2014年06月25日

こころのきれいな人

こころのきれいな人というのが世の中には本当にいて、時々そのこころに触れるとやっぱり泣きそうになる。自分の中にもきっと隠されているはずの純度の高い部分、たまには引っ張り出して掃除してやりたい。
posted by みつこ at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

全部の「方法」をも手放そうってこと

世の中にはいろんな心理療法があり、みなそれぞれのメソッドで心の中の問題を解決しようとしているんだけど、結局自分が経験してきたいろんなその時その時の解決は、意図してなにかを施そうとしたときには起きてなくて、その意図が外れている隙間にぽっと起きるようなことが多かった。
なにかひとつのメソッドでいろんなことが解決したって思えることがない。
結果として、ああ、このメソッドがやろうとしていることと、本質的には同じことをやっていてそうなったのだなって思えることはよくあるけれど、それのメソッドを「意図して」活用しようと思って何かしたところで、それは起こらない。
posted by みつこ at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月19日

丁寧に手を放す

いまの自分の感じをじっくり観察する、これはまあいつものことですでにクセになっているというか、その状態がデフォルトになっているのでわざわざやっている感じはないのだけど、こないだからは殊更に、小さい変化がおもしろい。

もう考えなくていいんだって思うとほっとした感覚になる。そっちに行きたいと思ってると思ってた(ややこしい・笑)けど、ホントはイヤだったってことなのかな。結構長いこと自分に無理強いしてたんだな、ごめんよ。

だけど、もしそっちに行っていたら経験するであろういろいろの断片が浮かんでくることもあって、ああ、それを経験することを諦めたんだなあと、少しのかなしいような気持ちもやっぱりある。やっぱり行きたい気持ちもあったことはたしかだ。

気持ちはどっちかひとつということはない。0か100ではない。そうやって時間かけてゆらゆらしてぐらぐらして、そういう自分を観察してきたのも、自分とのだいじなコミュニケーションだったんだなあ。

そう、そして、あ、と思って心の中で小さく「ごめんよ」って言ったとき、わーんやっとわかってくれた〜(ノД`) てな感じで一瞬泣きそうになった。もうわかったから大丈夫よ、よしよし。

で、その周辺を観察しながら日常を過ごしてみているが、なんか軽くなった〜軽くなった〜て感じが
とてもする。
posted by みつこ at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月16日

小さいきっかけ

なんとなく、ふと、ああこのことはもう考えないでいられそうって気がした。もういいや、いやあともうちょっとって何度も思ってはやっぱり気になり続けていたことを。

考えないというか、気が済んだ感じというかね。
そして、もう完全に方向を切り替えようって感覚になった、自然と。

表面的にはなんの関係もないことなんだけど、気になっていた別のことでひとつ、ああ、大丈夫だなって思えることがあり、なにか本質的なところで、自分の中でなにかが気が済む、なにかが腑に落ちる、すとんと落ち着く、安心するっていう感覚が入ってきたときに、おなじような場所にずっと持っていたもうひとつの気になることが、一緒になって落ち着いちゃったみたいな感じがする。

なんだろうなこれ
まだよくわからないけど

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更新頻度はとても減ったのだけど、SNSにもアカウント持ってなんだかんだとやってはいるけど、私はこの場所に書き続けていきたいなあと、やっぱりとても思う。今日は何したどこへ行った何を食べたとか、そんな情報や繋がりはほんの少しで十分で、心や体や頭の中身で何を思って何を感じて生きてるか、そういうことを共有できる場として、このブログは大事にしていきたいなあと。たぶん今までもこれからも、直接言葉を交わすこともないだろうと思える人がこれを読んでくれていることを知っている。それぞれの誰かの「中身」と自分の「中身」に向かって書いていけたらなあ、って。

たくさん付け加えたいことは出てくるけど、あえてそこはざっくり削ったりもして。

わかってるよねって。
posted by みつこ at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

LR「里亞王〜リア〜」

なにげなく見てた手話ニュースで紹介されていて興味を持ったので見てきた。

公式サイト
http://www.sapazn.jp/LR.html

「言葉」は台詞だけではない。
身体、手話言語、光や、空間に満ちる豊潤な言葉にこそ
私たちは心を奪われる。

キコエナイ俳優とキコエル俳優は優しき混沌から何を聴くのか。

「利」と「理」が絡み合う、人の愛と因果の物語。


conфetti(コンフェティ)のレポート
http://conpetti.com/LS/?p=1031

--シェイクスピアの「リア王」手話版、「里亞王(リア)」--
「手話言語、音声言語、身体表現さまざまな方法を駆使した新たなシェイクスピアの世界。30名以上のオーディションから選考した聴こえない俳優5名、聴こえる俳優8名、そして聴こえないスタッフ6名、聴こえるスタッフ10名が共同して舞台を創り上げている。」


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舞台音楽が生演奏なのはとてもよい。こないだOVO見たときも思ったけど、今日のもまた良かった。今日はバンドじゃなくて、パーカッションひとりと、俳優も随時参加する音響。聞こえなくても空気から響いてくるビリビリ感、臨場感。

舞台装置、音響、衣装・メイク、身体表現、一人で何役かする俳優が何人もいたけどその演じ分け方、ろうの俳優と聴の俳優のセリフのやり取り、とかとか、随所に工夫が見てとれて、おもしろかった。

ろうの俳優の手話のセリフを、通訳とか音声案内的なことではなく、舞台上または舞台袖にいる他の俳優が声で出すというのはとてもよかったと思う。ひとり何役かやっていながら、ひとつの役をふたりで演じている感覚も同時にあって、誰が何の役というよりも、演者全員で芝居全体を演じているとでもいうのかな、そんな一体感が感じられた。

一方で、聴の俳優は音声セリフと手話セリフを本人が同時にやるっていうのはやっぱりムリがでるよなあと。手話の言い回しはただの日本語の単語の置き換えにならないようにかなり工夫されてるというのはわかったけど、だからこそに音声で出してる言葉と手話で出してる言葉が前後したり違う表現を選んでいたりするから、それをひとりの人が同時にやるのは苦しいし、どうしてもネイティブじゃない方の手話が不自然になる。あの手話は、ろうの観客は理解できたのだろうか?そこだけ、かなり気になったな。

##事前に台本の無料貸し出しサービスが用意されていたけどね、そうやってストーリーを理解するってことと、舞台そのものを観て理解するってことは全く別モノだし、事前にストーリーを読んでおくことで、舞台がよりよく理解できるのは確かだけど、台本ネタバレしちゃうのはやっぱりイヤだなあ、個人的には。##

ろうの俳優は自分の手話のセリフ・演技に集中出来てる感があって、みんないい芝居だったなあ。聴の俳優もみんなそれぞれによかったけど、やっぱり頑張って手話やってる感がどうしても出てしまって、もったいなかった。
誰でも楽しめるということを目指す心意気は伝わったし、総じてよく練られた構成で見応え充分だったけど。

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これっていつもぶつかる問題なんだけど、これが音声言語の外国語だったら絶対に両方同時になんてことにはならない。それは単にふたつの音声言語を同時に発声することができないから、声はひとつだけだから。それが手話と音声言語になると身体を動かすことと声を出すことが「物理的に」並立できてしまうから、だたそれだけの理由でふたつの言語を同時に話すことを強いられることになる。これは、手話言語を身につけた聴者がしょっちゅう陥っている苦しい場面である。

いっそのこと、手話で話している間は声が出ませんというからだに「物理的に」なってしまうならいいのにとまで思うことがある。
posted by みつこ at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

はっ・・・

怒濤の3月というか2月からこんな感じだったんだな、たしか、、、

なぜか本日すっぽりと唐突になんにもない時間が訪れた

溜まっていた仕事をわーっとやっていたら
偶然にも新しい案件がひとつもこなくて
(それは仕事という意味では心配なのではあるが)
あれ?なんかやることリストが空になったみたい?

てな感じで、
わーだったら着替えを持ってきて
仕事帰りにヨガに行きたかった、とか思ったけど

なんか不思議とこの静かな感じもイイ

まあ、きっとまたすぐにバタバタし出すのだろうから

いまのひととき

posted by みつこ at 20:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

SIONのゲスト出演@BAY-FM

そろそろ1週間前のことですが、、、
キャンペーンボーイ(ボーイって)SIONがゲスト出演したラジオの音源。
他にもいくつか出ていてそっちも録音はしたんですが、
この番組が出演時間がたぶん一番長くていろいろ話していたので、
そして、後半が居酒屋トークみたいになってておもしろかったので(?)
アップしますね。容量制限があるんで2分割しました。
(プレーヤの再生ボタンでストリーミング再生 or DLボタンでローカルにダウンロードできます。)

2014.02.27
BAY-FM MOZAIKU NIGHT〜NO.1 MUSIC FACTORY〜TAKAKO's EDITION
前半

後半


ニューアルバム「不揃いのステップ」絶賛発売中ですよ〜

不揃いのステップ(初回限定盤)(DVD付) [CD+DVD, Limited Edition]...
不揃いのステップ(初回限定盤)(DVD付) [CD+DVD, Limited Edition] / SION (CD - 2014)


追記:
スタジオで生演奏「ありがてえ」を唄ったやつもあるのでそれも〜。

2014.02.19
FM COCOLO MARK'E MUSIC MODE
前半

後半
ラベル:音楽 ラジオ SION
posted by みつこ at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

底はない、そこには「ない」がある

どんなにくたびれても、いつも選択に引き裂かれてあっても、深く落っこちずにやっていけてんのは、結局は生きてることにたいした意味などないのだということが、一番下に横たわっているからなのだろう。

落ちようとしたって下で受け止めてんのはそんなふわふわした結論、だから軽く跳ね返されてまた日々に戻ってこれてしまう。
posted by みつこ at 12:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

行為としての「書くこと」と、動作としての「書くこと」と

今年もほぼ日手帳を買ってみたが去年の感じからして、1日1頁はなくてもいいかもという気がしてきた。SMBGと食事の記録はスマホと別ノートだけにしちゃったし、予定の管理とTO DO的なことはGoogleカレンダーでてきてるし、用途としては日記とかメモがメインなんだけど、それもほとんどスマホのアプリに書いちゃってる。

書いているといえば引き続き書いているし、記録しているのではあるけれど、手にペンを持って「書く」という動作は本当に少なくなった。PCやスマホに文字を記録するという意味では確かに「書く」ことをしているのであって、頭の働きでは同じように「思考」しているんだと思うけど、でもやっぱりなにか違うような気もする。

手で書くことはまったく頭の中の感覚に追いつかないので、もどかしく感じることもあって、それよりもスマホの方がさらにはPCのキーボードの方が格段に速く、記せている感覚がある。一方で、手で書くときのその適度なスピード故に急ぐ感じ焦る感じが薄れて、そのスピードがマインドにも影響して落ち着きをもたらすこともある。

そもそも、「書くこと」自体が以前ほど自分にとって重要ではなくなってきてるということも考える。
以前は書きながら思考が整理されてきたり、見ている視点が変わってきたり、自分の感情が理解できてきたり、またその感じ方が書きながら変わってきたり、いろいろなことを「書く」行為に重ねて行なっていたけれど、それが今は、書くことをしなくてもできるようになっているってことを常々感じる。

ただ黙って思考の中であるいは感覚の中で、辿っているそのもの自体を触り確かめて理解する、それだけで満足し完結することは増えた。

しかし、手で書くことはやめたくないなあという気持ちもある。手でだけじゃなくて、ブログとかそういうことも含めてね。
まあ単純になにか書くのが好きですよね。

とりあえず、今年はこのまま使ってみるとして、来年は違う感じにするかなあ?って手帳の話ししてたのだったね。
posted by みつこ at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月01日

人生は続くのだ

震災があって仕事がなくて病気になった2011年が、幸か不幸かヒマだったがゆえに療養に専念できた1年だったとすればだ、2012・2013年はこの身体を持って、今まで通りかそれ以上の仕事量でなにげにハードな日々で、しかもライブ行ったり遠征したりもする、という生活がどれくらいできるのかどうか、という練習みたいな年だったように思う。

てことは、2014年は、ハードデイズナイトもどうにかこの身体でやっていけるんだなってことを土台にして、もちろん身体のコントロールは更に洗練しつつ、で、さてなにをやっていこうか、どういうふうにやっていこうか、という年になるんだろうなー。

LIFE GOES ON なんて言ってみようかと思ったけどやめた

人生は続くのだ
なにはともあれ続くのだ
だー

posted by みつこ at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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