2012年01月30日

長生きしようとする理由の一

よしもとばななさん好きの友人から、TaoZenの大内さんとかとの健康についての対談集みたいなのが出ていると以前に教えてもらったので、読んでみたんだけど、巻末にある、ばななさんの友人「るなさん」のがん闘病記が一番こころに痛かった。普段はわざわざ「闘病記」と名のついたものを読んだりしないんだけど、今回は流れでそのまま読み始めて、最後までしっかり読んでしまった。

(・・・)しかも、泣いたり取り乱したりしない、笑っている私を見て、家族の方が苦しかっただろうと察します。
 いつも思っている事があります。今も変わりなく思っています。
 病気の本人(私)は、楽なのです。全て自分との闘いなので、痛いも、苦しいも、辛いも、我慢出来ます。だけど、それを見ている家族や、親戚、友達の方が比べものにならないくらい辛いのです。何もしてあげられない!と悩むと思いますし、喪失感、罪悪感、空虚感など、心労がすごいはずなのです。私の体調と全く同じ感覚になれないし、痛みも、苦しみも、共有する事も出来ません。
 患者(私)に会うときは元気づけよう!と思ったりテンションを上げたりと、色々と苦しいと思うのです。みんなただひたすらに祈ってくれていました。
 私自身が病気になって分かったのですが、周りの人の方がよっぽど大変だ!という事です。
 言葉を選んだり、押し付けないようにしたり、顔色をうかがったりと、心身ともに苦しむと思うので、感謝の気持ちとともに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、それを考えると、いつも泣きそうになります。親より先に死ねない!と心を強くする毎日です。
 私の力はどこから出ているのか?と考えると、支えてくれる大切な家族、親戚、友人達の信じてくれる心だと思います。だから、負ける訳にはいかないのです。皆の笑顔の為に頑張るのです。そして、自分の為にも、もちろん、頑張り続けます。自分らしく・・・・・・。
奇跡の中で生きている〜るなさんのがん闘病記〜(P184)


私なんて、るなさんの病状の深刻度に比べたらホントに笑っちゃうくらいたいしたことないものではあるが、やっぱり同じような気持ちを持っている。唐突に入院したりして、ちょっと珍しい病気になって、本人は日常生活は送れているし意外とケロッとしているんだけど、以前、記事にもしたけれど、本人なんかより親や周囲の人たちの方がよっぽどこころが痛いのだと。

「感謝の気持ちとともに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、それを考えると、いつも泣きそうになります。親より先に死ねない!と心を強くする毎日です。」と、本当に感じていることそのまんまだったので、駅のホームの待合室にてうっかり泣いてしまったのだった。

誰が悪いわけでもないことは、重々承知の上で、それでもやっぱり親に対しては、なぜかやっぱり「ごめんね」って思うんだよ。


Q健康って? [単行本] / よしもと ばなな (著); 幻冬舎 (刊)
Q健康って? [単行本] / よしもと ばなな (著); 幻冬舎 (刊)
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2012年01月26日

どれだけかわいがれば私たち気が済むのかしら

こないだの週末、かんこんの3種混合ワクチン接種に行ってきた。

病院通いで病気がひどくなって以来、まずそもそも外に連れ出すこと自体、どうなのか、、、という心配もあったんだけど、ずっと通ってたところじゃなくて、転院した先の獣医さん(本人はまだ行ったことないww)のところに連れて行くことに。診療は予約制じゃないけど、たまにトリミングの予約が入ってることがあるみたいなので、事前に連絡して予約がなくてスムーズに診てもらえそうな日時を確認。

いままでの獣医さんは、徒歩5分程度だったので、近くてよかったんだけど、今度は歩くと15分くらいはかかるので、自転車がいいんじゃないかと相談していて、そうなると今までのキャリーケース
AA300_.jpg
↑こんな感じのやつで運ぶのはけっこう大変。自転車は全然使ってなくてサビだらけで、去年、粗大ゴミに出してしまったし。

なんせ病院通いのストレスで余計に具合悪くなったひとだから(笑)、なるべく負担のないように行って帰って来れるようにと、考えて、背中に背負うタイプのキャリーバッグを購入。
↓こんなヤツ。
brown-8.jpg

それでも徒歩15分っていうのが気になって、レンタサイクルを利用するつもりでいたんだけど、当日はあいにくの雨。傘をさせば歩くのにはそれほど苦じゃない程度だったけど、自転車はやっぱり断念。

寒いし、雨だし、大丈夫かなあ・・・と少し心配ではあったんだけど、バッグの底にはライナスの安心毛布よろしく脱ぎたてほやほやの女のおかーさんのパジャマを敷き(笑)、背中にしょって傘射して行ってきた。来年は寒くなる前に注射しに行こうね、と話しつつ。

かんこんは移動中もわりと静かにバッグに収まっており、時々モゾモゾしてるのを背中で感じられて、怖くて固まってプルプル震えてた数ヶ月前とは明らかに様子が違うよう。連れてる方もなんだか背中があったかくて安心。

待ち時間もなくすぐに診てもらえて、診察は、目とか耳とかお腹とか口の中とかあちこち触られたり見られたりして、まあ、フツーに嫌がってたけど(笑)、そんなに震えるようなこともなく、気持ち悪くなったりもせず、暴れもせず、肛門に体温計入れられてる時だけは声を出してやーだーと言ってたけど、無事に診察も注射も終了。

獣医さんには、毛艶もいいし元気そうで、特に問題なさそうだと、奥歯の歯石だけちょっと気になるので、たまにこすって落としてあげてと言われたくらいでした。体重は4.9kg。ホントにこないだまで2.5kgだったひとですか?倍だよ、倍。

ウチに帰ってからも、以前だったら病院帰りはすぐにベッドの下とか押し入れに隠れてしばらくは出てこなかったんだけど、ぐるっと一回りウチの中をチェックしたら、あとはご機嫌取ろうとした女のおかーさんから猫缶などもらい(笑)、何事もなかったかのように過ごしてた。

なによりも驚いたのは、キャリーバッグを何度も見に行っていて、最初はちょっと警戒気味だったけど、そのうち横っちょのところを掘って掘ってし始めて、これって布団とかタオルの中とかにもぐりたいときにする仕種なんで、え?!病院連れて行かれた入れ物に?入りたいの?と。

なんかね、どうやら気に入ったみたいなんですよ。フタを開けといてあげたら、何度も入りに行ってしばらくは中で落ち着いてるのね。最初は下に敷いてある私のパジャマがいいのかな?と思ったけど、パジャマを外しちゃった後もやっぱり何度も入りに行ってた。

あげくに、数日たってもう気が済んだかと思ってフタを乗せといたら、上から乗ってフタごと中に入るわざを覚えたらしくて、↓こんなんなってた(笑)。
koro.JPG

もうー、かわいすぎるやろーーー

なんかさ、このキャリーバッグが気に入ったってのもあるのかもしれないけど、あの病院はそんなにイヤじゃなかったんだろうなあ、きっと。何十分も待合室にいなくてもいいし、その間に何度も何度も鳴るドアの開閉の時のときのキンキンした音楽もないしね。前のところとは違うってわかるんだろうね。すごいね。
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2012年01月20日

目が合わない人

私のからだのことを気にかけてくれる友人・知人が何人もいます。それは、言葉に出して言ってくれるのもありがたい、言葉には出さないけどさりげなく気にしてくれてるのも、ちゃんと伝わるからそれもうれしい。会ったときに、ただにっこりしてくれるのも、元気?って聞いてくれるのも、なにがってわけじゃないんだけどなんとなく、大丈夫?って聞いてくれるのも、一緒にご飯を食べてくれるのも、バカな話で一緒にわーわーやってくれるのも、あんまり連絡とりあわないけど、いつも並走してる感じがする存在も。

たまーにね、うん、、、気にかけてくれてるのももちろんなんだろうけど、なんつーか、病気の人のことを心配している自分というのの方により重心がある人もいるよね、そういう人とは、どういうふうに接しようか、ちょっと戸惑うこともあります。なにもしてあげられない自分、とか、病気や症状のことを心配している自分、みたいなことがクローズアップされてる場合。たぶんそこには実際には私という存在は要らなくて、病気の人または体調が悪いと言ってる人が身近にいるっていうことと、そこに関わろうとしているその人っていうのがあるだけで。視線や意識は私を見ていなくて、私を透かしてなにか別のものを見ているのがわかる。し、そういうときの本人の気持ちや気分もなんとなくわかる。たぶん、自分もそういうことしてるときがあると思うから。そうなると、こっちもあんまりちゃんと相手の視線をとらえずに、なんとなく目を逸らしてしまいたくなる。

そういう言動・態度を取るときには、意識の上に上っているかどうかに関わらず、その人なりの理由があるはずで、本当に取り組むべきは、人の心配じゃなくて自分の心配ってやつなんだ。

通り抜けている視線とちゃんと目が合って、にっこりできるようになりたいな、お互いに、と思う。
ラベル:人間関係 観察
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2012年01月19日

自己管理とは、自分を愛すること

人と比べても究極は意味のないことなんだけれども、ある1型糖尿病患者さんのエピソードを知って、改めて自分がどんだけ自分を好きで大事にしてるのかってことを違う角度から認識したってことがあった。

詳細はまったく知らないとある1型糖尿病の方、発症して数年(10年は経ってないのかな?ぐらい)、そんなにまめに血糖測定もしておらず、食事内容もあまり考慮せず、処方されたインスリン量をただただ打っていて、HbA1cが良くないっていう、それも数ヶ月とかじゃなく、数年とかの単位で。

その話しを知ったとき、どんだけ自分のからだに興味がないの、と思ってしまった。と、同時に私はどんだけ自分フェチなのかwwwってことも思った。

でもさ、どんなにほかのいろんな気になることがあろうが、自分以上に大事なことがいったいどこにあるというのだろうか。どんなに大事なものや人があったとしても、それを本当に大事にするためにこそ、まずは自分を大事にしようと、思うまでもなくそうしているのがいまの私で。

でもな、、、以前からそうだったかといえば全然そんなことなくて、けっこうひどいこと物理的にも精神的にも自分をないがしろにしてきた年月はある。だからなー、あーきっとその人もなにかこころに空洞が、自分が気づいてさえいないような穴ぼこが、もしかしたらけっこうでっかいのが、空いてるのかもしれないなーって、なんとなく知らないその人のことを、知らないなりに、だけどなんだかちょっと近くにも感じて、思ってみたのだった。
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2012年01月17日

気になりますね

食後の動悸。ときどきあるんだよね。
あるときはけっこう激しい。
低血糖の時も動悸はするけど、動悸単体ではやってこず、
血の気が引く感じ、手の震え、集中力の低下、その他もろもろ
などもセットでくるんで、
動悸だけのときは、低血糖じゃないんだよな。
その微妙な違いはわかるようになってきた。

低血糖じゃないけれども、血糖値(数値そのものと上下の変化と)となんらかの関連はあるに違いないとは思う。あとは、消化活動、血圧、血流、インスリンその他のホルモン、などなど。

しばらくすれば治まるんで、とりあえず様子を見るという感じなんだけど、主治医は、「測って低血糖じゃないことを確認して安心しとく」、という方法しか今のところ提案してくれなくて。いや、安心しても動悸はおさまらないんだけど、、、センセー(笑)。
posted by みつこ at 15:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月15日

デミアン

『デミアン』わけわからんわ、、、って思う人には、是非ともアプラクサスなどという名の神に関わり合いにならずに、その太陽に照らされた道を、迷わず進んでほしいと切に願うものである。

これからひたすら引用される文章になにかしら身に覚えがあるならば、「いまこの瞬間に至るまでのすべてのものが、私の心の中にひびき返ってきて、肯定され答えられ是認され」た時のようなその胸の震えを再び。

「ねえ、シンクレール、ぼくたちの神はアプラクサスといい、神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界とを内に蔵しているのだ。」

「ぼくたちの道は苦しい。――しかしぼくたちは進もう」


(・・・)私はもはや星の上や書物の中をさがし求めはしない。私の血が体内を流れつつ語っているところの教えを、私は聞き始める。私の物語は快い感じを与えはしない。それは、考え出された物語のように、甘くも、なごやかでもない。それは不合理と混乱、狂気と夢の味がする。自己を欺こうとしない、すべての人間の生活のように。
はしがき(P8〜)

 すべての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめい力に応じて。
はしがき(P9〜)

(・・・)各人みな、人間に向かっての自然の一投である。われわれすべてのものの出所、すなわち母は共通である。われわれはみんな同じ深淵から出ているのだ。しかし、みんな、その深みからの一つの試みとして一投として、自己の目標に向かって努力している。われわれは互いに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。
はしがき(P9〜)

 思いかえしてみると、−−デミアンは大胆不敵な者と臆病者について、なんとふうがわりな話をしようとしたことだろう!カインの額のしるしに彼はなんと異様な解釈を下したことだろう!そのとき、彼の目、おとなのような、忘れられない目は、なんと異様に輝いたことだろう。ばくぜんとではあるが、ふと頭に浮かんだ−−彼自身、デミアンこそ、ああした一種のカインではないかと。彼は、自分がカインに似ていないと感じていたら、どうしてカインを弁護するだろう?どうして彼は目つきにあの力を持っているのか。どうして彼は臆病なほかのものたちについてあんなに嘲笑的な口をきくのだろう?そういうものたちこそ、実際は信心深い、神の心にかなったものであるのに。
第二章 カイン(P49)

(・・・)アプラクサスはずっと多くのものを意味しているように思われる。われわれはこの名をたとえば、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ、一つの神性の名と考えることができる」
第五章 鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う(P139)

 「きみが世界を単に自分の中に持っているかどうかということと、きみがそれを実際知っているかどうかということとは、たいへんな違いだ。気ちがいだって、プラトンをしのばすような思想を生み出すことはできる。(・・・)だが、彼はそれについてなにも知らない。それを知らないかぎり、彼は木か石か、最もよい場合でも動物にすぎない。この認識の最初の火花がほのめいて来るとき、彼は人間になる。往来を歩いている両足のものが直立して歩き、子どもを九か月間みごもるからと言って、ただそれだけで、きみは彼らをすべて人間だとは思わないだろう。それどころが、彼らの非常に多くが、魚か羊、虫けらかヒルであるのを、またアリでありミツバチであるのを、きみは知っている。彼らのすべての中に、人間になる可能性が存在しているが、それを察知し、そのうえその一部を意識的にすることを学んだときはじめて、この可能性は彼のものになるのだ」
第五章 鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う(P158〜)

 「きみは話したことがあるね」と、彼(ピストーリウス)は言った。「音楽は道徳的でないから好きだって。そりゃどうでもいい。だが、きみ自身は道徳家じゃなさそうだ!だからほかのものたちと自分を比較しちゃいけない。きみが生まれつきコウモリに造られているとしたら、ダチョウになろうなどと思ってはいけない。きみはときどき自分をふうがわりだと考え、たいていの人たちと違った道を歩んでいる自分を非難する。そんなことは忘れなければいけない。火を見つめたまえ、雲を見つめたまえ。予感がやって来て、きみの魂の中の声が語り始めたら、それにまかせきるがいい。それが先生やおとうさんや、いずれかの神の心にかなうか、お気に召すかなんてことは問わないことだ。そんなことをしても、自分を毒するだけだ。歩道にもどって、化石になるだけだ。ねえ、シンクレール、ぼくたちの神はアプラクサスといい、神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界とを内に蔵しているのだ。アプラクサスはきみの思想や夢のどの一つにだってさからいはしない。それをけっして忘れないように。だが、もしきみが非のうちどころのない普通のものになったら、アプラクサスはきみを捨ててしまう。彼はきみを捨てて、彼の思想を煮るべき新しいなべをさがすのだ。」
第六章 ヤコブの戦い(P163)

 「きみも秘法を持っているぞ。きみはぼくに言わない夢を持っているにちがいない。ぼくはそれを知ろうとは思わない。だが、きみに言っておく。その夢を生き、それを遊び、それに祭壇を立てたまえ!それはまだ完全なものではないが、一つの道だ。ぼくたち、すなわちきみとぼく、それから数人のほかの人たちが世界を更新するかどうかは、やがてわかるだろう。しかし、ぼくたちの内部では世界を毎日更新しなければならない。そうでなければ、ぼくたちはだめだ。そのことを忘れないように!きみは十八歳だ、シンクレール。きみはストリート・ガールのところには行かない。きみは恋の夢、恋の願いをいだかねばならない。きみはそれに恐れをいだいているかもしれない。恐れることはない。それはきみの持っている最上のものだ。ぼくを信じたまえ。ぼくはきみの年ごろ自分の恋の夢をむりに押さえたので、多くのものを失った。そういうことをしてはならない。アプラクサスを知ったからには、もうそういうことをしてはならない。ぼくたちの内なる魂が欲することはなにひとつ恐れてはならないし、禁じられていると思ってはならない。」
第六章 ヤコブの戦い(P166〜)

 「われわれの見る事物は」と、ピストーリウスは小声で言った。「われわれの内部にあるものと同一物だ。われわれが内部に持っているもの以外に現実はない。大多数の人々は、外部の物象を現実的と考え、内部の自己独特の世界をぜんぜん発言させないから、きわめて非現実的に生きている。それでも幸福ではありうる。しかし一度そうでない世界を知ったら、大多数の人々の道を進む気にはもうなれない。シンクレール、大多数の人々の道はらくで、ぼくたちの道は苦しい。――しかしぼくたちは進もう」
第六章 ヤコブの戦い(P169)

 ここで突然鋭い炎のように一つの悟りが私を焼いた。――各人にそれぞれ一つの役目が存在するが、だれにとっても、自分で選んだり書き改めたり任意に管理してよいような役目は存在しない、ということを悟ったのだった。新しい神々を欲するのは誤りだった。世界になんらかあるものを与えようと欲するのは完全に誤りだった。目ざめた人間にとっては、自分自身をさがし、自己の腹を固め、どこに達しようと意に介せず、自己の道をさぐって進む、という一事以外にぜんぜんなんらの義務も存在しなかった。
第六章 ヤコブの戦い(P190)

 各人にとってほんとの天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった。詩人として、あるいは気ちがいとして終ろうと、予言者として、あるいは犯罪者として終ろうと−−それは肝要事ではなかった。実際それは結局どうでもいいことだった。肝要なのは、任意な運命ではなくて、自己の運命を見いだし、それを完全にくじけずに生き抜くことだった。ほかのことはすべて中途半端であり、逃げる試みであり、大衆の理想への退却であり、順応であり、自己の内心に対する不安であった。新しい姿がおそろしくかつ神聖に私の前に浮かんで来た。それは百度も予感され、おそらくもういくども口に出されたものであろうが、体験されたのはいまが初めてだった。私は自然から投げ出されたものだった。不確実なものへ向かって、おそらくは新しいものへ向かって、おそらくは無へ向かって投げ出されたものだった。この一投を心の底から存分に働かせ、その意志を自己の内に感じ、それをまったく自分のものにするということ、それだけが私の天職だった。それだけが!
第六章 ヤコブの戦い(P191)


−−この瞬間に、私がかつてなしたり体験したりしたいっさいのものが、答えとして実現としてもどって来るかのように、楽しい気がした。いなずまのように早くたくさんの画面が私の心を走り過ぎた。アーチ型の門の上に古い石の紋章のある故郷の生家、この紋章をスケッチしていた少年デミアン、仇敵クローマーの悪辣な魔力のとりことなっておびえていた少年の私、小さい生徒べやで静かな机に向かって、あこがれの鳥を描きながらそれ自身の糸の網の中に心をまきこまれていた青年としての私自身−−それらすべてのもの、いまこの瞬間に至るまでのすべてのものが、私の心の中にひびき返ってきて、肯定され答えられ是認された。
第七章 エヴァ夫人(P207)

 「シンクレール、よく聞きたまえ!ぼくは去らなければならないだろう。きみはおそらくいつかまたぼくを必要とすることがあるだろう、クローマーに対して、あるいはほかのものに対して。そのとき、きみがぼくを呼んでも、ぼくはもうそうむぞうさに馬や汽車でかけつけはしない。そのときはきみは自分の心の中を聞かなければならない。そうしたらぼくがきみの中にいることに気づくよ。わかるかい?−−それからもう少し言うことがある。エヴァ夫人が言った、きみがいつか逆境にいることがあったら、彼女がぼくにはなむけにしてくれたキスをきみにしてあげておくれって……目を閉じたまえ、シンクレール!」
第八章 終わりの始まり(P245)
posted by みつこ at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

生きてるからね

先週行ったばかりなのに今日もまた主治医に会いに行ってきた。

土日に2日間、とあるイベントの手伝いというかバイトというか、そんなんで文字通り朝から晩まで立ちっぱなし動きっぱなしだったんで、運動したわけじゃないんだけど、まあ長時間運動したのと同じ現象が起きてるのは理解していて、運動後12時間とか、24時間とか結構長いこと血糖値が下がりやすいということも。

しかし、週の半ば過ぎてもやっぱりおんなじ感じなんで、この場合どうしましょうか?なにが起きてるのかな?っていうのを相談したくて。

なんだか今週は様子が違うんですがーって話したら、
まあだから今までが出来過ぎなだけなんだから!ってとりあえず言われた(笑)。

いろんな要因について、対処法について、代謝の仕組みについて、話をしたんだけど、それでも複雑にいろんなことが起きてるから、数字とか理論上はこうだけど、実際はこれはわかんないな…っていうこともあるよ、だって生きてるからね、って。

「生きてるからね」って言われたとき、いま私がしゃべってた?と思ったわ(笑)。
もうほんとにこの人は、、、

ねえ、「だって生きてるんだから」って今まで何回思ったことでしょう。いろんなことが起きるさ、そりゃ起きるさ、だって生きてるんだもん、っていうなればいつもいつも思っている。その言葉を主治医から聞いて、ますますこの人を選んでよかったと、思ったのでした。
posted by みつこ at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

困難な美しい道

「生まれることは常に困難です。鳥が卵から出るのにほねをおることはご承知でしょう。ふりかえってたずねてごらんなさい、自分の道はそれほど困難だったか、ただ困難なばかりだったか、同時に美しくはなかったか、自分はより美しい、よりらくな道を知っていただろうか、と」
「デミアン」ヘッセ

と、エヴァ夫人に励まされて、通勤電車でなんだか鼻がつんとする朝。
posted by みつこ at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

下がりすぎる

なんだろな、ここ数日低血糖を連発中。
土日終日動きっぱなしだったからかなあ…?
運動後遅発性低血糖症ってヤツだな、たぶん。
posted by みつこ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月09日

額にしるしのある

デミアン、読みかけのある日、バッグにこの本を入れ忘れて出かけてくると、ああ、、、デミアン、、、と、たまらなく残念な気分になった、デミアン。

「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」

「アプラクサス(・・・)われわれはこの名をたとえば、神的なものと悪魔的なものとを結合する象徴的な使命を持つ、一つの神性の名と考えることができる」


神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界とを内に蔵しているアプラクサス

デミアン (新潮文庫) [文庫] / ヘッセ (著); 高橋 健二 (翻訳); 新潮社 (刊)
デミアン (新潮文庫) [文庫] / ヘッセ (著); 高橋 健二 (翻訳); 新潮社 (刊)
posted by みつこ at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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