持っているチネイザンとかもお腹へのアプローチをメインにしているし、井本整体なんかでも腹部十二調律点といったりして、お腹を触ってからだ全体の状態を確認したり調整したりというのは、東洋医学(特に中医学の系統?)の伝統的な特色のようで。からだの調子だけじゃなくて心理的なこともお腹にけっこう表れるみたいだしねえ。

私のお腹は、そんなにガチガチに固まっているわけでもないけれど、部分的には押すと痛かったり、硬い感じがしたり、苦しい感じがしたり。普段から寝る前にお腹を触って確認するのが好きなんで(笑)よく硬くなっている場所はなんとなくわかっているけど、その場所がなんなのか特に気にしないまま自分の気持ちいいようにほぐしたりしているだけなんで、たまに人に確認してもらうっていうのもいいかもしれないなあ。

まあ、ヨガでもアーサナで伸ばしたり縮めたりねじったりゆるめたりいろいろやるし、呼吸法でお腹使ったりもするんで、ほぐれるっちゃあほぐれるけど。

おかげで今朝はいつもより目覚めもすっきりだったような。
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2011年06月02日

とある<少年>のはなし

新しい地平、ある意味での内的なパラダイムシフトw

なんか不思議な性格だなーと前々から思ってたんだけど、なんとなく、情緒的な面での発達障害の障害と呼ぶには軽いけれどもいわゆる正常値の中では結構その障害に近い方にいるんじゃないかと思い至って、その地面に立って改めて見てみると、なんでそうなるのかわかんないものはわかんないままなんだけど、それでも物理的にこの人はそうなんだからそれでいいじゃないか、というやり方での理解が起きて、なんだか腑に落ちた。

それはもう頑張るとか努力するとかそういう領域でもなくて、性格だからしょうがないじゃんとかいう開き直りとも違って、例えるなら、体質的にアルコールに弱い人(アルコールを分解する酵素が少ないかまったくないということらしいけれど)は慣れたら飲めるようになったりするわけじゃないのと同じように、無理強いしてどうにかなるものではないということで。でも、そのことで優劣があるわけでもないし、その人を好きか嫌いかなんてことが左右されるわけでもない。ただはっきりと「違う」のだということを受け入れたら、なんでこれが通じないのかなーとちょっとした疑問を持っていたことも別に気にならなくなった。そして「違う」と認めた方が、逆に理解ができるんだということもわかった。動物と人間の感覚が全然違っていて、それでも違っているのだと認識して付き合うことで一緒に楽しく暮らしていけるのとおなじように。

ただただ「そういう人」としてますます愛すべき存在となるんじゃないかな。

障害とかも便宜上そういうことばを使うけど、要はマジョリティとマイノリティってだけで、どっちが異常でどっちが正常なのかなんてさっぱりわかんない。いわゆるいわゆる「普通」とか「一般」とかいう範疇に含まれるらしい人たちの方が、よっぽど訳がわかんない言動をすることもあるんだから、これ。
posted by みつこ at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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