2014年07月28日

社会で暮らすこと

ある場所で、周りがどうしたもんかと対応に困るような場面に遭遇した。渦中の人は最初は気がつかなかったけど、途中である障害がある人だと判明(知的障害や情緒・精神の障害ではない)。

ああいうの、障害があるからしょうがないって周りが容認してきた結果、いい大人になってからもきちんとした社会性が育っていないってことなんじゃないかな。本人の責任もそれを容認する周囲の責任もあると思うのだよ。誰も厳しく言えない/言わない。

障害があるから仕方ないとかいう問題じゃなく、自分と相手しか見えていない、周囲とのバランスとか、相手の反応を見て、自分の態度を変えたり言動を変えたりとか、そういうことができなくて、ただただ自分のやりたいようにやりたことをやるっていうだけの人になってしまってる。どんな障害があっても社会人としてきちんとやっていけてる人をたくさん知っているだけに、できないわけないだろうに…と思ってしまう。

精神が自由でいることと、社会の中でなんでもやりたいことをやりたいようにやるっていうことは違う。

今回は一時的に一緒の場所にいるというだけだったし笑ってすませてしまったけど、日常的にああいう人と接する環境を考えたら、本人だって周りの人だって結局はツライだろうし、やっぱりきちんとした教育が必要だなってことを考えてしまった。

翻って身の回りで困った言動をする人のことも、いつまでも笑ってすませてたらやっぱりいかんのだっていう気持ちになる。
私は考え方が厳しすぎるのだろうか。

自分から相手への狭い範囲の一方通行じゃなく、周囲も視野に入れたり、状況を見て自分の言動を変えたりできる、ゆとりや遊びを持っておきたいものだ。
そして、どんな場面であっても相手を尊重したコミュニケーションができる人でありたいなあとも。
posted by みつこ at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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