2011年09月30日

所詮コントロールなどできないものを

糖尿病の治療では血糖コントロールがもっとも大切、とかよくいわれているけれども、コントロールね、、、その言葉にちっともなじめない。ま、要は血糖値を正常値というか標準値というか、それにできるだけ近づくように心がけましょうということなんで、それはそうだよね、そうしたいですわ、なんだけど、なんか「コントロール」っていわれた瞬間にとっても違和感。

言葉の意味とか語感にこだわるタチだからしょうがないか。

今のところは患者としては初心者(笑)ゆえに、生活に合わせた治療、じゃなくて、治療に合わせた生活になっており、たまにやっぱりそれをストレスに感じてるんだろうなーと自分を見てても思う、わかってて食べ過ぎたりするのもそれなんだろうなーと、本当に本当にそれを食べたくて食べたのか?って問うてみたらわかる、ただ「食べる」ってことをしちゃいたくなるときがあるってだけなんだ。

なんのために食べる内容や食べる量に気をつけてるのかっていうのが、あまりに日常の毎日何回もやってくるその機会の度に小さい我慢を積み重ねてるうちに、目的がそれ自体であるかのように錯覚しはじめる、そこへきて、本来の目的である血糖値のコントロールに関しては、こんだけ気にしてるのに思うように下がらない、とか、逆に予想以上に下がりすぎるという事態が頻発するわけで。

その度に思うのは、意識しなくても自律神経が適度な状態を保つべくいつも働いていて、それに反応して適量のインスリンを分泌している正常なからだってホントすごいなーと、かなわないよ、と、もう果てしない気持ちになる。

本質的にはコントロールなんてできやしないという真実が一方にあり、それでもやっぱり投げ捨てずに、たとえ完全でなくとも健康維持のためにもっと言えば生命を維持するために、そこに関わり続ける必要があるのもまた私にとっての真実であって、現実問題でもある。必要な努力はするが、完璧なコントロールなどたとえ無意識であっても求めまいという、ここの折り合いをどうつけるのかということなんだろうね。

ことあるごとに、こりゃホントに「アビヤーサ」と「ヴァイラーギャ」(※)ってやつだな・・・と心でつぶやく日々。

まあね、素直に考えれば、「無病息災」ならぬ「一病息災」って糖尿病絡みでよく聞く(読む)けども、ホントにそうで、血糖上がらないように、下がりすぎないようにって気をつけることは、食事にも運動にも生活全般についてもいろんなことに気をつけるわけで、ひいては他の病気にもなりにくいし、不調があっても早くに気づいて治療できるってことでもあるわけなので、完璧なコントロールなどできはしないのだとわかった上で、倦まず弛まずしかし拘りすぎず、あっちこっちとゆらゆらしながら、とりあえず目のついてる方に進んでいけばいいかな。

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※「アビヤーサ」は修習とか鍛錬すること、繰り返す、継続するとか、だいたいそういう意味らしい。そして、「ヴァイラーギャ」は、委ねる、手放すこと、離欲などど訳されているみたい。
「ヨーガとは心の作用を止滅することである。」「心の作用は、修習(アビヤーサ)と離欲(ヴァイラーギャ)によって止滅される」と、ヨーガスートラというヨガの経典にあるんだそうな。ものすごい大雑把な抜粋だけどね。
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2011年09月28日

私のイチガタのはなし

私が1型糖尿病になったというのを聞いてそれがどんな病気なのかネットとかで調べてみてくれたっていう友人がいたりして、なんだかそれだけで、ありがたいなあと思う。でも、そんなにポピュラーな(?)病気でもないのでなんだかよくわからないよね、、、。

そもそも糖尿病に種類があるってことも知らないしさ、どういう仕組みで体のどこがどうなっちゃうわけ?っていうのもよくわからないしね、どういう治療をするのかとか、生活上どんなことに気をつけるの?とかとか、、、

そもそもなんで発症したのかからして原因不明なんだけど、何が起きてるかというと、インスリンというホルモンを分泌する細胞が膵(すい)臓にあるんだけど、免疫の誤作動でリンパ球がその細胞を攻撃し破壊してしまい、インスリンがまったく(またはほとんど)分泌されなくなるということらしい。そういうわけで大きな分類でいうと自己免疫疾患っていうことになるのらしいよ。ちなみに膵臓は胃の裏側あたりにある横に細長い臓器です。膵臓の細胞は肝臓みたいな自己再生能力がないので、破壊された細胞は復活しないらしい。自分で確かめたわけじゃないから、そうらしい、と書くしかないんだけど。

ちなみに、私のインスリン分泌はごく少量ながら完全に枯渇してはいないみたいです。といっても焼け石に水くらいの量なんだろうけど。

飲んだり食べたりすると、炭水化物は分解されてブドウ糖に変わり、細胞に取り込まれてエネルギーとして使われるというのが、ものすごくおおざっぱな糖代謝のメカニズムだけど、そのブドウ糖を細胞に取り込ませる作用をしているのがインスリン。で、1型糖尿病の人の場合、インスリンが分泌されてない(または非常に少ない)ので、ブドウ糖は血液の中に余ったままになってしまう。2型糖尿病の場合はインスリンは分泌されてるけど、うまく働いてない状態(その原因はいろいろだけど、主に生活習慣に起因する、あとなりやすい体質っていうのもあるらしい)で、ブドウ糖はやっぱり血液の中に残ってしまう。

出てくる結果が同じなので同じ糖尿病なんだけど、そこに至る経緯はそれぞれ違うわけですね。

なんで血糖値が高いと問題なのか?というのは、1型も2型も同じことなので、省略(笑)。

で、私がいまどんな治療をしているのかというと、本来膵臓から分泌されてるはずのインスリンを、皮下注射で体の外から入れるっていう方法(インスリンは内服しても胃腸で消化・分解されてしまうので、今のところ皮下注射しか方法はないらしい)。ひとつは一日中一定量が分泌されてるので(基礎分泌)それと同じように24時間効き目が続くタイプの製剤を就寝前に1回、もうひとつは食事して血中のブドウ糖が増えるとそれに合わせて分泌されるので(追加分泌)、各食事の前に超即効性の製剤を1回(=1日3回)、合計で1日4回の皮下注射、お腹のぷよっとしてるところにチクッとね。あと、血糖測定器で血糖値を測って自己管理する、いまのところ初心者(笑)なので、結構ひんぱんに測ってます、1日4回の注射の前に。

ウチで食べるときは、その場でぺろっと服をめくって打っちゃうんだけど、外だとそういうわけにもいかんので、外食するときは食べる直前にトイレに行ける店がいいな、とかは、多少気にします。

まあ、治療といえば治療だけど、厳密には本来の意味での治療ではないようにも思う、だってこれやって治るわけじゃないから、いわば対症療法の最先端、みたいなもんだよね。でも、そのおかげで生命維持をできてるわけだから、この時代でよかったと思う。インスリン注射がなかった頃は、この病気が直接の死因になっていたんだと思うから。

今のところ、根本的に治す方法はないとのことなので、これがこの先ずっと続くことになっています(予定は未定)。新しい方法が開発されてそれを試すことになるという可能性もあるけど。あ、あと、皮下にチューブを入れて持続的にインスリンを注入するインスリンポンプっていう方法もあって、利用者が増えているらしい。

しかし、インスリン注射さえしてりゃ大丈夫なのね!ってなればいいんだけどそうもいかなくて、一応ね、体が自然にやっているのをまねたタイミングで注射するわけだけど、薬の効き方もいろいろで、食べるものもいつも違うわけで、体調も日々変化しているし、もっといえば一瞬一瞬で体は変化しているんだし、いろんな要因が複雑に絡み合って血糖値あがったりさがったりしているので、油断すると置いてけぼりを食らいます(笑)。

低血糖でフラフラするよりは、高めの血糖値でいる方が別に苦しくないしその時だけで見ると楽ちんなんだけど、これが続くことによって血管や内臓や体のいろんな組織に負担がかかって合併症が起こってくるわけで、それを予防するというのが、糖尿病治療のキモなので、上がりすぎず下がりすぎずのバランスを常に探っていくっていうのがこれ永遠のテーマなんだろうな。

わかってるんだけど食べ過ぎてがっつり上がってる時もあるけどね・・・。

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こんなサイトもありますよ。

Dr.インスリンの1型糖尿病教室
http://www.insulin.ne.jp/about.html
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2011年09月27日

第二期育ち盛り@初老

そういえば、って久々に会う人たちが必ず聞いてくれるんだけど、ネコちゃんどうしてる?って、ホントに気にかけてもらってありがたいことです。最近ブログ自体もあんまり更新してなかったんで、ちゃんと書いてなかった、確かに。

かんこんね、回復開始直前の一番痩せてたときで2.5kgったんだけど、いま、3.7kg一週間に100gぐらいの勢いで体重を増やしていて、まるで育ち盛りのようにモリモリ食べとります。もう9才なんだけどね、人間で言うともう初老の域に達してるらしんだけどね。

だいたい毎日、朝3回、夜3回ぐらいはご飯あげてるんだけど、それでも全然足りてないみたいで、気づくといつもからっぽの皿のそばに座ってこっち見てたりする(爆)。リラックスしてお腹出してころんころんしたり、まあ、すっかり元気いっぱい、元気すぎてビックリするくらい。

最近は筋肉もしっかりついてきたんで、高いところへのジャンプも以前のようにできるようになり、力みなぎってる感じで、なんともうれしそうに突然ダッシュして棚の上にドドドドド・・・ッと登って、ただ登って降りてきてまた登ったりしてる。くうちゃんと追いかけっこしたりバトルやったりも頻繁になってきて、本人はたぶん2ヶ月半ほぼ絶食してたことは忘れてるんじゃないかなと思うくらいのこの驚異の回復。毎日、毎日、新鮮な驚きを持って、ご飯を催促されて追い回されております。

結局、体調崩したホントの原因もわからずじまいで、謎の復活。

最初に通ってた最寄りのかかりつけの獣医さんでは、埒があかずにもう1件の獣医さんに転院して(といってもかんこん本人は連れて行ったことないんだけど・笑)、栄養剤やビタミン剤と薬とを組み合わせたり、症状が変わると薬を変えたりと、細々と対応してくれていろんなアドバイスをしてもらって、なんやかんややってるうちにだんだんいい状態になってきて、あるとき急に思い出したように食べ始めたって感じなんだけどね。最終的にかかりつけになった獣医さんのところでは、本人に会ったことないまま治療してもらってたんで「幻のかい君」と呼ばれて伝説扱いされてるそうな(笑)。

ホントは心のどこかでは少しくらいは、このまま回復しないのかもって思うこともあったくらい、食べないし飲まないし吐きまくるし引きこもるし、、、どんどん痩せてって、毎日点滴するのに抱っこして連れてくる度に、ホントにどんどん軽くなっていくのを感じてて、悲しい気持ちになったりもしたんだけど、不思議とあきらめる気持ちにはならなかったんだな。

それは、獣医さんのところで、何週間か絶食しても回復した例があるという栄養剤を勧めてもらったり、ネットで1ヶ月半食べなかったけど回復した子がいるというのを読んだりして、そんなに絶望的な状態ではないんだと知れたことも心強かったなと思うので、うちのかんこんのことも、「幻のかい君」として語り継いでもらって(笑)、他の飼い主さんたちがあきらめないで看病できる、なんらかの心の支えになれたらいいなあと、そんなこと思ったりする。

そういう意味では、もっとブログにもいろいろ書いたらいいんだろうけど、書き出すと長いからなあ、、、って思ってるうちに月日は過ぎ・・・(笑)

たまには、写真載せたりしようかな。

ころんころんのころんちゃん
DSC_0346.JPG
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2011年09月21日

渋谷に降った雨

9/20 渋谷 DUO Music Exchangeにて。
HEATWAVE "MY LIFE IS MY MESSAGE" LIVE FOR SOMA CITY

いろんな思いが雨みたいに降り注いでた、YOUR LIFE IS YOUR MESSAGE みんなのそれぞれのLIFE、それぞれのMESSAGE。それは極彩色の光の雨。

ヒロシは、本気で本気でこの言葉をくり返してた。「自分で不可能だと諦めない限り、僕らに不可能はない。」

「不可能はことはない。」と。
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2011年09月17日

宇宙の中の私の場所

以前からそうなんだけどかんこんが具合悪くなってから特に、自然治癒力とか免疫とかについてより興味をもつようになって、いろいろ調べているうちに偶然か必然か、出逢った本がありまして。

光の手―自己変革への旅〈上〉 [単行本] / バーバラ・アン ブレナン (著); Barbara Ann Brennan (原著); 三村 寛子, 加納 真士 (翻訳); 河出書房新社 (刊)
光の手―自己変革への旅〈上〉 [単行本] / バーバラ・アン ブレナン (著); Barbar...

Amazonの商品の説明 より
私たちは、生まれたときから持っている両方の手をまだ使いこなしてはいない。奇蹟の実践法を伝授。人間のオーラやチャクラの働きを科学的に解明した研究の成果をわかりやすく述べる。ヒーリング(癒し)のガイドブック。

だそうです。
チャクラとかオーラとかを、精神論じゃなくて概念じゃなくて、実在的に実践的に語っていて、「癒やし系」とかに使われる意味の「癒し」ではなくて、治癒することについて真摯に検証していて、静かに胸に響く。

ちょっとあからさまに過ぎるけど、私の膵臓あたりどういうことなのかしら、ということをやっぱり念頭に置いて読んでしまった1型糖尿病持ちでありました(笑)。

 横隔膜のチャクラ(3Bチャクラ)は、太陽神経叢の後ろに位置し、肉体的健康に対する人の意志と結びついている。自分自身が健康であることに非常な熱意を持ち、その健康を維持する意志を持てば、このチャクラは開く。このチャクラはまた、ヒーリング・センターとしても知られており、霊的な治療と結びついている。ヒーラーの中にはこのチャクラがとても大きく発達している人もいる。それはまた、肩甲骨の間に位置するもの(第四のチャクラ)と同じような意志チャクラであり、治癒力を持っている人々を除き、普通は他のチャクラよりも小さい。このチャクラは太陽神経叢のチャクラと前の方で結びついていて、通常、太陽神経叢が開くと開く。もし、一枚一枚の草の葉のようにそして“野の百合”のように、完璧に調和することを受け入れ、太陽神経叢を開くことで宇宙の中の自分の場所と結びつくならば、その人は自己容認によって肉体的な健康が物理的レベルで現れるだろう。総合的な健康(精神的、感情的、霊的)は、すべてのチャクラが開かれ、バランスがとれていることが必要である。
 チャクラの説明が進むにつれ、わかってきたと思うが、各々の前と後ろの面は対になって一緒に働くために、一つだけを広く開こうとするよりもそれぞれのバランスがより重要となる。
9章 七つの主なチャクラの心理的機能(P.163)


数日前、唐突に私はたぶん治療家になるんだ、とか思ったんだよね。鍼灸師になるんだと。ホントかよーって心のどこかで思いつつも、なんだか知らないけどそう思っちゃったんだから、たぶんそうなんだろう。決意でも目標でもなんでもなくて。そういうことともなんとなく繋がっている気もする。まあ、こじつけかもしれないけど。

私は私の主治医になりたいのねって、何年も前に気がついて、特に日常でそれを意識するわけじゃないけど、ずっとその思いの通りの歳月だったと、結果としてそうだったと思うんだけど、これが私の人生で、こういうふうに進んでいくことになってたとも言えるし、そのように自分で選んできたのだとも言える。全部これから起こることの準備をして生きてきたんじゃないかとも思える。
posted by みつこ at 15:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

この出逢いも自分で選んでいる

毎日が、わりと淡々と過ぎて行っているように思え、しかしそれは錯覚でしかないようにも思う。

退院後、2週間も経ってから外来に受診(入院してた病院じゃなく、最初にかかって検査してもらった専門医のクリニックに)。

「退院後どうですか?」と聞かれて、「普段通りに過ごしてます」とか答えたところ、「インスリン注射をしながら、ということね」と注釈を加えられ、「あああ、そうでしたね」と笑いながら、早くもそれが日常になっているという意味での自分の適応の早さと、これがなければ普段通りに過ごせないのだという意味での根本的な日常の覆り具合とを、同時に手のひらにのせて改めて見せられている感覚。

自分のからだに起こっていることではあるのだけど、まったくの素人であることも同時に事実であって、入院してた病院の主治医その2が同年代の女性医師で、まあわりと明るい感じで(それは意識的に過度に深刻にならないようにしているのも多少あるだろうけど)、きちんと治療をしていれば大丈夫よ〜っていうノリで、本来まずは理解しておくべき深刻度を踏みしめないままに、ポジティブ面のみを強調したノリでずっときて、もともと「まあなんとかなるでしょ」ってとりあえず思っとく傾向の自分の性格も相俟って、わりとのほほんと過ごしてたんだけどね、ホントに。

客観的に見て検査結果の数値などから判断するに、あんたそんなにのほほんとしてていい状態じゃありませんよ、というところが、正直言ってピンときてないわけですよ、これくらいの数値だとこういうリスクがある、とか、一時的には問題なくてもこれがずっと続くとこんなことが起こる、とか、これとこれが影響し合ってこういう事態になりやすい、とか、いろんなことがあるわけじゃん、本で読んだから一応ざっくりと知ってるけどさ、っていうぐらいのもんで、あなたの場合はこういう状況ですよっていうのをね、数字上で説明されてもそういうのを毎日見ている医者と違ってイマイチ迫ってくるリアル感がないんだな、その上、痛くて仕方がないとかひどく具合が悪いとかいう症状がないからにさらにのほほん度が増すのが厄介であるよね。

しかし、クリニックの医師が本人である私の感覚を遙かに上回る真剣な態度で臨んでおり、その真剣度を持ってあなたのいまの健康上のリスクはこのくらい、というのをはっきりと指をさして素人にもわかるように示してもらったような気分。

ああ、ここに本人より真剣に取り組もうとしてる方が、、、と思ったら、そんなのほほんとしてるわけにはいかんなと、ちょっと驚きながら、そして確実に表面じゃないところをしっかり見据えているその眼差しに同時に純粋さが見えたので、まずはこの人のやり方でやってみようと、のんびりしてないでさっさと受診すればよかったね、と、思った夏の終わりであった。

たまたま職場から通いやすくて、昼休みとか夜間に診療をしてて、専門医のいる病院って、そういう条件面で選んだクリニックだったけど、ここを選んだ自分よくやった!と思った。
posted by みつこ at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月07日

病院や医療の構造問題なども考える

糖尿病に関する本は世の中にそれこそ山ほどあるけれど、1型に特化した内容のものとなるとほぼないに等しい。それこそ患者数の比率に正比例して、2型95%:1型5%ってな感じである。
そんな中で子どものうちに発症した患者を対象にしている本がわりと多いので、そういうのも読んでみたりする。成人の1型にとってもけっこう有用です。
とりあえず図書館にあった1型関連の本は↓これだけだった。なんでも図書館で済ませようとする私もさすがに今回はいろいろと買い込むことになりそうだなあ。

1型糖尿病と歩こう―“この子”への療養指導 [単行本] / 青野 繁雄 (著); 医学書院 (刊)
1型糖尿病と歩こう―“この子”への療養指導 [単行本] / 青野 繁雄 (著); 医学書院 (刊)

入院してるときもそうだったんだけども、まず最近発症したばかりでそもそも自分のからだに何が起きてるのかがまだ把握しきれていないということを、医療者がピンときてない感じがありありなのだった。すでに誰かから説明受けてるよね、っていうのをみんなが思っていて、実のところ誰からも断片的にしか聞いてないってやつ。もちろん自分で本も読んだしネットでも調べたから、そういう範囲のことはわかっていますよ、でも自分自身のからだについてなんて究極は本にもネットにも載ってないわけだからね。

そして、入院した日に病院内をあっちこっちと移動してあれこれ検査した結果も、その後数日の間にまたしてもさらに血取ったり尿取ったりCTやらレントゲンやらやった結果も、4日くらい経ってこちらから結果って教えてもらえないの?って聞くまで放置だったり。

何人もの医師や看護師や薬剤師やらがみんなそれぞれの自分の受け持ちの部分についてだけ、病室にやってきては話したり聞いたりしては帰って行くんだけど、全体を見てくれてる人って言うのが厳密には存在しない。もちろん「主治医」という人もいるし、申し送りとか情報共有とかも当然やっているのもわかるけど、そういうんじゃない部分で私を把握できてる人はいないよね、とか、でかい病院ではそういうもんなのだな、と淡々と観察をしつつ、みんながそれぞれに何度も同じことを聞いてくるのだけど、何度でも同じことを答えていましたよ(笑)。

まあオトナだからね、自分で質問したり、複数の人からの情報を総合して判断したり、自分でできるけれどもさ、やっぱり現代医療についていろいろと考えさせられる入院期間だった。同室だったおばあちゃんたちその後どうしてるかな。

なんか似てるのは、中途入社した会社でもちろん新人研修とかもなくて、OJT「のみ」(!)で仕事を覚えるみたいな感じ(笑)。社会人経験あるからだいたいわかるでしょってことを前提に、未経験の業種や業界についての基礎的な説明も特になく、前任者がもう辞めちゃったからとにかくこの業務をよろしく!みたいなやつ、わかんなかったらその都度聞いてね!みたいなやつ(笑)。

今の会社に入社したときに、よくわかっていない業界の初めて触る端末の、そもそも何をするためのものなのかの説明もなしに、いきなりロシア人から習うハメになった時のことを思い出さずにはいられなかったよー(笑)。

ま、あの時もその時も結局なんとかなったし、これからもそうやってなんとかなっていくのでしょう。
posted by みつこ at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月05日

やさしさは言葉じゃなくて・・・/SION-YAON 2011.08.27

ずいぶん日にちが経っているけど、、、
入院中にライブに行ってました(笑)。こっそり抜け出したわけじゃなく、外出許可をもらって。
あんまり騒いじゃダメよ、とか看護師さんに言われながら、そんなにわーわーしないから大丈夫、イスもあるしね、とか言いながら出かけてゆき、でもまあ何曲かはね、飛び跳ねちゃいましたよ(笑)。

行けてよかった。SIONがステージにあらわれて、ピースサインを高く掲げるのを見てなんというか、、、ホッとした。うれしかった。また今年も来れたってことが当たり前のようで当たり前じゃないってことが、いつも以上にずっしりと重く感じるライブだった。それは3.11のこともそう、ずっとかんこんの看病をしてたこともそう、そして極めつけに(笑)自分が入院という事態についても。

やわらかくやさしくスタートする感じのセットリストだったな、アタマの4曲。「夜しか泳げない」はゆっくりな穏やかな流れるようなイメージの新しいアレンジで、歌い出すまでなんの曲かわかんなかった。「お前がいる」も「彼女少々疲れぎみ」も、そして「しろながすくじら」も、SIONがみんなのヒリヒリした心を限りなくやさしく包んでくれようとしている気がした。

「鬼は外」久しぶりだった気がするな。
「Hallelujah」はやっぱりうれしかった。

「マイナスを脱ぎ捨てる」で歌詞カードにない言葉を(「通報されるくらいに」の歌詞の一部を)今までもよく唄っていたけど、今日はそれとも違う言葉を発する。
「政治家よ、評論家よ、先生方よ、恥を知れ」と。
唄うというよりも、吼えるという言葉の方がぴったりくるような。
目を見開き強く前を見据えて。咆哮。まさに。

でもね、やっぱりね、行き着くところは怒りとか悲しみとかじゃなくて、やさしさなんだなって思う。それはもちろん、奥の方に怒りや悲しみを抱えてこそのものでもある。だからこそのあの笑顔なんだと思う。

そして「やさしさは言葉じゃなくてその気持ちから、、、」っていつも最後の最後に唄ってくれる「このままが」の歌詞にもあるように、なんにも言わなくてもいいときがある、なんにも言わない方が伝わるときがある、その目を見ただけで、その立っている姿を見ただけで充分なときがある。

あるよね。
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posted by みつこ at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月03日

からだを見守る

食べたものが体の中でどのように消化され吸収されエネルギーになったり体を作ったりしていくのか、を、いくら概念でわかっても、いろんな条件のもとでそれぞれ違う過程をたどるわけで、毎回の食事の度に初めてのようにいろんな反応を見守る。

入院中は病院の食事、毎食きっちりとカロリー計算され、朝・昼・晩と3食白いご飯150g(たまに朝食がパンの日もあり)と、まんべんなく栄養素を取るためのおかず、果物も毎日食べて、牛乳も毎朝、総じて薄味、といういわゆるなんつーの正統なまっとうないまの常識と言われるところの栄養の世界の優等生的なできあがりの食事をいただき、まあありがたかった。(パンのときにマーガリンがついてくるのだけは、ちょっと一歩下がるくらいに驚いたが)

日常生活に戻ってきて、入院前のような食事を普通にしてみたり、あえてちょっと違うバランスの食べ方にしてみたり、いろいろと実験中。インスリンの量と効いてくるタイミングとが、いわゆる「処方箋」の通りになるとも限らなくて、普通はこういう風にできてます(食事すると血糖があがり、インスリンが分泌されて血糖が下がります)っていうのとは反対の反応をしてたりとか。まあ、本来は入ってきた糖質の量に合わせて適量のインスリンが出て、血糖が下がってきたら止まるんだろうけど、そこを人工的に一定量を外から入れてるんでしょうがないよね。いろんな状態を経験して体感で覚えていくしか方法はない。
そういう意味でも、なにも意識しなくても最適な調整をして機能を維持してくれているからだの仕組みは改めてスゴイものだなあと思う。


しかし、食事についてはいろんなひとがいろんなことを言っていて、ある人が体に良いからたくさん食べろと言っているものが、別の人の見解によるとそんなのばっかり食べてたら病気になるぜって言われてたりして難儀よね。入院中はいくらでも時間があったので、図書館でいろいろと借りてきて、そもそも栄養が体に取り込まれる仕組みのところからして最初から再確認。いろんな視点からいろんな目的からいろんな人がそれぞれの背景を持って考え、意見を述べるわけで、同じことの別の側面は全然違うようにも見えたりする。なるべく偏らずいろんな考えを知ろうとも思うけど、ある程度は感覚的に自分に必要な情報とそうでないものというのはわかるものでもあるので、その辺の感覚を鈍らせないようにすることも同時に忘れないようにしていようと思う。

なんにせよ、大切なことは全部、自分自身のからだが教えてくれるのだからね。
posted by みつこ at 23:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月02日

予期せぬことを歓迎する

ホントになんだか、かんこんの後をついて行ってるみたいな気分。原因不明なところといい、食べることにまつわる症状といい、痩せて筋肉が減ったりすることといい。だから、というのもおかしいかもしれないけど、大丈夫だと思うのだ。
症状がでて、ネットで調べてたぶんこれ(1型糖尿病)になったんだろうな、って思ったとき、そのように起きていることは起きていて、いいも悪いもないってことが、本当にそうだともちろん思っていたけれどそれでももしかすると言葉でしかわかってないのかもしれないことを、体験するときがきたんだなあと、ただ淡々と思ってた。ほんの少しだけ実はワクワクした感覚もあったりして。

治療はもちろん必要で、やることはやるけれど、起きたことは起きたことで、これから起きることは起きるのだし、いまはただ私の体がこのようであるというだけのことだと。

今まで散々、からだについてこころについて勉強したり体験したり考えたり、かんこんはじめ内側からの力で治癒することを目の前で見たり、話しに聞いたり、自分自身も病んだり治ったり、そうやっていろいろと経験してきたことを、いま自分の人生に表現するところにいる、とでもいう感覚。どう考えても自分でその準備をいままで着々としてきているとしか思えないし、そのタイミングにしてももう絶妙としか言いようのない感じなんだけど、それにしても今までまったく縁のなかった病気をあえて選んでかかっているところなんかはチャレンジャーだなーと我ながら感心する(笑)。
posted by みつこ at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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