2012年07月31日

そのさなか

この人と自分を重ね合わせ過ぎてた
そしてこの人に乗っかって何かから抜け出そうとしていた
自力ではなく
そしてこの人自身ですらどこにもいけやしなかったのだのに
しがみつき過ぎたのだ

この人は今ももがいてるのか
そう、おそらくは


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2012年07月26日

夏に於いて思う


今日はあちーなあ、とか思う度に、去年の夏はキツかった…と、思い出す。
でもその度に、あの2ヶ月ちょっとを乗り切ったのは、私の底力だったのだなあと思う。体力的にはキツかったはずなのに、精神的には全然やられてなくて、なんというか、、、進む力みたいなものは変わらずに湧いてきてて。(まあだからこそ医者にかかるまでに時間がかかってしまったという側面ももちろんあるんだけどね。)

その底力、今年はあんまり発揮する場面もないのだけど、暑さにやられず、元気にやってるのも、底力の下支えのおかげなのかなあ。

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2012年07月25日

心の種類

今日発売になったSIONのアルバム「Kind of Mind」。
最初にジャケ写がアップされたとき、なんだかすごく安心する感じがしたんだ。なんてやさしい目…って。Twitterにそんなこと書いてたら、フォローしているファンの方が、「Naked Tracks 4」とは対照的な表情だ、と書いていて、ああ…、だからなのかな、って思った。新譜のジャケ写見て泣くほどほっとした気持ちになったのは。

去年のNT4の表情は厳しかった、眉間にしわを寄せて何かを睨みつけるような眼差しで、それが今年はこんなやさしい目。

Kind_of_Mind.jpgNaked_Tracks_4.jpg
Kind of Mind(2012)/Naked Tracks 4〜同じ空の下、違う屋根の下で〜(2011)

そして、構図もまた似せて作ってるのかな。
前にこんなふうにジャケ写を並べてみた記事を書いたことがあったけど。

前にこうやって並べてみたSIONはそれぞれのアルバムの間が8年、16年経っていて、そういう意味での変化っていうのを感じたりもするけど、今回は1年しか経ってないので、年とったとかそういう問題ではなく(笑)、ホントに内面的な変化がどれだけ大きかったのかっていうのを物語っている気もする。


鏡雨SION_2009.jpg好きな時に跳べ!SION_2001.Jpg
鏡雨〜Kagamiame〜(2009)/好きな時に跳べ!(2001)

NakedTracks2b.jpgI DON'T LIKE MYSELF_1993.jpg
Naked Tracks 2〜鬼は外〜(2009)/I DON'T LIKE MYSELF(1993)

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2012年07月23日

そのスイッチ、押しません

ちょっとした業務上のトラブルがあってね。

相手からのメール文面にどうやら全部私のせいにしたい気持ちがありありと…(笑)。どっちともとれる文面を間違って解釈した私の方に責任があると言いたげな感じとか、聞いたことない別の担当者の名前とか出してきて○○さんから聞いてませんでしたか?と言ってみたり(笑)。まあ実際は半分半分だと思うのよね、お互いの確認不足っていうやつで。ただ、相手が日本ではないのでその辺のうまいことなんとかかんとか、、、みたいにことばのニュアンスとか雰囲気で持っていくってのが難しい部分がある(そこはコミュニケーション上の感覚の違いと、私の語学力の限界と両方の意味で)。

それにしても、相手の方が日本人なんじゃないかって思うくらい話の持って行き方が回りくどいww まあ、お客さんとの板挟み的な立場になっちゃったしね、あるいは単にそういう性格の人ってだけなのかもしれないけど。

最初は、いやいやあなたがこれを確認せずにスルーしたんでしょうが、と(いう意味のことをやんわりと)、書こうとしたんだけど、それ言っても余計に話がもつれるだけだしと思ってやめて、でも、送信しなかったけど一回書いたから私の気は済んだ(笑)。(実際は、御社か弊社で気がつくべきでしたよね…ぐらいにしといた。)

仕事の話だからさ、解決したい課題をまずははっきりさせたいのよね。ということで、ダラダラといろんなこと書いてきてて埒があかないので、ぶっちゃけお客様から代金支払ってもらえないかもってことですかね?って、聞いてみたら、今まで書いてきたなんちゃらかんちゃらには一切触れず、お客様から支払ってもらえるように努めます、もしムリだったら自腹で払いますので、と拍子抜けするくらい短い返信がきた(笑)。

ぶっちゃけ過ぎて逆に気に障ってしまったのか、なんなのかわかんないけどー(^◇^;)

言った言わないの話とか、犯人捜しみたいになっちゃうのとか、仕事の場面でよく起きるこれ永遠の課題なのかもしれないなあ。なんかやっぱり自分が責められてるような気がしてつい言い返したくなっちゃったし。でも、あ、なんかそういうスイッチに私はいま指を置きましたね、ってのに気づいてその指を離したら、そこから自分の内面的にも、人とのやりとりの中でも、流れが変わるんだなあってこともよくわかったわ。

仕事として必要なことと、個人的に感情面でなんとなくこういう感じなんだろうなってことと、両方あるから両方理解したいと思うけど、だからといって全部に応えられるわけではないから、場面場面での選択が必要になってくるなと。ってなんか当たり前のことを書いてるだけな気もするけど。

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でも、これメールだったらいろいろ考えながら返事ができるけど、直接の会話だったらどうなのかなって思うとまた難しい。しゃべりの勢いで押しちゃったり押されちゃったり、思わず「はい」と言ってしまったりw、つい言わなくていいことまで言ってしまったり、とりあえず謝ってしまえってなったり。発してしまったらなかったことにできないし、それこそどれだけ意識的でいられるかっていうことがより重要になるんだよなあ。
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2012年07月22日

SION with Bun Matsuda @KIRIN BEER “Good Luck” LIVE

うれしいことに抽選に当たったので、観覧に行ってきましたよ。
TOKYO FMのStudio iris(イリス)というスタジオで。

ライブはTOKYO FMだけじゃなくて全国ネットでかなりいろんなエリアで聞けたみたいだし、録音した音源もこの記事の下の方に置いとくので、よろしかったらどうぞ、って感じなので、セットリストとかあんまりわざわざ書かなくてもいいかなって感じがしております。とにかく聞いてくれればわかる。

聞いてるだけじゃわかんない部分を中心に、書き残しておこうかなというつもりで書いてます。

今回、観覧は番組HPからの応募とFCでも募集してて、全部で30名のご招待。TOKYO FMのスタジオでの生放送ライブっていう番組。スタッフの方に案内されて進んでいくと、なんだか普通にお仕事してたりする感じのエリアを通って廊下の奥のスタジオにって感じで、入った瞬間、こりゃヤバイwwと思った、あまりにステージが近いので。
10人ずつぐらい3〜4列(だったかな?)にイスが並べられてて、後ろに座ってもSIONまで10mもないかなって感じ。

ライブのコンセプトは、「SIONさんのお宅にお邪魔したような雰囲気で」、「リビングルームライブ」、とかそんな感じのことをディレクターさん(かな?)や、MCの雨宮朋絵さんが説明。ステージと客席の段差もないし、木の床でSIONと文さんの立ち位置にはラグマットが敷いてあって、観葉植物が置いてあり、リビングルーム感を演出(笑)。さすがにソファーはなかったなww キリンビールプレゼンツの番組なので、缶ビールのでっかいモックアップが、いやモックアップというにはあまりにでかすぎる物体がふたつ、「リビングルーム」の奥に鎮座ww

レコーディングできる設備も備えたスタジオだそうで、本格的なイイ音でお届けしたくてここから放送してますとスタッフの方。ホントに、ライブと言うより小さめのスタジオでレコーディング見学させてもらってるぐらいの感じでした。

会場入りしてしばらくは、ステージとか撮影してもOKということだったので、一応撮ってみた。近づいていって撮ったわけではなく、リアルでこの距離だったのですぜ。
studio_iris.JPG

ちらっとTwitterでも書いたけど、今までも小さいハコでステージがすごく近いライブっていうのはあったけど、単なる距離の問題ではなく、ライブハウスの照明と違って客席も明るいままだからなのか、それと客席とステージがフラットなのもあって。なんだかちょっと落ち着かないくらいに近い感じがあって、ニヤニヤでドキドキww

客席の音を拾うためのマイクもかなりたくさん設置されてたので、さぞかしたくさんの観客がいるように聞こえたことでしょうが、実際は30人です。

写真だとよく見えないけど、ステージの奥の上に時計がかかっているその下がガラス張りになったモニター室になっていて、ガラス越しにSIONが控えてるのを見つけて再び緊張(笑)。

番組スタートの数分前にMCの方に紹介されてSION登場。ゆっくりと途中まできて、壁際で半分隠れて一旦停止(笑)。照れ笑いしながらステージ中央へ。黒のサルエルパンツに赤っぽい柄のシャツ、袖口と肩のとこがデニム地な感じ。

ブーツがなんか見たことない不思議なデザインで、まず靴底が足形からかなりはみ出して、ざくざくにカットされてる感じ、そしてお馬さんが目のとこにつけられてる横とか後ろを見えないようにする目隠し(?)みたいな黒いものが、足首のとこから前に向かってついている。……よくわかりません(笑)。その靴底は引っ掛かってこけそうになったりしないのだろうか…と余計な心配(笑)。

アルバムのチラシに使われてる写真の足元をよく見てみたら、そのブーツを履いてました。都庁を背に全身が写ってるパターンのやつね。

ラジオ番組なので、ライブの合い間に番組のMCの方(この番組では「ライブアテンダント」と呼ぶそうですが)と、何か話したりとかもあるのかな?と思ってたけど、実際はそういうやりとりはライブの前と後だけで、2〜3曲ごとにCMが入るもののその間は静かに待っているだけなんで、あんまり気が逸れずにライブに集中できたなって感じがあったなあ。

何回かのCMの間、最初の方はSIONも照れ笑いで客席を見まわしてたり、ちょっとウロウロしてラグマットのとこでつまづいたり(笑)、段取りを伝えにきたスタッフに耳を寄せてうんうん、、ってやってるうちにくっついてもたれかかっていってふざけてみたり、などなどしていらっしゃいましたww

スタッフの方々もフレンドリーで、よい雰囲気だったんで、まあなんかヘンな緊張はしつつも後半戦は割とリラックスしてみることができて、ホントに楽しめました。イイ番組だぁー。

スタート前にどなたかが、ライブ中に立ち上がってもいいのかとディレクターさんに聞いて、ええもう立ち上がって盛り上がってもOKですって確認をとってたけど、結局そんな感じの曲もなく、なによりあんまり近いので立ち上がるっていう感じじゃなかったね。でも、番組終了後にSIONが客席の方まで近づいて来てくれたので、そのときばかりは何人かは立ち上がってハイタッチしたりしてました。

ライブはもう聞いてくれればいいだけなので多くは語るまい。…とは思うもののやっぱり少しはね(笑)、書きたい気もするので、別記事でもしかしたら書くかも、な。予定は未定だけど。

番組HPにライプレポートが写真付きで載ってます。
http://www.tfm.co.jp/live/report/detail.php?id=127

で、音源はmp3で保存してますが、まったくの未編集。番組の前後何十秒かのバッファとCMも含め、なんにもいじってません。その場にいたひとは、CM中のSIONのことを思い出しながら聴けるという(笑)。




そしていちおう、セットリスト

SORRY BABY
俺の声
まるで誰かの話のようだね
お前が好きなんだ・Bang!
バラ色の夢に浸る
お前の空まで曇らせてたまるか
マイナスを脱ぎ捨てる
そして あ・り・が・と・う

posted by みつこ at 22:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月20日

あぶらまつり2012@新木場Studio Coast

今年9回目のあぶらまつり、知る人ぞ知る、知ってる人しか知らない(笑)、マニアックなまつり。新木場スタジオコーストにて。
今年は、すごく音楽を楽しめたまつりだったなあ。去年はなんか、不思議な小芝居が長く続き、野外ステージもしゃべりメインな感じで、まあそれはそれでおもしろかったけれども、なんとなく物足りない感じがしたので。

前半から小芝居なしで(笑)、大土井裕二とアブラーズ、武内享とアブラーズ、藤井尚之とアブラーズ、って感じで、それぞれの持ちネタ(…ネタといってはアレだけどw)、好きな曲だったり、自分が作った曲だったりを、アブラーズの演奏でそれぞれが歌うというステージで。
それぞれがいろんな思い入れがある曲を聴けて楽しめた。

インターバルでも野外ステージでいろいろやってたんだけど、裕ちゃんのステージがこれまたやけによかった。コハラさんのブルースハープとてっちゃんのパーカッションで、自分はギターを弾き、「シカゴから来た仲良し3人トリオ」でブルーズメインのステージをやったんだけどね、最近ソロライブを結構やるようになってそのステージを見に行っては、なんかちょっと酒飲んでだかしゃべりすぎてだかでハスキーな声になってるときの、ブルージーな曲を唄う感じがなにげにすごく合っていて、イイですよね〜と話していたのそのままで。そして、また野外ステージで唄っているその表情がホントによかった、気持ちよさそうでスッキリした表情、楽しそうに笑っていて自由で。スコーンと晴れた空。なんだか、それだけで充分満足だったわ。

あぶらまつりは、来年で最後、10回目で一旦シメということで、、、って、最後のステージで話していて、享氏「10回って、、、もう10年もやってるってことだもんなぁ。だって、チェッカーズだって10年でしょ?」という発言に、裕ちゃん「そうですよ、チェッカーズを2回やったようなもんですよ」って、みんなが「おぉ〜、なるほど〜」みたいになっていると、享氏「お?いまなんか名言が飛び出したぞ」。
いわれてみるとホントにそうで、ああ、10年経つのか経ってしまうのか、、、となんかすごく不思議なでもなんか納得いくような、そんなヘンな感覚が湧いてきたなあ。
posted by みつこ at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月19日

疑うのではなくてね

駅のキオスクのとこで、「からだにいい乳製品」みたいなこと書いてある広告ポスターを見て、ふと妄想してみた、例えばいま私はオーウェルの「1984年」の世界にいる、とか(笑)。

乳製品はからだにいいって牛乳をたくさん飲もうってさんざんいわれ続けてきたのも、実は戦後のアメリカの陰謀(陰謀は言い過ぎかw)だったという説もあり(パンをはじめとする小麦製品も似たようなこと言われてるが)、しかし、そんなこと知らなければ、なんとなくみんながそう思ってる感じになり、なんとなく「常識」みたいなことになっていく。

いや、それをそもそも言い始めた人たちはホントにそう信じている(いた)のかもしれないしね、あるいは商売のためだけに宣伝してるのかもしれないしね、どっちかだけってこともないだろうしね、その後、アメリカでは、逆に牛乳って実は良くないぜっていう説が出てきて、飲まなくなっている人も多いという。

ただの商品広告もビッグ・ブラザーのプロパガンダかもしれないと思ってみる目を自分の中に持っておくんですよ。発してる本人にその自覚があろうがなかろうが、なんらかの価値観を自分以外の人に強制してみんな同じにしたい、みんながそのように思ってほしい、そのようであってほしいというのが、全体主義の始まりで、その多くは、実際のところ、よかれと思って、、、から始まっているんだと思う。

本当にそうなのかどうかは本当のところはわからないとしかいいようがないんじゃないか、誰かにとっては良くても、誰かにとっては良くないってこともあるんじゃないか、人によって状況によってタイミングによって時代によって場所によって、その判断はどうにでも変わるものなんじゃないのかって。

なんでもかんでも疑ってかかるとか、そういうんではなく、だけど当たり前と思ってることが視点を変えてみたら全然そんなことないのかもしれないという、そういう可能性をいつも忘れないでいるということだけのこと。内と外を行き来しながら両方から世界を見る感覚。それをやっていると、自分の想定に入っていない出来事に対しても、感情で反応しなくてすむようになる。感情がなくなるってことはもちろんないけれども、何かに強い感情が起きるというのは、そこにたくさんのエネルギーを注いでいるってことなので、使わなくていい方向にエネルギーを注がないですむなら、もっと自分にとって大事なことや、楽しいことや、必要なことに使えるエネルギーが増えて、生きるのが少しばかり楽ちんになる。
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2012年07月12日

あの世代の最後のしっぽ

ふいに鼻先を
あずきの煮えているようなにおいの記憶がかすめていった
むかしむかし誰かが台所で煮ていたみたいな
後ろ姿みたいな

大きな鍋のお湯の中の
ゆらゆらしたまめのまめの

お砂糖は控えめの
まめのまめの
食べもの
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2012年07月03日

そんなに慌てなくてもいいってこと

こないだ、月1受診に行ってきて、体調のこととは関係なく気がついたことがあった。

むかし、人の話を遮れなくて、自分の話を遮られると明け渡すしかなくて、しゃべりたい人の話を聞くだけ聞かされて、自分はなんにも言えずにぐったりなんてことが本当に多かったのだけど、最近は逆に相手の言おうとしてることがわかってしまうと、つい遮って話してしまうこともたまにあったりで、これはこれであんまり気持ちいいことじゃないなあと思っていたのです。

ところがこないだ診察室で主治医が、私が何か言おうとしたのを遮ってしゃべっているのを(というかほぼ同時にしゃべろうとして相手の勢いが少し強かっただけのことだけど)、その話が途切れるのを待って(なかなか途切れずにとても早口でしゃべる人なんだけどね)、その話題を区切りのいいところまでした後に、自分が最初に言いたかったことの方に話を戻してその先を話している状況、というのをずっと観察していて、ああ、そういうことができるようになったのねーって思ったんだ。

みんなどうしてるの?とマジにわからずに困っていたんだよむかしはホントに。

その全部の過程について無意識にならずに、その話題についてはちゃんと考えつつ、必要な話をしつつ、でもその前に言いたかったことも忘れずに、というのを、淡々とできるようになっている。言いたかったタイミングを遮られたからといっていじけたりせずに(笑)。
伝えたいことは伝えてもいいと、自分で自分に許可を出してあげてるからなんだろう。

人って変わるんだなーなんて、人ごとのように感心。

そして、相手の言いたいことは、例えもう言わなくてもわかるよって思っても、やはり自分のことばで表現してもらうことが一番だってことも、同時に思ったりもした。

うれしいことなのだ。
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2012年07月02日

書くこと

またしても、理由を思い出せないが図書館で予約して借りてきた本。何か別のことを検索していてたまたま見つけたんだと思うんだけど。

「生と死」の21世紀宣言-日本の知性15人による徹底討論 [単行本] / 河合 隼雄.南 裕子.森 亘.他 (著); 柳田 邦男.静 慈圓 (編集); 青海社 (刊)
「生と死」の21世紀宣言-日本の知性15人による徹底討論 [単行本] / 河合 隼雄.南 裕子...

「21世紀高野山医療フォーラム〜生と死が手を結ぶには〜」の第1回(2005年)〜3回(2006年)を収録。生と死を、医療と宗教(というかスピリチュアリティかな)を横断しながら、考える語る討論する、柳田邦男さん、河合隼雄さん、養老孟司さん、その他、医師、看護師、治療家、僧侶の方々、主催は高野山大学。こんなフォーラムやってんだね、知らなかったよ。その後も続いていて、この本もシリーズで何冊か出版されてるみたい。

メモした中からちょっとだけ、柳田邦男さんの講演の中でのお話

闘病記の力――苦しい時、人は文章を書く

 よくがんや難病、あるいは脳卒中などで重い後遺症を背負うと、闘病記なり克服の記録なり、多くの人が手記を残したり、あるいは詩歌の類を詠んだりするようになります。忙しく働いている時、子育てで忙しい時、日記一つ書かず、手紙も滞りがちになり、筆無精になってしまいます。でも、病気になり、病床に就き、そして人生と向き合わなくてはいけなくなった時、人はなぜか文章を書くわけです。手紙を書いたり、日記を書いたり、闘病記を書いたりする。あるいは自ら書かなくても、連れ合いが看病をしながら日記のようなものを書く。さまざまな形で、人は苦しい状況に置かれると、自分を表現しないではいられないようになる。それが書くという行為の最も本質的な意味だろうと思います。
 そして書くことによって自分の内面を鏡に映し出して、自分のさまざまな側面を、いわば客観的に直視できるようになり、この中で自分がどう生きるべきか、精神的にどう生きるべきか、ということを考えるようになります。そういう力を発揮するのが、言葉による表現ではないかなと思います。もちろん人によっては、写真を撮って表現したり、絵を描いたり、音楽を奏でたり、研究論文を書いたりなど、さまざまな表現の方法を探りますけれども、最も心に直接的であり、よりディテールがはっきりしてくるのは、書くということなんだろうと思うわけです。こういうことは、さまざまな闘病記を読んで、多くの作品に触れてきた経験から気づいたことです。
(第U部 今の命、永続的な命/4 私のライフサイクル論 柳田邦男/P188〜)


最近、ブログの更新が減ったなって自分でも思ってて(笑)、そんなにたくさん書く必要性を感じなくなったというか、そういう衝動みたいなものが少なくなったなって感じていて。
それで、たまたま読んでたこの本で「苦しい時、人は文章を書く」って言っているのを読んで、うん、それわかるな〜って思った。わかるというか、自分もそうしてきたから、その通りだなって。

こころに苦しみや悲しみや怒りや恐怖をたくさん持っていて人生って重たいと思ってた時、漠然としていてでもやたらに大きな不安みたいなものを背負っていた時、そういう時期、なんだかとにかくやたらにたくさん書いていた。自分でHPをつくって日記みたいなのを置いたり、そのうちブログってヤツが登場してそっちに移行したり、途中で非公開になったり、こっそり再開してみたり(笑)、いろんな変遷を経ながらも、とにかくずっと書き続けていたなあと思う。いまもその延長なんだけど。そして、書くことによって自分で自分を助けていたのだと、いま思えばそう思う。

私ねえ、恥ずかしげもなくここに告白しますが、むかしの私が書いた文章、けっこう好きなんだよ。ホントにどうしようもないこともいっぱい書いているし、なんでそんなにネガティブなのかって時も多いんだけど、それでもなんかしらをみつけようとしている感じはずっとあって、そういうのを持って苦しいという状況は、なんだか美しいことなんではないかと思ってしまう、客観的に。

苦しいってことは決して悪いことではないと、自分自身については少なくとも思う。だからそういうふうに書かれている、ひとの文章を読むのも好きなんだろう、きっと。
まあ、当時の自分に誰かがそんなこといっても、でもこんなに苦しいのはイヤだーってやっぱり言うかもしれないけど(笑)。

いまの私はといえば、苦しいのも不安なのも悲しいのも、なくなったわけじゃないけど、それを支えてあまりある安定感、安心感みたいなものが、たっぷりと足の下に、あるいは背中側にあるのを感じていて、それはどうやって私のところにやって来たのか、ホントのところはよくわからないんだけど、わからないけれどもこれはもうこの先私のもとを去ることはないだろうというのはわかる。からだが覚えてるって感じ。思い出そうとすればその瞬間に顔がほころぶ感じ。

あるイミで「つまんなくなった」ともいえるのかもしれない。確かに、オカシイ方がおもしろかったんだもんなー(笑)。安定感みたいなもんが自分の中に出てくるなんて想像だにしなかったし。そうやってヘンな文章を綴っているのもなんだかんだいってこころの片隅でこっそりおもしろがってた節はある。

でも、いまはいまで、これはこれで、新しい<世界>で。ただの安定感の安心感の安穏な世界ではなくて、新しい課題が投げ込まれたラウンドがスタートしているんだと思うんだ。まあでもどう考えてもここに書いている文章は「闘病記」の類ではないけれどもね。だって、病と「闘」ってないし(笑)。

もう1こメモしたのがあって、読んだ順番、ページではこっちの方が先に出てきてるんだけど、その時はただ気になってメモしただけなのが、なんか繋がっている感じもしてオモシロイ。

筏(いかだ)の比喩

 自分というこだわりがなくなると、他人を差別しない心、「慈悲」が生まれます。「筏(いかだ)の比喩」というものがあります。苦の此岸から楽の彼岸に渡るために筏を使ったけれども、向こう岸に渡ったら筏を捨てる。涅槃に渡れば仏教も捨てる。仏教は仏教にも執着しない。他の宗教も平等に肯定するという譬えです。
(第U部 今の命、永続的な命/3 仏教の立場からみた医療と宗教 田中雅博/P174〜)


なんとなく、ずっと書いてきたのに、最近あんまり書かなくなったってことが自分なりに気にかかっていて、でもだからといってこれは別に絶対にやらなくちゃいけないこと、というわけでもなし、書きたきゃ書くし、書かないならそれでもいいんだけど、でもな、、、って、時々そのことが浮かんでくるんで、浮かばせてみたり転がしてみたりしていたんだけど。

彼岸に渡ったら筏を捨てるっていう視点に、なんだかスッキリした感じがした。

でもね、まあ書くのは苦しい時だけじゃないとも思うから、私は私の中の誰かをみつけるのが好きで、誰かの中の私をみつけるのが好きだから、それを人と共有するのがイイと思うから、これからも書くと思うよ。

別の筏、あるいは筏以外のなにかに乗り換えたみたいな感じ、なのか?(笑)。

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posted by みつこ at 13:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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