2011年11月30日

悲しみちゃん、悲しみちゃん

今日のヨガクラスで、胸に手を当てて、内側を感じている時に、膵臓の、ほとんど失われたβ細胞に思いを馳せてみた(マニアック過ぎるw)。
そこにはやっぱり悲しみちゃんがいるんだな。
堪らなく激しい悲しみちゃんが、激しいのに静かにそこにはいるんだな。
でも知ってる、それでいいんだ。
希望も絶望も、どっちも捨てずに大事に抱えていくんだ。
それがいいんだ。
そういうのが好きなんだ。
私は人生というものが好きなんだ。
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2011年11月25日

名付けられない思い/SION with Bun Matsuda 2011.11.25@浜松 窓枠

はい、また来てしまいましたよ浜松(笑)。
ふたりで108歳の煩悩ブラザーズ(笑)のライブ。

仙台はスタンディングだったけど、今回はイスがあってゆっくりな感じ。煩悩ブラザーズが立って演っているっていうのに申し訳ないけれども。ステージ正面位置の席が遠慮がちに空いてたので、すかさず座ったんだけど、SIONが出てきたらあまりにも真正面過ぎて、しばらくはSIONを真っ直ぐ見ることができず、SIONが横向いてるとき、視線をそらしてるときばっかり一生懸命見てた(笑)。至近距離で見るのは、初めてじゃないはずなのに、やっぱり最初は圧倒される。ライブが進むにつれだんだんとそんなこと気にしてられない感じになったんだけど。

SIONはなんか今まで見たことない、キャメルカラーのベロア生地+肩あたりとかポケットとかに革を使ってる感じの、テロンテロンとしたシャツ。いつも腰から下げてる革の切れっ端みたいなやつ(笑)も、いつも見るやつより革の厚みと大きさがちょっと増してる感じのに変わってる。あんなの(失礼ww)何種類も持ってるのん?おニュー(古)ですかね。

座ってるのが真っ正面なせいなのかなんなのか、不思議な感覚にとらわれる、こんなこと言っちゃおこがましいが、ステージを見てるはずの自分が、ステージの上にいるSIONに重なって区別がつかなくなって、会場からの掛け声が聞こえてきたりするのも、なんかな、、SION目線(?)で聞こえてきて、嬉しくなって笑っちゃったり、自分と演者ではなくて、そういう区別じゃない一体感みたいなもの。
激しく集中しすぎなんだよねたぶん(笑)。ライブの後すんごいふわふわした感じになるもん、変な脱力感というか、戻って来れてない感じというか(笑)。

ちょこちょことね、なんかニヤニヤして唄っちょる、とか、歌詞を変えて唄ってるなっていうのとか、ぷぷぷwwとなったり、グサッときたり。

アンコールの最初は弾き語りで、「ただそれだけで」。やさしくやさしく。
不思議なもんさ ひとりじゃないことが
おかしなもんさ こんなにも心強く
顔を見るだけで 声を聞くだけで
ただそれだけで

うん、うん、、、

アンコールで唄った、新しいNT4のラストになる「バラ色の夢に浸る」で、こういう歌詞がある。
ある日テレビで仕事を聞かれた老人は答えた
俺の仕事は音楽と人生を楽しむことだ
そうだよな それでいいよな
そうだよな そうでなくっちゃな

って。それを今日は「俺の仕事は音楽と人生を愛することだ」と唄う。
会場から歓声が上がり、熱気がわーっと高まる感じ。そして、静かにグッと深まる感じ。
そのことばを発してる老人は、いつかじーちゃんになった時のSIONなのかもしれないなーと思ったりする。音楽と人生を楽しむ、愛することが俺の仕事だって。

この曲が終わると、先日の仙台では一旦はけて、戻ってきて2回目のアンコールが「タイトルなし」からって流れだったんだけど、文さんの方にとことこと寄っていき、何か話してる、手を横に振って「〜なしで、、、」みたいな感じのやりとり、そして引っ込まずにそのまま真ん中に戻ってきて「もうちょっとやっていいでしょうか」といって、始まったのは「たまには自分を褒めてやろう」だったんだ。

ひとつ、個人的に最終の新幹線かなりギリギリかなって思ってたから、引っ込まずに続けてくれたのと、1曲飛ばしてる分で、最後までライブを見ても帰れそうだって思った、かなりかなり個人的な事情があって、ちょっとホッとしてそしてビックリしたのと、もう1つは「タイトルなし」を唄わないことにしたSIONの気持ち。なんだかやっぱり会場は楽しく盛り上がってて、嬉しいなーって空気があったから、ここでこの曲をやるのは違うかなって思ったんじゃないだろうか、と勝手に想像してみる。やっぱり仙台とは全然違う空気が流れてたから。

もともとセットリストには入ってて、やっぱりやらないことにしたのか、それとも、曲自体からこの日はやらないことにしていて、引っ込まずに続けてやるってことだけを変更したのか、どっちなのかわからないけど。

深い思いがあるからこその、唄わない選択というものに、唄を聴きに行ったというのに唄わなかった唄の方に心打たれてる。もしかしたら本人はその時の感覚でそうしただけなのかもしれないけど。

どんなに深く、強く思っても、自分じゃない誰かとおんなじ感情を経験することはできない、それでもやっぱりわかろうとする、わかりたいと思う気持ちはなぜだか勝手に起きてくるもので。理解できるなんて簡単に言うことはできない、ただわかろうとする気持ちが消えずにそこにあるかどうかしかない。この唄わなかった曲「タイトルなし」を、ラジオ番組にゲストで出たときに持っていって、タイトルを聞かれたときに、タイトルはないですね、、、って答えて、そのまんま「タイトルなし」のまんまにしてアルバムに入れたSION。タイトルがつけられない気持ち、ことばに表せない思い、唄えない唄。

仙台で、この曲を唄い終わって深く長いお辞儀をしたSIONを思い出した。


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2011年11月24日

誰が悲しんだとしても

どの瞬間も、悔いなんかないんだ

・・・っていうのは言い過ぎか(笑)
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2011年11月23日

悲しみを唄で癒して、喜びを唄で増やして/SION with Bun Matsuda@仙台

日程が祝日だったし日帰りできる範囲だったから行くことにしたんだけど、仙台だなーって思いながらも、それ以上は特に何も考えないで、いつものままにただ街に着いて、ぶらぶらしてご飯食べて、会場に行ってライブを聴いて帰ってきた。いつも通りのこと。それ以上なんにもできやしないから。

SIONもまた、いつもどおりにステージにあらわれた。「夏の終わり」なんて、もう冬なのにそんなやさしい感じの曲で始まって。

その後は、Naked Tracks 4からの曲を続けて何曲か。ここのNT4からのブロック前半はたぶん3.11以降にできた曲が続いて、いろんな、ホントにいろんな気持ちが行き場を求めて渦巻いて激しくて痛くて、、、なんだけど、後半「不揃いのステップ」そして「風が出てきた」とくるあたりで、ああ、っていいも悪いもないんだって、それってこういうことなんだ、って改めて見せてもらっている気がしていた。

悲しみや苦しみや怒りや自己否定や・・・いわゆるネガティブと思われている感情、気持ち、そんなんも全部、いいも悪いもなくて、全部ひっくるめて自分で、全部を持っているのが人間で、それでいいんだって、SIONはその「いわゆる」ネガティブな感情をとことん見つめることで、それを唄にすることで、剥き出しにして見せることで、その感情を自分の中だけじゃなく誰の中にもあるその悲しみや怒りをしっかり見据えて唄ってやることで、結局は肯定して見せてくれる。

そういう気持ちはあっていいんだって、それがなきゃ生きてることがまるまるウソになる。

だって、「不揃いのステップ」のメロディはこんなにもやさしい。「風が出てきた」は、最後に「どうするよ、このろくでなしちゃん」って少し笑って終わるんだ。

本編後半は、懐かしいやつ、いつものやつ、たのしいやつ、やさしいやつ。

最後、「Hallelujah」、「マイナスを脱ぎ捨てる」ときて、この流れで終わることが多いけど、なんかもう1曲ぐらいこないのか?な感じがしていたら、「元気はなくすなよ」ときた。「マイナスを〜」のままでは追われない感じがわかる、かといって「Hallelujah」じゃあないよなってのも。そこに「元気はなくすなよ」だ。

2回目のアンコールで、あの曲、「タイトルなし」を唄った。

iPodで聴くときはね、なんとなく飛ばして聴いちゃうときが多い、そんな気軽に通勤中のヘッドフォンで聴ける感じじゃなくて。SAICOちゃんのライブにSIONがゲストで出たとき、SAICOちゃんのリクエストでってのもあってこの曲を唄ったけど、SAICOちゃんはステージ袖のほとんど見えない隅っこの方に座り込んで、頭を垂れてこの唄を聴いてた。そういう風にしてしか聴けないような、聴いちゃいけないような。周りからは鼻をすする音があちこちから聞こえてきて、でも、その後に唄った曲がまたしても絶妙で。「たまには自分を褒めてやろう」だったんだよね。私はこのセットにホントにSIONの限りない思いを見た気がした。なにがどうと説明しようとしても言葉は全然追いつかないけど。

なんにも言わない、なんにも言えない、けど、唄える唄がある。
いつもあんまりしゃべらないSIONだけど、いつにもまして言葉少なく、アンコールも全部終わって最後の最後、踏ん張れともけっぱれとも言わず、なんにも言えませんが・・・って、元気はなくすなよって、ありがとうって、それだけだった。

NT4の最後の曲「バラ色の夢に浸る」の歌詞にあるように、「悲しみを唄で癒して、喜びを唄で増やして」っていうSIONの思いそのまんまのライブだった。

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2011年11月17日

奇跡って、目の前で起きてることすべて

私の体に起こった病気は現在の医学では完治しないと言われてるんだけど、実は発症した時と同じようにひょっこり治っちゃうような気がしている。

なんにも根拠なんかないし、願望実現的なことを意識しているわけでもないんだけど、それはもうはっきりとしたイメージである日勝手に浮かんできて、それっきり貼り付いて剥がれないから、きっとそうなるんだろうと、思っているっていう言い方がしっくりこないくらいにそのイメージが自分の一部になってしまっている。

まあだからといってそうならなくても、それはそれでいいんだけどね。
posted by みつこ at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月16日

季節がめぐる

目が覚めて、両脇に猫をはさんで(より正しくは「はさまれて」?)寝てる家人を発見し、また冬が来たねと感じた朝(笑)

アルコール綿でお腹をふいて「ひゃっ!」っとなり、そんな冬の感じ方を初体験した朝(笑)

「木枯らし1号」は吹いたのか?今日のがそれか?と毎年恒例の季節の変わり目を表現する日本語が好きな外国人上司の質問攻めにあい、再び冬を感じた昼(笑)

空気のにおいが変わっていく時の、鼻の奥の方がきゅっとなる感じ
なんでか少し切なくなる感じ

季節が変わっていく、そのことを感じただけで、なんだか頬がほころぶ

さみーね
ラベル:季節
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2011年11月10日

奇跡的?安定感

こないだの通院日。
血糖値グラフを見て開口一番「なんか最近高かった?」
目敏いねー、って当たり前か、専門家か。

まあそれには自分なりに理由があってですね、ずっと人と会ったり、立ちっぱなしだったり、自分のタイミングでトイレ行ったりしづらかったり、食事時間とか何を食べるかを自分で決められないとかの、仕事の日やら冠婚葬祭系が3〜4日続いたんで、低血糖を警戒して敢えて高めに持っていってたという話しをたら、まあその辺の細かい調整はまだできなくてもしょうがないかなって感じ。それ以外は比較的よく安定させられているし、上がった下がったっていう時もその理由は自分で考えてわかってるならそれでOK、と。あんま言うことないね、と。

処方箋を出すために、手元に何がどれくら残ってるかを確認してる時に、ブドウ糖は?って聞かれたんで、まだいっぱいあります、そんなに減らないしって言ったら、そうだよね、ならないもんね(ひどい低血糖に)、でもそれってホントに奇跡的なことだからね、と言われ、思わず、そうなんですか?って言ってしまったけど。

別に主治医を喜ばすために治療しているわけじゃないけど、なんか嬉しそうなんで、やっぱりこっちもうれしい気持ちになる。

今思えば退院後最初の受診の時に処方された大量のブドウ糖(10g×20包)、こんなに要らなくね?と思いつつ、まあこれでしばらく補充しなくてすむからもらっとくか、と思って受け取っといたけど、普通に必要だと思って処方されてたんだね。一般的イチガタの人たちの経過から予測するに、もっともっと不安定な日々が何ヶ月かは続くはずだったのだから。


そういえば、なぞの300越えについては、「これはちょっと(理由が)わかんないねー」と言われた(爆)。まあ別にいいけど(笑)。
食事から運動まで4時間以上空く場合は、インスリンの調整は要らないと、確認をとりました。そうだよね、そうだと思ったよ。

まあでも、今後も似たようなことがあったらさらに検証してみよう。ホントは300などという数字を叩き出さないようにしたいけど、たまにはやっちゃうこともあるだろうから。

posted by みつこ at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月08日

運動によって起こる体の変化についてなどを読む

糖尿病についての本なんて世の中にどんだけあるんだと思うけど、患者向けのやつはだいたいおんなじようなことしか書いてないし、ほとんど2型についてなので、最近はつまんなくなってきて(笑)、医療者向けの書籍に手を出してる今日この頃。

糖尿病と運動―糖尿病患者のスポーツ活動ガイドライン [単行本] / シェリ コルバーグ (著); Sheri Colberg (原著); 佐藤 祐造 (翻訳); 大修館書店 (刊)
糖尿病と運動―糖尿病患者のスポーツ活動ガイドライン [単行本] / シェリ コルバーグ (著)...
こんなのとか。
これは翻訳モノで、分担して翻訳されてるんだけど、研究者たち自身が翻訳していて、訳文がこなれてないところが散見されちと残念。でも、いろんな運動をしているたくさんの糖尿病患者さんたちからアンケートを取ってまとめられた、現実に即した内容で、魅力的なDiabetic Athlete(糖尿病患者のアスリート)が何人も紹介されていて、取り組み方次第でどんなスポーツでも(フルマラソンも、ダイビングも!)できるもんなんだ!とちょっとワクワクしますね。

ヨガについても、ほんのちらっと触れられていたけど、ストレッチとまとめた項目になってて、糖代謝に影響を与えるような運動とはみなされていないみたいで、これはあんまりデータがなかったのかなあという印象を受けた。実際は強度の高いヨガもあるし、何かしらの影響を与えていることは確かなんで、これは自分で実験台になってみるしかないかなーって(笑)。

あと、↑の翻訳の監訳者さんの著書で↓こんなのとか。

糖尿病運動療法指導の手びき―病態に合わせた具体的運動処方 [単行本] / 佐藤 祐造 (著);...

目次見てたら気になる言葉づかいが。

1107.jpg
「運動不足」と言わず、それを「安静」と呼ぶことば感覚、キライじゃないw
「安静はなぜよくないか」、「安静が肥満を招く」・・・。
私は運動も好きですが、「安静」にしていることも結構好きですよ。
posted by みつこ at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

たくさんのつながりの中で

おじさんが亡くなって、先週お葬式があった。
いい笑顔の遺影だったなあ、私の記憶の中のおじさんもホントにあんな感じだ、ステキな方だった。

親戚・縁者が集まる。いろんなつながりの中で生まれて、育って、生きてきて、生きているんだなあと、改めて感じる機会だった。子どもの頃には見えなかった大人たちの関係性やそれぞれの性格が、自分自身も大人になったいま、という視点でみると、いろんなことがよく見えて、違って見えて、なんだか興味深かった。私が好きだなあと思う人は、オープンで、すべてのことの良い面を見ることができる人、表現することができる人。

両親ともちょこちょこ話して、こないだのヨガの時に離れてて思いを向けたときに感じたあの痛みや不安感が、現実としてやっぱり感じたとおりにそこにあり、当たり前だけどもう一度、ちょっとごめんねって気持ちになるのだった。

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お葬式なのに不謹慎と思いつつも、、、、お骨を拾って骨壺に詰めてね、最後に一番上におじさんの眼鏡を乗せてたのを見て、棺に身の回りのものとか好きだったものを入れてあげるっていうのはあるけど、骨壺にもそういうふうにするんか〜と妙な感心を覚え、でも、もうからだはないのだから眼鏡は要らなくね?って冷静に思ってみたり、これが私だったらインスリン注射入れることになっちゃうな(爆)、いや要らないけど、とかしょーもないことを考えみたり、あはは。
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2011年11月02日

その痛みは

だいたい月1でやっているスタジオヨギーのマサさんのスペシャルクラス。

今回は「思いやりのヨガ」ということでベースはチベットハートヨガのシリーズ1になるのかと思うけど、マサさんアレンジ(笑)な感じで。心の中でパートナーを決めてその人へ気持ちを送りながらアーサナや瞑想をするというやつです。今まで何度かこのシリーズのクラスやワークショップに参加してるけど、今回は結構久しぶりだったかも。

マサさんの話しも基本的にはテーマに沿っての話しで同じことを話しているようでもあるけれど、注意深く聞いているとやっぱり新しい視点が加わっていたり、より深まっている感じがあったり、ティーチャー自身の体験に基づいて、ティーチングもどんどん変わっている感があって毎回新鮮。それだからこそ、より人間らしく真実味があり、心に真っ直ぐ入ってくるんだ。

今回パートナーはひとりじゃなくて前半と後半で分けてそれぞれひとりずつ、ふたりの人に思いを送ることになったわけだけど、なんとなく、今回自然に浮かんできたのは父と母だったんだな。最後にそのふたりが並んで座ってこっちを向いていて、私になにか言ってくれるとしたらどんな言葉をかけてくれるか?私に対してどんなことを思っているか?っていう瞑想?というか、観想?というか、その時間があり、こんなとき、自分がその人に何を言ってほしいかなんてことがあざとく浮かんでくるのかと思いきや、その時その場になってみると不思議とそんな意識は働かなくて、このひとたちが私のことをものすごく心配している、健康で幸せでいてほしいと強く願っているということが、はっきりとリアルにわかってしまった。その心の痛みでなんだか涙が出た。私が唐突に病気になったことは、本人なんかより彼らにとっての方がよっぽどショックなことで心が痛いことなんだと。

この夏を越えて、いつしか私の小さな目標は、親より先に死なないこと、になった。当たり前すぎるかもしれないけど、結構本気で。
ラベル:ヨガ 家族
posted by みつこ at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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